今度は、山形県の過去記事を。
過去にいった伝説を紹介。

山形県で有名な熊野といったら南陽市の熊野大社ですが、
もっとたくさんの熊野神社があり、
とても興味深い歴史があるのは「湯野沢熊野神社」

創作している部分もありますが、ほぼ実話です。

 

残酷な戦国時代でしたが、守ろうとした人たちがいたんだな~と

思って読んで頂けると幸いです。


山形は出羽三山があるから葉山や羽黒修験の聖地。
羽黒修験と熊野修験は、深い関係をもっていたようです。

 

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湯野沢熊野神社は、集落の裏手の山にあります。

慈恩寺舞楽の時によった平塩熊野神社と雰囲気が似ています。

 



また、このあたり、武家屋敷だったような趣ある家々があり、 
用水路(小川)もながれ、とても風情がある所です。

集落に向かい、山奥へすすむと大きな湖があり、
人工湖なのかどうかよくわからない。

 

 

 釣りをしている人がいたけれど、本当にこの道でよいのか不安・・・

 
 

湖の側で車を止めて、続く車道を歩いていくとちゃんとありました。
ほんとにお籠りな場所!

 

(一の鳥居)

山中にポツンと祀られている立派な神社です。

 

 

池があり。

 

 

 



『湯野沢熊野神社は承元(1207)年、時の湯野沢領主

平友康(通称熊野三郎)が、
紀伊国熊野本宮より熊野大神を御分霊して創建された神社といわれています。
 以来現在の北村山南部地域の総鎮守として信仰されてきました。 

江戸時代には新庄藩御祈願所として新庄藩主代々の信仰篤く、
 帳幕などが奉納されています。 

明治8年に郷社に列せられました。 
平成25年、本殿と拝殿が国指定登録有形文化財に指定されました。』

 

 


二の鳥居

神社の前でじーーーっと立っていたけど、 
全く風はないし、鳥もないてないし、虫すらいない。
異様な静けさ。

 

 

看板の説明では「春の新緑の季節は野鳥の鳴き声が響きわたり・・・」 とあるのですが、
こんな鎮守な森でもまったくもって静か。

 

・・・なにか、潜んでます?ニヤニヤ

 

 

本殿へ行くまでの途中に、

たくさんの祠が並んであります。

 

※貴船大神

 

※月山大神

 

※八幡大神

 

※鹿島大神

 

※湯殿大神

 

※愛宕大神

 

※北野天神

 

※稲荷大神

 

はい、到着。

 

 

湧水ってところが良い。

 

※三の鳥居

 


 

ふっと戦国時代の巻物の図が浮かんだ。
甲冑をきた人が馬にのって駆け巡る姿だった。
(この後、たちよった資料館で最上氏の絵巻図があった)

「最上氏」の合戦様子を描いた絵(パネル)をみて、
この神社に伝わる伝説の意味がわかるのです。


 
 
英語あり。

 

 

 

おくまん様の大杉

 

 

■熊野三郎という人------------------------

なぜ、この神社に来たかといえば・・・
熊野本宮を勧請した「熊野三郎」という人。

かなり前から調べていた伝説「阿古耶姫(あこや)」があります。

山形各地に伝わるあこや姫の伝説の中に、
白鳥十郎長久の妻があこや姫という話があり、
その白鳥氏は、この湯野沢の熊野神社に伝わる人物だったのです。

それは、ヤタガラスと共にいた「熊野三郎」が関係していた。

熊野三郎=「平友康」という人は、元は最上氏についていた家臣であり、
白鳥氏とは敵だった。※平家物語の「平知康」説もあり。

 

別名に通称「十郎」

南北朝時代の頃で、白鳥氏は御醍醐天皇側の南朝につき、
湯野沢には平家がいて、最上氏と北朝側(北条尊氏)が優勢だった。

 

白鳥氏VS最上氏。

しかし、逆転。

 

白鳥氏は最上氏についていた家臣たちと討ち、 
湯野沢地区や大久保地区には白鳥氏が占拠することになる。

それにより、熊野三郎は白鳥氏側につくことになった。
 

思いおこすこと2016年の7月に書いた記事。
 「白鳥十郎長久とあこや姫」

 

※千歳山にある阿古耶の碑(山形市)

最上義光の娘は、白鳥十郎長久に嫁いだ妻となっている。

(違うパターンもあり)
奥方は「おたえ」様とよんだ。

奥方がどんな人かは、最上義光の娘、最上義光の姉、
熊野三郎の娘と諸説あり、 よくわかっていません。
時代は、織田信長がいた1500年代。

 

 

この歴史には、

白鳥長久は、最上義光により殺害される話です。

ある時、最上義光は、白鳥十郎長久をよびます。

義光の娘が白鳥長久に嫁いだとすれば、 
白鳥長久にとって最上義光は義父となる。

そんな義父の誘いを断ることができないため、
また、この時最上義光は病に伏せていたという話を聞き、見舞へいったと。

白鳥長久は最上義光のもとへ行くのですが、
義光の枕もとに隠されていた刀で 白鳥長久は殺されてしまいます。


その血が桜の木に飛び散ったといわれ、「血染めの桜事件」とよばれます。
 

白鳥氏についていた熊野三郎も、最上氏により討たれてしまうという
話があるのです。

 

