先日、再び、松島の瑞巌寺へ行ってきました。
Aさんが葉山神社のことを前から気になっていたというので、
案内してきました。

また、いろいろ発見がありましたが、
以前にたくさん書いているので、スル―。

さて、Aさんと瑞巌寺へお参りした後に、
行ってみたい弁財天があるとの事。

瑞巌寺の出口からすぐ左へ進んでいくと、
小さな池があります。

 



「放生池」との事。

 



ちょっと読めない部分があるんですけどー。

放生池というのは、殺生を禁じられた
生き物を放つ池のことです。

看板より
「~位置は少し違うが、この池が放生池に相当する
天隣院の側に??があるが
瑞巌寺には左??方に放生池があるわけである。

この池は蓮が植えられていたので「蓮池」と呼ばれ、
又、何時の頃からか弁財天が祀られ、信仰を集めていた。」

 

小さな祠に木像の女性っぽい像が。

アートっぽくて素敵です。

 



それで。
驚いたことに、

この行った日が「例大祭」だった!

 

 

旗が穴だらけ・・・

六月十三とみえる。

 

 

でも、
誰もいない~~。

ボロボロの旗~~。えーん

・・・寂しいねぇ。

 

Aさんとボロボロの旗が、なぜ虫食いみたいになっているのか?

白い文字のとこだけ穴が空いているのは?とか。

旗にツッコミしながら、お参りして帰りました。

 

※白いのはアジザイの花

 



すると、その晩、不思議な夢をみてしまう・・・

盲人の男性とおつきの男性が2人歩いてきて私たちの横を
通りすぎようとしてました。
(場所はわかりません)

私はAさんと話をしていると、
私の声を聞いて「ああ!その声は」みたいな感じで
近寄って来て、「ありがとう」と感謝の言葉を突然言われて、

目が見えない方が、私の声で気づいたことに、
びっくりしたのですが、
なぜか夢の中では知っている人なのか、
ああ!となってお互いに、わ~、良かったね~みたいな感じで
ハグして称えあうという、なんだか嬉しい夢でした。

盲巫というのがぴったりな弁財天だと思ったのは、
元は瑞巌寺は天台宗だからです。

 

 

 

↑が成長して、

↓になる。

 

 

そろそろアジサイが見ごろです~。

素敵~~♪

 

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ところで、蓮池弁財天というのは、
けっこう全国にありそうな名前。

調べてみると、神奈川県にもありました。

まあ、妄想ですけど、
鎌倉で北条氏側の方の弁財天がここに坐す、という感じを受けます。

松島の弁財天といえば、福浦の方へ行きますね。

ただこの池が、「放生池」ということから、
盲巫でなければ、供養しきれないほどの強さがあるでしょう。

南北朝のころ、北条氏(名前忘れた)が、
天台宗の瑞巌寺から曹洞宗に変えたという歴史があり、
その際、天台宗の僧侶を追放した事があったのかどうか。
あのあたり、十三塚とかあったりしていろいろあります。

しかし、今回の夢から感じたのは、
鎌倉弁財天といえばその北条氏と関わりが深い「蓮池弁財天」が
神奈川と同じ名前ということで、シンクロ

その鎌倉の蓮池弁財天のルーツは、「江の島」なんだそうです。

江の島の弁財天と夢に登場してきた盲巫から繋がるのは、
相模の「瞽女(ごぜ)」です。

 



夢に登場したのは男性でしたが、

瞽女縁起の中に
「嵯峨天皇の第四宮女にて相模の姫君とあり、

相模の姫君が盲人の子で、
七歳の時に紀伊国那智山如意輪観世菩薩
が枕元にたち、

「君は末世の女人盲人の師と成らせ給ふへし・・・」

とお告げがあります。

紀伊国那智山ですから、那智山如意輪観世菩薩=青岸渡寺です。

この瞽女縁起の話は、
演奏の名家、西園寺家、伏見宮家がもたらした妙音弁才天とされ、

西洋の吟遊詩人から日本に伝わり
インドではサラスバティの芸能の神となり、

日本では琵琶法師や口寄せ、瞽女によって「英雄を語る」
芸能になったものです。

何度もシンクロする「妙音」。

江の島弁財天のうちのひとつがその妙音弁財天。

 



左:妙音弁財天

となりの江の島弁財天は、岩沼の金蛇水神社に祀られている
八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と同じ。

で、ネットで江の島の弁財天をぐぐって驚き!

