近くにあった板碑石碑群に立ち寄ってみました。

大高森神社の別当とされる
大高山大林寺を管理する仏堂があったそうです。

 



創建は不明ですが、薬師堂。

 


 

ここには、鎌倉時代からの板碑が十三基ほどあり、
なかでも1318年の碑は、柴田郡内で最古のものと。


かつて、干ばつの際に、高橋与衛門がこの堂に
参拝して雨を降らせた故事により雨乞薬師とも言われています。

 

 

 

 

 

 

 

奥州合戦での畠山氏側の武蔵、
南北朝時代では北畠顕家などの武将たちがきているため、
供養塔がこのように建てられます。

 

 



板碑は武蔵に多い供養塔。
特に秩父産の緑色片岩を加工して造られる事が多い。

 



分布地域は、鎌倉武士の本貫地とその所領に限られ、
鎌倉武士の信仰に強く関連するという。

 

※長瀞の板碑(青石)

その「武蔵型」は、秩父・長瀞産を使うのです。
その石を「青石」とよぶのですよー。
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さて、この板碑で思い出すことがありました。

 


 

藤原国衡が秋田県の鹿角に名を残していたこと。

 

 

 

 

これらの石材が武蔵の秩父青石とよく似ていることから、

武蔵の地からはるばる鹿角まで運ばれてきたのではないか?と。

 


 

五ノ宮岳に登って鹿角のことをすごーく書いていたけど、
安保氏(あんぼ)は、秩父にもいて丹党安保という人がいました。

 



鎌倉時代、私の故郷、武甲山の麓にいた安保氏。


Nさんのご家族と一緒に五ノ宮岳に登れたことは、
本当に喜ばしいことでした。

 

 

ここ、大日堂神楽が伝わる近くに「吉祥殿」があります。

五ノ宮皇子の母が建てたと伝わるお寺です。

 


「中世、藤原秀衡の庶長子国衡の庇護を受け
平泉開山中尊寺の影響によって天台宗となり、
養老山吉祥院と称し、
大日堂と共に里人の信仰の中心となっていた。

 

 



異母兄弟である泰衡の最期も、
秋田で亡くなっていますよね。

 

ということなので、板碑は、奥州合戦のこともあり、

後に関東武士が供養のために板碑を置かれたと思います。

 



しかし、なぜ、このお堂を守ることになったのか・・・


鹿角には、五ノ宮岳に登ったまま戻ってこなかった皇子の話があり、

母が亡くなった後、母の故郷を求めて京都から鹿角へきたのですが、
金鉱脈を知って隠されたか、口封じにあったか、賊にやられたか・・・(もうサスペンス)
都から2人の付き人と共に、山へいったきり帰ってこなかったという。

 

五の宮とは、五番目の皇子からとっているのですが、

「菟皇子」という名前。

 

菟は、兎のこと。

「稲羽の素菟神話」もその流れを汲むものと考えられている。

 

※因幡の白兎


そんな皇子を偲んで五ノ宮岳では「馬を放す」のだそうです。

 

その皇子の父が「継体天皇」(翡翠の王)

 

 

何度も繋がる継体天皇。

 

 

藤原国衡を辿ると、出雲の皇子へ繋がりそうだ・・・

 

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それで、秩父にいた丹党安保氏は、
長瀞から入っているのですが(埼玉北部からきてる)
そこに「白鳥」の地名があるのです。

また、金ヶ瀬とその遠い秋田の鹿角が繋がることが1つあり、
「笛」のこと。

 

 

真野長者とお笛田の伝説

 

金ヶ瀬に、美しい長者の娘と牛伝説があります。

「むかし、金ヶ瀬村の赤坂というところに、
真野という長者が住んでいた。

この長者の家には、体が非常に大きく、
力も他の2倍はありそうな牛を1匹飼っていた。

 



