<2015年の記録>

『太平記 下野国日光開闢記』に記される一説に、


「昔、佐宇の中将という勇士がおり、毎日鷹狩りをしていた。
時の帝より東国へ流される。
馬に跨り鷹を連れて獲物を採りに喜んでいた。

ある時、陸奥国の長者朝日姫をめとり、夫婦仲良く6年過ごし、
一子をもうけ、馬王と名付けた。

朝日姫もこの世を去ったが、この夫婦が二荒神となった。

 


馬王も成長し、勇士となる。愛妾の間に一子をもうけたが、
猿に似ていたので猿麻呂と名付けられる。

小野の里に住居したので、猿麻呂ともよばれ天下にはせた。
朝日姫のいた所が、桃生郡北村の旭山であり、
小野は桃生郡小野をさしたものである。

 



その後、二荒神と上野国赤城の戦場ヶ原の伝説に流れていく。
赤城神におされた二荒神に、鹿島の神が現れる。

 



「小野の猿麻呂は二荒神の子孫である。

武勇天下にならぶ者なき勇士であるから、
その猿麻呂を味方につけて赤城神の勢を打ち破ったらよかろう」
二荒の神は、大変喜び猿麻呂に助勢を頼む。

ある日、猿麻呂はいつものように山へ狩りにでていた。
その時、一頭の白鹿が現れて、猿麻呂の姿をみていた。

 


 

 

猿麻呂は矢を射ると、白鹿は逃げた。
追いかけて矢を再び射ると、白鹿は一人の気高い女神に変わる。


「猿麻呂よ、お前は私の妾の子孫である。
実は鹿島の神の教えてによってお前を訪ねてきたのだ」


敵である赤城神はムカデとなり、われを攻め、
味方は蛇となってこれを対抗している。
お前の武勇を以て、征伐してくれ。
と頼む。
猿麻呂は祖母の頼みを快く承諾し、出陣した。

猿麻呂は、ムカデの左目を矢でつくと、
ムカデは利根川のほとりに至り討ち取る。
その場所が今の宇都宮だという。

この戦いにより、二荒の神の領土を授けられた猿麻呂は、鎮護の神となった。
瀧尾女体の中の宮は、朝日姫を祀ったもので、太郎明神は馬主を祀り、
宇都宮明神は猿麻呂を祀ったものだという。」

 

-----------------------------------------------------
 

日光の本家は、宮城県石巻となるのでしょうか!?

この戦場ヶ原の話は、ムカデと蛇の対決で北関東が舞台になると、
思っていたのですが、
マタギのような弓が上手で狩りをしていた人に助けを求める話は、
近江三上山(大津小野村)の俵藤太秀郷のムカデ退治にもありました。

 



大津も小野村というのだから、ここから石巻北村で伝わったのだと思います。
ただし、大津のムカデ退治の場合、現れる女神は大蛇であり鹿ではない。

また、小野一族が炭鉱を探す時に「アサヒ」の名を
もつ巫女を従えていたという情報がその通りで、やはり、小野家。

小野篁や小野小町やら、いろいろ伝説が多いのです。

鹿に矢を射る話は、「根の白石」の鹿が石であった話と同じで、
山形県の伝承では、磐司磐三郎の山寺での円仁との話は、マタギ退治のこと。


 (山寺)

石巻の旭山には霊峰計仙麻(けせま)神社があります。
ウカノミタマ、豊玉彦を祀り、小野の里には、牧山もあります。

ここには羊零崎神社が祀られ、坂上田村麻呂がのの岳(涌谷町)の鬼を退治し、
身体の一部を埋めたというハイヌベレ信仰が元になっています。

また、この羊零崎神社も豊玉彦を祀っており、
日本書記では、豊玉彦は海神(大綿津見)の安曇氏の始祖にあたります。

小野は、川崎に伝わるあこや姫伝承で、新羅の郷がありました。
元は小野郷の一部で、支倉といったのです。

泉区の地名にも長谷川があり、伊達家が狩りをしによく来ていた場所。

ところで、日光二荒神と宇都宮の二荒山神は別で関係ないそうです。
宇都宮の二荒山神社は、豊城入彦命を祀り、上毛野・下毛野の始祖。

 

豊城入彦命は、

「三輪山に登り、東に向かい槍や刀を振り回し、

四方に縄を張り、雀を追い払う」

という東国を治める夢をみたという話があり、
この「雀」は、谷川健一氏によると、巫女の儀式と考えられているのです。

誰の巫女だろう~~?


藤原実方も怨霊になり、雀になったと伝わります。

 


※入内雀
 

ちなみに、仁徳天皇の斎(いなみ)は、
『古事記』では大雀尊(おおさざいのみこと)とされ雀。

この鳥は、とても小さい鳥なので雀にもあてられるのですが、
「大」がついているのはなぜだろう?
大いなる小さい鳥?

 


かわいい~。

 

古事記より、天若日子の葬儀で、雀は碓女(うすめ)とし、米をつく女のこと。
つまり、アメノウズメの原型だとされるもの。

 

なるほど。

藤原実方は、アメノウズメの踊りについて(神話での)

不謹慎だというようなことで、落馬している言い伝えがあった。

これらの巫女たちの儀式は、猿女の行事を受け継ぐ意味があり、
猿田彦神との間に生まれた子孫にあたるとの事。

 

だから、道祖神で実方伝説が結びつけられるわけです。

巫女によって。

(石巻の地名由来のひとつ巻石の碑・・・被災して今はない)


戦場ヶ原は平家とは関係ないかもしれませんが、
石巻で伝わる話では、関東の武将が伝えた話にもみえてきます。

 

また、なぜ猿なのか?
大津に伝わるムカデ伝承では、日吉大社が関係していそうです。

日吉大社は、平安京の鬼門に置かれ、琵琶湖の側に建てられています。
この神社では、猿が神の使いとされ猿を眷族とするため。


鹿と猿を強調しているような伝説・・・

その鹿と猿のみを神としてみているのは、春日大社と金華山しかないのです。
金華山は、仙台城の鬼門にあたります。

 

 



丑寅(北東)は、猿・雉・犬の桃太郎伝説に繋がりますが、
旭山に桃太郎神社が置かれているのは、

金華山を鬼門=鬼としているからでしょう。

 



桃生郡という桃から生まれた話のようですが、羊零崎神社は、元は全く違う名前で、
後から羊という漢字をつけたそうです。

もし、猿(申)と羊を方角として考えてみると、宮城県から申羊の方角は、
西日本~朝鮮半島(南)の方に向くことになる!?

 
(石巻:旧北上川)

 

---------------------------------------------------------
戦場ヶ原の百足(ムカデ)は土を意味する五行にも関係するでしょう。
大蛇の水とムカデの土。
噴火の跡にできた湖のことを示しているとも言われます。


ということなので、この次は、戦場ヶ原へ!

けっこう前にいった時のものですが、
自然が豊かでとてもよい所ですよ~。