飯能戦争のことから宇宙に繋がった摩訶不思議な探訪に。


その天覧山は、明治天皇と深い関わりがあるだけではなく、
UFO目撃が多い所でも有名だったのかもしれない~!?
という都市伝説も交えると面白い所です。真顔

三島由紀夫の『美しい星』を舞台にした山に、
祀られていた神は、丹党の氏神でした。

武蔵の歴史を知るには、丹党を知る必要があるのですが、
た~くさん丹党がいるので、難しい~~。大あくび

 

丹党は衰退しているので、

いったい、どんな団結心があって「翔んで埼玉」

になったか、わからん。

 

あの映画は、元はパタリロの作者が所沢に住んでいて

埼玉の人たちに対し嫌な思いがあって、

あれを書いた、という話を聞いた時に、

・・・他県はそう思うよなぁと思った。

 

なんつーか、とっつきにくい。

この性格が、丹党からきているのかどーか・・・

 

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さて、
能仁寺の向かいに広場があり、
そこに歴史資料館があります。

このあたりは「石棒」が非常に多く、
諏訪信仰があったことがわかります。

 

 

サイズ測るかね~~笑

 

一番大きいのは、長野県。

 

民家にあった石棒の謎

 



いつ頃からあったか不明ですが、
明治時代からあった模様。

御神体となったこの石は、
石棒であると思うのですが、
一般的な子孫繁栄の男根信仰とはちょっと違うようだ。

社の大部分が土に埋められており、
頭の部分だけ床の上に顔を出して安置されていました。

 



地元では「テンジンサマ」「マラテンジン」
と呼んでいたことから、天神の関連があります。

 

菅原道真の関係?

マラ?

鍛冶神のマラ(目占)ですね。


所沢に物部天神社があるように、このあたりも出雲信仰が
根づいており、菅原道真を祀ることは多いようで、
これも会津と似ている。

 

ルーツは、海人族です。

 

これも謎、

土製のミニチュアを作っているって・・・

 

 

小さい石棒でした。

子どもたちの「お守り」だったのでは?

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そして、資料館のそばにあった神社。
 

「丹生明神」があるという。

 



なぜか、諏訪と八幡が合祀。
諏訪と八幡がなんで合わさっているんだろう・・・

 

※枕元に大黒さんが現れた伝説


八幡といえば縄文があった所に祀ることが多いです。

由来をみると「紀州からきた丹生神社」でした。

 



1400年前の宣化天皇の後裔に至る
「丹治武」は、武蔵に配流されて高麗の加治の地へ。

※鍛冶から転じたという加治。

この地を守護神として紀州高野山の地主神の
丹生明神を勧請。


丹党というのは、丹生ですが、
能仁寺を菩提寺として東方の守護神とし
丹生明神を祀る。

安政六年に、羅漢山の頂きに勧請したとあります。

 

 

 


 

そのご神体は、「女神の形をした石像」
神秘的なため、みだりに開けてはならないとの言い伝え。

天照大神の妹とされる女性の姿とも言われます。


高野山の丹生ということなので、
「丹生都比売」のことです。

高野山のサイトによれば、

「天照大神の妹とは、稚日女尊(わかひるめ)とも称され、
古来魔除けとされた赤い顔料「丹」をつかさどり、
あらゆる災厄を祓う女神です。

丹からは水銀も精製されることから、
水銀の持つとされた不老長生などの神秘的な力もつかさどります。

神代に天上から降臨し、紀伊国と大和国一帯を巡幸して、
農耕と機織を広めたと伝わります。

のちに神領であった高野山を弘法大師へ授け、高野山の総鎮守、
真言密教の守護神となりました。

また、元寇をその御神威により退けたことから、
勝利と成功を導く女神としても崇敬を集めました。

神功皇后をはじめ北条政子、淀殿ら歴史に名を刻む女性たちから崇敬されたことから、
女性の守り神ともみなされます。」

 

 

飯能の丹生都姫は、ミツハノメなので、
対として土の「ハニヤス」 埴山姫を祀っています。
オウゲツヒメのことでもあります。
ハイヌベレ神話。

 

 



水と土の神とは、埴輪も示しているかもしれないですね。
さきたま古墳群などを手掛けた人々。

古くから秩父一帯は、渡来人(新羅の羊族)がきていたので。
元来は、新羅。
後に、高句麗・百済が「良質のよい銅がとれた」為に入ってきました。

この由来は、埼玉県加美郡にも同様です。
下郷村にある丹生明神も同じように
天照大神の妹を祀り、高野山の丹生都比売です。

丹生明神を祀るのは、由縁を高野山からの丹生都比売、
というように統一しているものです。


というのは、本来は、丹生都比売ではないからです。

丹党一族の氏神は、丹生ではなく、
元々は「諏訪神信仰」だったのです。

 

 

