熱海の話を書こうかと思ったのですが、

まとめられないので、機会があった時にかきます。

 

梅雨に入る前に刈田岳に登ってきたことを。


今年も初夏に、大黒天~刈田岳まで登ってきました。
今年は、ほとんど山へ行ってなかったので、

足の筋力が落ちてます・・・

 

猛暑を乗り越えるために、少しは体を慣らしておきたい。

一番、気軽なのは近くの蔵王、刈田岳。

ところで、こんな本があります。

『作家の山旅』

 

 

 

これ読んでいると、山に登りたくなります。

でも、どの経験者も、なんでこんなに苦しんだろう・・・という体験。

 

なぜそんなにまでして山に登りたくなるのか?

 

文学者も皆、山に魅了されていたこと。
このエッセイ本から一部を紹介します。

 



まずは、蔵王。

 

■斎藤茂吉 (山形県南村山郡金瓶出身)

大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物

 

 

「蔵王山」

蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ

死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁のいろのみづ見ゆるかな

陸奥(みちのく)をふわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

 

 

 

 

■結城哀草果(山形県山形市菅沢出身)

(1893年10月13日 - 1974年6月29日)歌人、随筆家。

 

 

「蔵王山」

西方に日はおちゆきて蔵王嶺の雪雲しばし茜ににほふ

山小屋に焚火しをれば夜の谷の雪崩おこりてしばらくきこゆ

さにづらふとめの面も雪やけて蔵王山を下り来りけり

 

 

 

■亀井勝一郎

昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員
北海道函館区(現・函館市)元町生まれ

 

 

「私がはじめて登山らしい登山を試みたのは、大正十二年の初夏、
山形県の蔵王山へ登ったときである。(略)

 



高等学校へ入った年で、山岳部の広告につられて、
私はふと一行に加わる気になった。


麓から眺めると大した山でもなさそうだし、
気軽に出かけたのだが、いざ登ってみると波乱万丈畳容易に頂上に達しない。

こんな苦労をするのではなかったと忌々しく思った。
しかし、八合目あたりから、遠い雲間に浮かんだ鳥海山の絶頂を
望見したときは、さすがに俗界を離れたような爽快な気分を
味わうことができた。(略)以来、十七年の間蔵王の姿は折にふれて
私の心を去来するのだ。登山趣味のない私は、その後登山をしなくなった。」

 

 

------------------------------山とは

 

■与謝野晶子

1878年〈明治11年〉12月7日 - 1942年〈昭和17年〉5月29日)
日本の歌人、作家、思想家
大阪府堺市堺区甲斐町出身

 

 

「人間は大体平地に住んでいる。
それで天とか山とかを仰いで高い所へあこがれる心を、
悠久な大昔の野蛮人が既に持っている。

高い所に在るものは太陽でも、雲でも、月や星でも
すべて美しいものに感ぜられる。
美しいばかりではなく、気高いもの、偉いもの、
神秘なものにさえ感ぜられる。

神が天に住んで人間を司配すると考えて宗教が発生したのも、
もとは此の高きにあこがれる心からであった。」

 

 

 

■高村光太郎

1883年〈明治16年〉3月13日 - 1956年〈昭和31年〉4月2日
日本の詩人・歌人・彫刻家・画家
東京府東京市下谷区下谷西町出身

 


 

「山の重さが私を攻め囲んだ。
私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて
山に向つた。
山はみじろぎもしない
山は四方から森厳な静寂をこんこんと噴き出した。

たまらない恐怖に
私の魂は満ちた
ととつ、とつ、ととつ、とつ、と
底の方から脈うち始めた私の全意識は
忽ちまつばだかの山脈に押し返した。」

 

 

■石川啄木
1886年〈明治19年〉2月20日 - 1912年(明治45年〉4月13日、
岩手県出身の日本の歌人、詩人。

 


 

「二日前に山の絵見しが
今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山

かにかくに渋民村には恋しかり
おもひでの山
おもひでの川

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな」

※一握りの砂より

 

 

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私にとって山とは何かを考えれば・・・

人間がちっぽけであることを知る。
おおらかであっても、決しておごることはない。
そんな小さな人間でありたい。

 

 

 

 

 

今年も!コマクサ(まだちょっと早かった)

これからが見ごろです。:蔵王山頂手前のこまくさ平にて。

 

 

 

 

 

 

 

・・・ニヤニヤ 誰かの忘れもの

 

 

夏登山、紹介しておきまーす。