なんと、この弁財天さんは、江島神社より

鎌倉時代初期、源頼朝が鎌倉に幕府を開くとき、
奥州の藤原秀衡調伏祈願のため」 


文覚上人に命じて造らせ、二十一日間祈願させたことが、
『吾妻鏡』に記されています。


江の島は、奥州藤原氏と濃厚な関係だったの!?凝視

そうなの?
あの江の島ってそうだったの?

 

鎌倉幕府を開くには、奥州藤原氏の討伐が必要だった理由とは?

でも、鎌倉に平泉はできなかった。

頼朝の能力には、向かない。

めちゃくちゃスピ好きがいく江の島弁財天なのに、
調伏していたと言われてしまってはねぇ。

 

吾妻鏡は、中世の歴史を知る雄一の歴史書ですので、

確証はないにしても、適当な話ではないと思う。

 

それに対し、妙音弁財天は、

「裸弁財天」ともいわれ、
琵琶を抱えた全裸体の座像です。

女性の象徴をすべて備えられた大変珍しい御姿で、
鎌倉時代中期以降の傑作とされています。

音楽芸能の上達を願う多くの人々より信仰を集めています。

 

・・・珍しいの?

白と青色なのは、
江の島、竹生島、厳島の弁財天の姿は、

女神、白色の美顔、頭に宝冠、一般には青色の衣を着し、
左手には琵琶を抱くことが共通なのです。

ということで、Aさんが気づいてくれて、
拾ってくれたおかげで、盲巫が供養されたと思います。

ありがたいご縁でした。虹

 

■不思議な繋がり---------------------------------

が、まだある!!
これで終わらないんだなぁ。オエー

13日に瑞巌寺の弁財天参りをして、
実は、今日15日、盛岡の友人と平泉で会ってました。

 

 

14日を挟んでの、天台宗なわけです。

 



ただ、観光というよりお互いに近いところで会おうとなり、
仙台と盛岡の中間が平泉だよな、という事で
遊んできたのですが、(ずっと食べてた。)

 

※ごま摺りソフトクリーム

このごまは、おいしいですよね~。

 

 

平泉駅近くの喫茶店「琥珀」(こはく)・・・あんみつ♪

 

 

このお店、よく利用してます。

甘いものに飢えている・・・

 

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その14日に何があったかといえば、
宮城・岩手内陸地震(忘れてたよ)

実は、友人と平泉で会うのは、あの地震があった時以来なんです。


その時、友人は江刺に住んでいたのです。
私は一関だと思っていたら、江刺だよ、って。
ああ、そうだったのか。

地震の数日後に、平泉へ行ってみたらその時は、
まだ世界遺産にも震災もなかった時。
誰もいなくて。

 

それから、震災後、毎年、平泉へ行くようになってしまった・・・

それで、道の駅へ行った時に
世界遺産ガイダンスセンターで企画展のポスターを発見。

「伊豆山」!!だった。
(企画展はみてないけど気になる~~)

 

 

頼朝が奥州藤原氏への打倒を文覚に命じた話は、
伊豆国蛭ヶ島に配流の身だった源頼朝と出会うことがきっかけ。

そこでお願いしてるわけですよね、たぶん。
頼朝は、伊豆山権現に帰依した(教えに従う)こともあったそうです。

※如意輪観音です。

文覚は、のちに頼朝が平氏や奥州藤原氏を討滅し、権力を掌握していく過程で、
頼朝や後白河法皇の庇護を受けて神護寺、東寺、高野山大塔、東大寺、
江の島弁財天など、各地の寺院を勧請し、所領を回復したり建物を修復した。


ということだから、鎌倉や熱海に向いている。

次の過去記事を何にしようか候補を考えていた時に、
「熱海」が入っていたのでね。

じゃあ、熱海か。
10年も前になるかな。
ただ、梅をみただけなんだよな。

書けたら、書きます。

 

おまけ--------------------------------

 

葉山神社の写真(Aさん撮影)

ピンクのアーチ!

 

 

 

で、下の奥の院にある洞窟。

これが龍穴に似ている、とAさん。

 

 

濃い青い色にうつっている。(Aさん撮影)

 

私のは、白いのが写っている。笑~(左の棒みたいな)

変な虫でも飛んでるか?

 

 

また、この木が不思議。

異なる種の木なのに。

 

 

仲良しすぎて形も鏡のようにそっくり!!びっくり

 

 

いろいろ、見せてくれてありがとう。

顕かにしていきます。