「一千二百年も、むかしのこと。

蝦夷地平定に訪れた坂上田村麻呂からこの地を守ろうとしたのが、
鬼五郎・幡五郎兄弟。

武道にすぐれた鬼五郎と、兄亡き後治世を行った
幡五郎は故郷を愛した英雄として語り継がれています。

 



その昔、早稲川の里に里の長である鬼五郎と、
弟の幡五郎の兄弟が住んでいました。

二人は力を合わせ、先祖から受け継がれてきたふるさとの田畑を守り、
さらに豊かにしようと、里の人々の先頭に立って働いていました。

政府の蝦夷討伐がはじまったのはちょうどこの頃、
陸奥の平定を大義に掲げる政府軍を率いた坂上田村麻呂が、
この地にも攻め入ってきました。

これに猛然と立ち上がったのが阿武隈山系一帯に勢力を
ふるっていた大多鬼丸。

もちろん彼の部下であった鬼五郎もまた、
秀でた武術を発揮し、政府軍を迎え撃ちました。

しかし、ねばる政府軍を前に戦いは長期戦へともつれこみました。

しかし、激しく長い戦いの中で奮闘を重ねた
大多鬼丸軍にしだいに敗色が濃くなり、
仙台平まで追い込まれてしまいました。

 



「お前は生きのびて立派に守ってくれ。
わしは死んでも鬼となってこの地を見守ろうぞ。」
と鬼五郎は弟に言い残し、壮絶な最期を遂げました。

愛するふるさとのため、勇敢に戦い抜いた鬼五郎と、
兄の遺志をつぎ豊かな早稲川の里づくりに励んだ弟・幡五郎。

ふるさとを愛した兄弟の想いは今も
人々の胸に脈々と生き続けています。」

 

 

 

 

※田村市の公式サイトより。

 

過去記事、
数年前の5月に行った時のこと。

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「あぶくま洞」は、田村市にあり、近くは「小野」の郷でもあり。
福島はとてもきれいな里風景が好きです。
新緑の東北は、いいね~。

 

 

行きは東北道で郡山JCT→磐越自動車道で小野JCTで降りる。

帰りは、とことこ349号線を走り、川俣~伊達市~国見へ。
田園風景が素晴らしい道。

 

 

なんか、イタリアのシチリア島みたいだよ~~。キラキラ

 

 



阿武隈鍾乳洞は、まだまだ調査中で2500m以上も続く未開部分があります。
昭和44年に石灰石を採石中に発見され、
GWはたくさんの人で渋滞・・・。

 

 

鬼穴

 

 

「洞内はあぶくま洞と連結しているため、鬼穴から流入した雨水はあぶくま洞へと続いており、
あぶくま洞内に生息するニホンテングコウモリが鬼穴にも生息していることから保護のため、
洞内入口には扉が設置され2004年以降入洞ができなくなっています。」

 

 

 



鬼穴は、多田鬼丸が戦時食糧軍資金金銀宝物など
多量に洞内奥深く貯えたと伝えられています。

最後はこの鬼穴で自害しました。
そして、大多鬼丸は仙台平の高台に葬られ、
今でも鬼穴最大のホール「大多鬼丸ホール」や
同じく鬼穴内の「大多鬼丸の腰かけ石」などにその名を残しています。



 

※鬼穴

 

この穴に入ると、檻のような柵があり、真っ暗で何も見えない。
だ~れもいない場所で、暗く狭い洞窟に入る先には、
だいたい、何かの像が置かれるもの。

どっちにしても、「金」を持つようになってから人は「鬼」になった。
鬼穴は、阿武隈鍾乳洞につながっています。

地質では、日本最大の高低差をもつフローストーン(流華石)が
見られるそうです。


フローストーンは流れ石ともいい、
流れ落ちた水に含まれる石灰分が結晶して洞壁を覆ったものです。

 

 

鬼と手長足長

 


舟引き祭りというのが磐梯山の麓に伝わり、
磐梯明神とは、手長足長神を弘法大師が封じたといわれています。

鬼伝説となった鬼五郎・幡五郎兄弟がいた
隣町の「舟引町」という地名に興味がありあり。

地名からすると、磐梯明神に由来しているのでは?