たいそう気が荒いので使用人はだれも、
この牛を小屋から引きだすことができなかった。

長者にはまた、一人の自慢の娘がいた。

近在きっての美人で、この娘が道をとおると、
野にはたらく人は思わず手を休め、
そのうしろ姿が見えなくなるまで見送るほどであった。

 ある、やんごとない方が、東夷を征伐した
帰路に長者の家に立ち寄り、その娘を一目みて、
あまりの美しさに想いをかけるようになった。

それからは、みずから草刈三平と名をあらためて
長者の家に住み込むようになり、朝は早くから、
この気の荒い牛を引き出して頼母山に連れていった。

尊い身をおそれてか、牛はよくなついて、まことにおとなしくなった。
草刈りに出かけるときは、いつも笛を吹いていったが、
その美声は遠くまで響きわたった。

頼母山で草刈りをしている人たちは、
いつまでもその笛の音を聞きたいので、
草刈りを手伝い、その方は牛の背で笛を吹いた。
牛も耳をそばたてて聞いていた。
やがて、いつとはなしに、笛の音も聞こえなくなった」

 

※伝:国衡の墓(白九頭龍古墳)


あこや姫と松の木の精霊伝説に似てます。

 

大河原町史によると、

その笛には菊花紋があり古木の洞中にあったと。

開田の際に発見され、用明帝が山路の名を変えて牧童となり
笛を吹けば、猛牛も馴養できたと、後に伝説になったもの。


用明天皇の子に聖徳太子がいます。

蘇我氏の系譜になるのですが、

鷹と白鳥で聖徳太子が登場していたのは、
お笛田の用明天皇に絡んでいたから?

それでは、「真野という長者とは?」・・・・

以前から何度も書いてますけど、妄想するに、
マナが転じて「真名」となった話のほかに、
笛吹を結ぶと、「白鳥大明神」となる。

石巻の牧山からおよそ8キロ北の方にあるのが、
「真野」にある零羊崎神社です。
(丸で囲んでいる山が牧山ですが、真野は北へいった所)

 



元は、白鳥神社であり
真野の鎮守として古来の零羊崎神社であるとの事。

(零羊崎神社は、2社あり真野の方)

 

 

その真野にある零羊崎神社は、白鳥大明神なのです。
白鳥=物部氏・阿部氏となる。

 

 

阿部氏の氏神

 



真野が「未(ひつじ)」の方角を向いているから、
こっちが正しいという論争もあります。

そんな牧山の真野付近にも、数多くの板碑があります。

宮城県で最も多いのは、石巻で、次に名取。

 

石巻真野の長谷寺参道入口には、
「真野萱原伝説地」があり、北上川を使って

平泉へ常滑産の陶器を輸送していた所です。

真野の地名は、南相馬、石巻、金ヶ瀬の他、滋賀県。

牧山の方は、ワタツミです。

 

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丹党安保氏がいた鹿角の小豆沢にも「笛吹」
の屋号が残されており、

 

笛を吹く少年の「お笛田」と「笛吹」が、

どこかで似ていると思う。

 

鹿角の笛吹田については、

 

「かつては、神社から田んぼを分け与えられており(田の神)
そこから「笛吹田」の名がついたものと言われます。

「八幡田」「鼓田」などの地名も残っており、
舞楽が土地の生活と信仰に強く結びついていたそうです。

大日堂舞楽は、小豆沢の笛を合図に始まると言われます。

号令の代わりに笛が次の動作を導いていき、
いわば雅楽の進行役であるとされます。」

 

都の王室、貴族文化が入っていると思われるものです。

 

 

「芸能」に関わることですから。

 

この大日堂が「だんぶり長者」のことであり、

酒とトンボ。

 

金売吉次のこともあり(源義経と共に平泉の秀衡のもとへ)

鹿角には「尾去沢」の広大な「金鉱脈」があったからです。

 

 

 

 

 

だから、「薬師」=(徐福思想)と、

オオナムチ・スクナヒコを祀る。

蝦夷特有の地=蛇信仰。→「日の本中央」の青森と同じ。

 

※五ノ宮岳の薬師堂

 

ということなので、「真野の長者」は・・・金。
長者とは、安倍氏や金売吉次のような
金鉱脈をもつ大地主でしょう。

だから、福島にも同じことが言える。

 

