2018年10月にお参りした内容。

猿麻呂の伝説で、戦場ヶ原で戦った猿麻呂は、
石巻の北村が本家であるという伝説でした。

藤原秀郷の関係と思いますが、
猿麻呂の母が「アサヒ姫」であることから、
旭山公園という名前なのかどうか・・・

後で知って驚いたのですが、
「この戦いにより、二荒の神の領土を授けられた猿麻呂は、鎮護の神となった。
瀧尾女体の中の宮は

朝日姫を祀ったもので、

太郎明神は馬主を祀り、
宇都宮明神は猿麻呂を祀ったものだという。」


この瀧尾女体の中の宮とは、
日光の「瀧尾神社」で、

弘仁11年(820)弘法大師が女峰山を拝し

妃神・田心姫命を
お祀りした神社のことなのです。

 

つまり、旭姫=田心姫

※日光三権現・・・滝尾権現、新宮権現、本宮権現
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過去に歩いた参拝路をのせておきます。
瀧尾神社は好きで、日光へ行った時は、
訪れるようにしています。飛び出すハート

東照宮から歩いていくことも可能ですが、時間がかかります。

といっても1時間はかからない距離なのでさほど大変ではありませんが、
でも、戻ってくることを考えたらちょっと遠いかなあ。

 



苔が素敵な森。

 

 

私が小人だったらここを布団にして寝ていたな。笑

 



でも寝がえりして川に落ちてしまい、なぜか待ち構えていた桃太郎にひろわれ、
鬼退治に働かされる。みたいな~ニヤニヤ

 

でかせぎかーい。

 


 

「香車(きょしゃ)」という将棋の駒がたくさんありました。
英語では槍の意味と?

 



「きょうす」と呼ばれることもある。

 



通称は「香」、俗に「槍」とも言われます。

「これは、香車の駒の効きが前方に離れたところまで及ぶため、
長い突き武器である槍をイメージさせるからであろう。」
(Wikipedia)

 

将棋はわからないので、香車がなんだかわからない。
調べてもよくわからない。


ここの御堂は、安産のご加護があるといわれます。

 

「妊娠した女性は香車堂に詣で安産を祈願し、
安置されている香車駒を借りて持ち帰る。
そして無事出産した際、新しい香車駒を作って香車堂に詣で奉納し、
借りていた香車駒も返納して、安産御礼をする。
また産道を真っ直ぐ進み、将来は金となるようにという思いからの民間信仰ともいう」

 



安産のお礼に駒を返納するため、たくさんあるわけです。
ということは女性の講ですね。

「香」が「カグ」と呼び、
「香島」とか、鹿児島の由来になっている「カグシマ」なんだろうか。

カグツチ・・・カグヤヒメ。

鹿島もそうで。香が鹿とリンクしているのだったら・・・。

香りの島というのは、草をいぶした匂いを想像してしまう。
そのような島は墓場だったのか・・・。
ここで鹿屋野姫と会ってみたいと思った。

 



そばに、陰陽石というのがあり、うっそうとした森の中に静かな池。
触れてはいけないような池。

 

 

けるとちっく。

 



 その奥にも何かあるので行ってみたら、
勝道上人のお墓でした。

 

 

ほとんど人が参拝にこない所にひっそりとお墓が。

 

勝道上人は強いお坊さんというイメージです。
上人は水にこだわっていた気もします。
そんな水神を望んでいたと思うので、栃木県の多気山不動尊などもそれで、
(勝道上人の弟子が建てた)
瀧神を意識していたことは確かでしょう。

 

(北野神社)→菅原道真

裏に、いろいろ・・・いる。

 

 

 

 

 



下の東照宮には人がた~くさんいて賑やかなのに、
ここは全く違う世界です。

 



そのまま滝尾神社へ進むと、また出会った菅原道真。
また見かけた梅の家紋。

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秀郷は下野(しもつけ)栃木県の官人でした。

俵藤太ともいわれ、藤原秀郷は下野国(栃木県)と
武蔵国の鎮守府将軍として任命されていました。

平将門の乱で平家を倒した人ですが、
秋田物部氏(秋田へ逃れた物部氏)の子孫も、
関東の物部氏(千葉県付近にいた物部氏)を
援助しながら平将門の乱に参戦していました。
 

奥州藤原氏の話になりますが、藤原経清(藤原秀郷6代)の父、
頼遠は坂東の武人だったそうです。

板東の武士から受け継いだ藤原経清の子が、初代奥州藤原清衡になり、
奥さまは、安倍頼時の娘と。

なんだかやたら「旭」が登場するんですけど、
ネットで調べたら、平将門は「旭将軍」と名乗っていたと!
太陽信仰のこと?

平将門が新しい王朝を建てることを考えていたのは有名ですね。

平泉の建国に、板東の武士団と平将門の王国が関与しているのなら興味深い。
平将門の方が古いから。

 

そういえば、藤原秀郷と平将門は、互いに討伐争いをして、

平家が負けた歴史では?

 



徳川家康の神馬の石碑も。

 

 

 

 

また、こんな石が。

 

 

田心姫が触れたと伝わる大きな石。

 

 

田心姫の文字にほっとした。
癒される~

 


 
この参道は、大きな杉があって不思議な参道です。
木々がすごいな~と思って歩いていると、巨石もある。

 



やっぱ、ムカデは、宗像系の海人族に関連するのでは?

ムカデとハチのヒレの話が神話にありますね。
オオナムチに試練を与えたスサノオのこと。
ムカデとハチのいる部屋に入れられて、
スセリヒメがオオナムチを助けるためにヒレを与えたと。

ヒレというのは「比礼」と書かれますが、
「霊顕」の漢字もあります。
「霊があらわれる」意味で、十種のことらしいが、
言霊の世界なのでね。
何かの詞なのだと思いますが、むずい。

コトノハ。
コトシロ。

 



菅原道真は航海技術者だったと聞くので。
大宰府に左遷されていますから、宗像大社ですよね。
だから、田心姫=タギリビメを祀るのだと思います。

ということで、猿麻呂は、宗像系の海人族の縁がある、
といった話かもしれず。

 



そんなこんなで、いろいろ妄想してしまう参道を20分くらい歩いて、
滝尾神社の入口に到着。

 

あ~、やっぱり良い空気です。

 



やっと神社へ参拝。

 

 



次は、滝尾神社へ。