東北には多々ある弘法大師ですが、
阿武隈山系の特徴は巨石群が集中していること!

 

丸森で数年前に洪水の被害があり、

大量の大石がたくさん川そばにあるのをみると、

なぜ、この付近にはこんなに大量の石が埋まっているのか・・・

 

こんなイメージがわく。(もうそー)

天上でバンっ!と割れて落ちたしずくが石になった。

 

※天空の城ラピュタ
 
茨城県北部まで至る阿武隈山系には、
「たつわれ山」など、人工石といわれる巨石が集中しています。

阿武隈山系が茨城県とつなぐ地層であるなら、
カカセオが逃れてきたと思ってしまう。
 
6500万年前の彗星衝突により急激な化学反応により、
絶滅した種があった中、人類はなぜか生き延びたと。

 
あぶくま洞の地質は、約3億年前に形成されたといわれ、

新しいものでも7000~8000万年前である。

大洪水前からあった地層なのだから・・・
どうやって大洪水を逃れたのだろう。

 

山頂までは登れなかったけれど、

「石ぽっけ」という名前の阿武隈山系があります。

 

 

 

 

 

 

 



鬼は、六芒星の力があったという伝説が、岩手県にある。

地元に貢献していた鬼といわれた人々が、
仏教など別の宗教から排除される話に。

弘法大師など、円仁もあちこち東北へ行っているのは、

大体、ダイダラボッチや手長足長明神の伝承がある所、

だったりする。

磐梯山もそうだし、鳥海山も同様。

 

 

 

 

御嶽のウタキ

 

 

他に、大滝丸は、タケルの「武」や「竹」の字を当てることもあります。
宮城県では「のの岳」の伝承に、大竹丸とあり、
坂上田村麻呂が退治した鬼の体を分けて埋葬したといわれます。

室や洞窟は、生と死の再生の意味がありますが、
他にも、女性だけの祭祀場所だったことも考えられます。
→ウタキ。

ノロなど、沖縄、宮古島などが多いものです。

森や川、泉に先祖供養や先祖の霊を弔うことをしていたため、
室や洞窟は、子宮と重ねられるのです。

そこにおこもりする修験者は、
新たに生まれ変わることを望んで。

 

悪路王伝説は各地にあるが、男性とは限らない。

 

大滝丸はここで討たれ、千代も長く栄華を残したかっただろう、

という意味をこめて、千代としたという話があります。

鬼がいた室の「千代」センダイというのは、
君が代の「ちよ」とも読めるねぇ。

 



何千万年、何億年も、細石は不変なく居続けている。
磐座は大洪水でも流されることもなく、
君が代の歌は、千代に八千代にとある。
 
細かい小さな石が集まって大きな磐となり、
この地球で生きていくことを誓う歌。


苔のむすまで。

鬼という存在から、千代という清らかな魂に変わったのであれば、
それで良いじゃないか、と思う。
 

 

 

 

言霊でいうオニ

 


 
参考に。

オニは、言霊の解釈では?


一例:

「鬼(オニ)の「オ」は言霊(ことたま)オのことで、物時の関連性(緒・尾)を調べる
人間性能のこと、鬼の「ニ」はその関連性を学問として第二次的にまとめて行くことで、
そこから科学・産業の世界が展開して来ます。


それは『古事記』に示されている須佐男命の支配する世界であり、
人類に素晴しい便利な生活の道具(宝物)を実現しました。

と同時に権力闘争の道具に使われ、戦争による生命の危倹、人心の荒廃、
公害の発生等をももたらしました。


何時までもこの宝物を鬼の独走の手に委しておくわけにはゆきません。
天照大神の生命の原理の中に取り込まなければなりません。」


(島田正路氏、おとぎ講:桃太郎より引用)

鬼伝説がとても多い阿武隈山系。
鬼の住むところ、巨石あり。

「根」のクニ。

阿武隈。

 



※春先には、吾妻うさぎが見られます。

次は、繋がって行く磐梯山の方へ。