安倍氏と言われた「墨虎」伝説も、
「真野生まれ」と伝わります。
福島の霊山の近く「虎捕山」=ヤマツミ

 

 

ここに、ヤマトタケルがいるから。

 

 

狼の目が強い。

 

 

 

墨虎が潜んでいたという岩

 

 

その墨虎は、山元町に逃れ金の隠語を使う
「琵琶を落とした」と伝わるのです。


そこに昔、まつられていた観音像だったかな、
「南部藩」がつくったと言われています。

金を隠していた所であったかもしれない。
※琵琶神社が岩手県にあり金のこと。

 

馬取田が「黒馬」としていることは、
墨=黒

 

とも同じ。

 

では、白ではない黒とは何をさすか。

方角とか五行とか単純なことではないのかもしれない。

 

例えば、カースト制度があったインドのことも、

クリシュナが笛をふく牛であることも。

 

 

隠された笛の意味

 

 

 

笛を吹く伝承が国衡と関係あると思うのは、
こんなところから・・・

※「楽を奏でる土地より」参照。

『遠野物語に登場する「笛吹峠」には、継子の青年が
四方から火をつけて焼き殺してしまう。
其の子は笛を愛していたので、火の中で笛を吹き死んでいった。
その場所を笛吹峠という。

その土地に住むには神のそれを許されなければならない。
地名起源とは、それによってそこに人が通過することを
許された土地になる。』


ちょっと重たいけれど、
この話の解釈は、継子のいじめがあると言われる。
継子は、「ままこ」といって血のつながりがない子のこと。
もしくは、正室ではない子なので差別を受けていた子のことをいう。


『伝承のパターンでは継子は優しく働き者だが、
火をつけて残酷なことをするのは、継母の仕業ともいえる。
継母にそそのかされて実の父親が子を殺すことがあった。
父は継母につくか、継子につくか選択するしかないのだ。』

 

まさに、この話が、

中将姫(姉)とあこや姫(妹)伝説で、

それを物語るものでした。

また、藤原秀衡は義母(再婚相手)を国衡と婚姻させたことが

あるのですが、長年苦しんできた蝦夷同士の派閥も。

 

都との格差というものが、家臣の一族への負担から
笛を吹く青年と重ね、国衡とも彷彿させる伝承なのです。

 

その苦しみを味わってきたことを、

出羽三山の講は、引き受けてきたと思うからです。

 

だから、救いの手を差し伸べた。

あの峠から逃れる家臣たちを。

あこや姫はコトヒキができる人でした。

楽器は、あこや姫伝承にもあるように、あこや姫は琴が上手。
男性の松の精霊は、笛が上手だから。

互いに楽器をひきあいする意図は、笛をふく人は、
残虐に殺されたことを伝える目的でもあり。

笛のもつ呪力により神の力を得るといった
深い意味があるともされているのです。

 

 

村雲の剣とは?

 

そんな皇子が1番目ではないことから、

天皇も皇后も亡くなり、権力を失った時に迫害されるものです。

 

しかし、土地を所有していた。

 

青銅、鉄器、金へ。
東北の製錬技術、秦氏の錬金術をあわせもった土地が濃い!

だからこそ、その技術を「剣」に託したため、
剣の奪い合い=資源の奪い合い=王座の証

 

 

また、興味深いのは、

天の村雲の宮殿は 「笛吹きの地」とよばれていた
ことをネット情報でみつけていました。

だから、金ヶ瀬の笛を吹く少年がそれを指しているかも。
天村雲の剣は、熱田神宮にあるというのでね。

しかし、草なぎの剣とは違うらしい。

その熱田神宮内に、鳥の神様として「大歳(年)神」
があるんですけど、これが、鳥をトーテムとする
大鳥や白鳥などの鳥をさすのです。

そっちが天の村雲らしい。

 

後になってヤマトタケルの伝説にして「草なぎの剣」
にしていると思います。

 

※大鳥城跡

信夫佐藤氏も城名が「大鳥」。
国衡の母が、信夫の人だったら葛城氏です。


だとすると、村雲は、奈良県の葛城王朝があった
「笛吹神社」


「葛木坐火雷神社」のこと。
葛木にいます火雷神の社

かつらぎにいますよ、火の神は。
と言っているのかしら?
 