だから、石棒が多いのです!
なので、天覧山は、石棒の信仰がある諏訪だったと思うのです。

なぜ、諏訪神から丹生の神に変わったのか・・・

興味深いのは、なぜ諏訪から丹生明神にしているのかは
『秩父丹党考』(井上要著)より、

怨霊鎮魂のために建てたと推測」

やはり、神社というのは怨霊封じや
鎮魂のために祀るのですな・・・

菅原道真と同じように、武蔵には天神信仰も多いです。
それは、天変地異を封じるためや
鎮魂のために祀る目的があってです。

それと同じ意味で、丹生明神を祀るのは、
丹党中村氏など丹党一族が極めて悲劇的であったから、

という事が書かれていました。

どーいう最後か詳しくわかりませんが、
鎌倉の戦いで亡くなっているというのですけど、
敗戦した後、秩父から草加の村へ集団で一族が逃れており、
隠すかのように諏訪も丹生も祀られていないという。

三峰神社での諏訪社の例大祭がなかなか。

 

※『秩父丹党考』(井上要著)


本社前で1時間獅子舞をし、
次に三頭ずつ二組に分かれ、一つは二十近い末社の前で、
他の一組は氷川神社の前で各三十分位舞い、
再び本社前にて合流するのだそうです。


いやいや、こういうスタイルをとるところが、
絆というより以上に、氏族の団結心が続いているのですね。

この氷川の前で舞をすることについて、
丹党の一人、薄氏(長房系)が両神にいて、
大滝村でも勢力があった時、敗戦後、
氷川の地に暖かく迎えられたことへの感謝からではないか、という。


ということから、飯能戦争で掲げていた「武」とは、
どうやら諏訪信仰があった「丹治武」からとったのでは?
ということが想像されます。

 



妄想だけど、
朝鮮王朝が逃れた高麗王の一族が
丹党として受け継がれていると思われるため、
天皇家がそれを密かに繋いでいたのかもしれませんよね。

 

 

 

 

 

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丹党一族の発祥は「秩父丹党中村」とされます。

系図は、秩父五郎基房の系統のみは秩父の外に出て
「勅使河原・安保・加治・長浜・高麗・判乃氏等」が分派している。


判乃氏が飯能になったのですね。

むーーん、高麗神社には行ったことがないのですが、
朝鮮にいた王族、一族ともに逃れたと聞いた。

争いを避けて。

 

ですから、日本の終焉地は、平和を望んだ

渡来人の希望でもあったのですよ。

天武天皇の時に、三韓征伐で帰化した渡来人を
多く高麗に住まわせています。

 



その関連から明治天皇がきているのだと思いますが、

それでも、争う。

秩父は天皇家と関わりがあるのだけど、
何も知られていないですよね。
(秩父人が目覚めれば変る)

その丹党中村氏はとても勢力のあった氏族とされ、
畠山重忠と同格の力があった人とも言われています。

秩父も諏訪と丹生明神が多いのです。

 


※青●=諏訪社 赤●=丹生社


東北にも逃れている丹党一族。
しかし、丹党は衰退していきます。

丹生である理由のひとつに、
炭鉱が関係しており、和銅があることから
秦氏系の辰砂チーム(卑弥呼からの)
が秩父に入り、水銀の精製、金や医薬を用いることを伝え、
それを敬ったのが丹生明神であること。

 

卑弥呼は、水銀の丹生に知識があったからと、

思います。

卑金といいますね。

金と銀以外の金属全般のこと。

貴金属とは違いますが、卑金から貴金にする技術。


諏訪から丹生の神へ崇拝が変ったのは、
渡来人からの由縁としたい為であったと考えるのです。

それ以前は、諏訪であることから
秩父には、秩父夜祭の際に

「お囃子を諏訪社の前では止める」
という言い伝えを頑なに守っています。


神との契約は、渡来人の征服地へ変った歴史を伝えるものなのです。

 

 

タケミナカタが諏訪から逃れて秩父にきたから、

その痕跡を消すために?丹生へ。

というのは、カカセオ伝説があるからね。

このへんは、まだ見えない。

深いね~。

 

ちなみに、momojiさんに教えてもらったのが、

小野一族が炭鉱を探す時に
連れ歩いていた巫女を「アサヒ」とよび、
物部氏は「ツル」と呼んだそうです。


それぞれの呼び名あったらしい。 

※山岡鉄舟の父方は、小野姓。

それぞれの氏族には鉱石・植物の知識がある人
(たぶん女性)を従えていたわけです。

このような巫女を中国では「天女(てんにょ)」とよび、
蘭陵王が発端かもしれないな。

日本では毘沙門天を支えているのが天女です。
だから坂上田村麻呂が毘沙門天にされています。

将軍についたのは、天女です。

知識のある人をそばに置くのは、一般的にありました。

占いもしていたので天女は、戦勝の女神として崇められるわけです。

 

ただね~

もうそういう時代じゃないからね~。

ちょっと虚無感。


まあ、次はAIなんだろう。。。

 


※AIの世界で生きていくエミシ。(アテルイⅡ国立天文台)

 

懲りないねぇ。

 

道中に白い像がいた。

 


 

 

これにて、飯能はおしまい。