 

■ヤタガラスと熊野三郎-----------------

 

といった話から、熊野三郎は、熊野信者であるため、

実は、「白鳥氏を守ろうとしてヤタガラスが警告をしたんだよ~」

と、地元では伝わっています。

 

いろいろとキーワードがありますよ。

「6月始めのこと、白鳥十郎は38人の重臣たちを突き合わせて城をでる。 

そして田井橋の所の渡し場で一回目の休憩をとっていると、 
白鳥十郎の乗りかごに烏が飛んできて、糞を落して鳴きながら飛び去りった。
それを見た熊野三郎は、

「烏が湯野沢の熊野山の方から飛んできて、
糞を落して 、また熊野山の方へ飛び立った。

これは熊野山の神の使いとされている 八咫烏が危険だと知らせにきたのだ。」
と思い、

「殿、今日は縁起が悪いから……」 

といって最上義光のところに行くのは取りやめなさるようご忠告申し上げたが、  
白鳥十郎は

「気にすることはない。」


といって、そのまま山形城に行きましたが、殺害されてしまう。

 


なぜ、最上氏は白鳥氏をうらんでいたかと言えば、

織田信長により白鳥長久は 出羽国の国主を命じられ、
「ひおどしの鎧」を受けたという。  

(ひおどし:鎧の縅が、クチナシやキハダで下染めし、 
その上から紅や緋で染めた紐や革緒などで縅したもの)

 

※五月人形のサイトから。


国主になりたかった最上氏は、

認めてもらえなかったことで怨みを?

 

これって、白鳥氏を

南朝の皇子にしたかったのでは・・・?キョロキョロ

奥方と娘は、白鳥長久が殺害されてから、最上氏に追われ、
熊野修験が奥方を逃し河北町谷地地区の
「阿弥陀堂」にかくまったとされます。

 

この阿弥陀堂が、元は熊野神社でした。

 

救ったのは、熊野比丘尼や葉山・出羽の旭の連携プレーキラキラ

 

かっこよすぎます。

 

が、岩木の三里塚まで逃げて来たとき、待ちぶせしていた

最上義光の家来たちに見つかり、  
奥方は岩木のおくまん様のところにあった家へ逃げ隠れました。  


家来が3人殺されましたが、奥方は助かりました。

 奥方はこの家の人にかくまってくれたお礼にと、
白味の鏡をおいていったそうです。

この鏡をお祀りしたのが岩木の熊野神社(現:谷地区阿弥陀堂)
であると伝えられています。  
 他の家臣たちは更に逃げのび沢畑の四ツ塚で殺されたといわれています。


そして白鳥十郎の奥方は西里・慈恩寺・大谷へと逃げのびて、 
ゴゴウさまとして生活したということです。  

奥方は待女たちをつれて村々をまわり、
米を5合ずつもらい歩いて生活していましたから  ゴゴウさまというのだそうです。

ゴゴウ様=あこや姫

 

 

あこや姫は、藤原家の皇女と伝わり、

貧しい人たちに尽くした女性で、各地に多くの施しを与えたと伝わっています。

 

 

天童にある舞鶴山は、織田信長を祀り忌部氏に繋がっていました。
白鳥氏も忌部氏につながっている氏族だった?と考えれば、

 

出雲との関連があったのでしょうか?
 
ちなみに、白鳥長久が「38人の従者」を連れて最上義光へ向かった話は、
イザナギ・イザナミの子供が38人いたことから由来すると思います。

※熊野の神
 
白鳥氏を神格化して伝承させているのも、熊野修験が伝えたもので、
 ある説では、白鳥氏はアテルイの末裔と聞いたことがある・・・

岩手県にも白鳥があります。

 

安倍氏の白鳥館とかね。

また、この三十八の漢字は、分解すると「秦」の漢字になるそうです。
「三」「十」「八」「ノ」「人」だって。
どーなんだか。

たしかに・・・「白味の鏡」とか言われますけど、 
甲冑の糸も、それぞれの色により全国に奉納されているようです。
白鳥氏は、漢字のごとく白なので、新羅なんかさー。

八戸の櫛引八幡神社は、赤糸の甲冑です。
(国宝 赤糸威鎧) ※義経伝承ある神社です。


ということで、山形県の熊野神社は、

出羽と熊野が混在しており、

平家が熊野信者(関東など)多いことがあったと思います。

ちなみに、このあたりは、弁慶なり義経なり、
通っている?(妄想)

瀬見温泉へ繋いでおきます。

 

 

 

■最後に逸話--------------------------------


最上義光は、長久の娘(あるいは養女:日吉姫)を
嫡男義康の妻に迎える為として、蔵増(天童市)から谷地(河北町)へ至る
「向去り(むかさり)道」を蔵増親景(大膳亮)に命じて造らせる一方、
その縁談が破談となり白鳥長久を山形城へ誘い出し暗殺すると、
向去り道を一気に攻め上り谷地城を落城させた。

 

武士の父は、娘を利用して敵を討ち落とす・・・えーん

 

おしまい。