鉄民ですな。
この笛吹連が「天香山命(あめのかぐやまのみこと)」という。

 

天香山命・・・尾張物部氏や高倉下でてきますので、
南相馬にあったイシコリトベのことも関連します。

 

そして、葛木坐火雷神社は、

「音楽の神さま」(笛の)
また地名は「忍海郡(おしみ)」なのです。


信夫山と繋がりますね。
義経の従者になった信夫佐藤兄弟だからこそ。

 



なぜ、あこや姫が伝わるのか?
「中将姫」という名が繋がるからです。
(青の飯豊のことで書いていたこと)

その忍海に角刺神社(つのさしじんじゃ)があり
『古事記」には北花内に御陵のある飯豊天皇(女帝)
葛城の忍海の高木の角刺宮で即位したと記されています。


そこに鏡池があり、
曼荼羅を編んだ中将姫の伝承があるからです。

※聖徳太子と関連あるお寺

曼荼羅を織るために探し求めた蓮があり、
その願いがかなったお礼に松を植えたのが
「袖の松」という。

袖の松は、この白河の関(福島)の衣通姫と同じ。

 


源義経も白河の関にいますね。

義経は白河関を通る時に、幌をかけたと伝わる。

 



妄想するに、古来、葛城王朝が陸奥へ逃れたこと。
鏡というのはその王族の血を受け継ぐ女帝。

だから福島の采女が、葛城に嫁いだのは、古来の女帝の系譜をもつ人なのでは?

 

奈良へ嫁いだことを、都ではどのように伝えているか。

結局、水に沈められる話しにされるのです。

 

そう考えると、男性は、落馬。

国衡の落馬した付近に伝わる伝説から、白鳥、鷹の大高山、黒い馬、牛と笛を吹く少年などがあり、

 

そこに「薬師」があり信夫佐藤氏の菩提寺は「医王寺」です。


ということで、いろいろ妄想できますが、

頼朝が必要とした安徳天皇の剣を取り戻すために、

執拗に義経を追っていたとしたら?

 

その剣は、本物?偽物?

 

天叢雲剣は、当時、銅剣が主流であった時代では、
珍しく鉄製の剣だと言われ、
良質な出雲産の玉鋼を使用して鍛えられたと考えられています。


それで、海童(ワタツミ)達は、ふるさとをしのび 
「とうけん」(土笛の一種)を 吹いていたとされ、
後に竹笛をふいていたといわれます。

 

出雲族が葛城地方へ移住して
開墾したことから由来する説があるのです。

 

※クリシュナ

 

 それは、鴨家とのつながりも意味する

 

蔵王は、蔵王権現ですから。
スサノオの牛頭天王とも深い関わりをもつ存在です。

 

余談---------------------------

 

今日は「防災フォーラム」の話を聞いてきました。

仙台には、すごい人がいます。

 

 

「土着の魂」という言葉があるのを千葉さんからこんな話を。

 

例えば、高齢者の方を津波がくるから逃げなさいと助けにいった

消防士が亡くなっている。

 

介護施設でもヘルパーさんも、

防災無線で必死に訴えた職員も津波で亡くなっています。

 

「逃げなさい」と言っているのは、

この地に先祖が代々続いてきた家系が生きている。

生きてほしいからその家を無くしてはならない。

と、いった思想がある。

 

この思想が「土着の魂」を生んできた(提唱している)のが

三陸でした。

 

が、この意味をわからない学者は多いもの。

 

「子どもたちは地域と関わると自己肯定感があがる」

統計がでています。

 

子どもたちが「体験をほしがっている」ことは、

わかりませんでした。

 

とっても深い話で、改めて防災の必要性を感じました。

 

「人は故郷にもどる」

その言葉を心に刻み、これからも歩くまほろば探訪。

(いや、ほとんど車・・・UFO

 

伊達政宗は、このことを言っていたのですね。

改めて、仙台の親分も、すごいぞ。おばけ

 

最後に、大高山神社のこと。

 

つづく