縄文広場から10分くらいで行ける所に滝があります。
道は滝の近くまで行けるのですが、
狭い所も多く、洪水があったのか、
工事している道などもあり注意していく必要があります。
ここは、穴場の滝だと思うのですが、
朝日岳へ登る難所の入口とされていました。
右側の階段を下りていきます。
立派な木があり看板がありました。
「五所神社の縁起書によれば、役の行者が天武天皇の時代(白鳳年間)
に(1300年前)朝日嶽、祝瓶山(いわいがめやま)に修験者小角が参籠修行し、
遥かに大朝日嶽を望めば紫雲たなびき仏形現れ、
朝日山大権現という天安年中この地鎮護の霊場を開いたという。
ここに桑沢口という三淵を経て登る近道あり
産立淵通りと称した。(省略)・・・(意味は赤子が泣くことから)
産立通りは近道であり行者の往来は多かったが
非常に難所が続いていた。
そのため、東雲坊宥善法師という修験者が(青木家先祖)
別当なきを淳名天皇の時代に建立、朝日山岩上寺と称した。
十七箇所も宿坊ができ先達を勤めたと。
その難所の入口がこの三階滝の不動滝で、
三段になって落ちるために名付けられた。
朝日山や祝瓶山を登る際に、行者たちは、
不動沢三階滝に鎮座せる不動明王が厳然として見守る
霊場の清らかな滝に身も心も清めて目指す霊地へ向かったものだろう。
(省略)
後、源義家の命により月山、小朝口、三淵の各社と共に
地名も青木野を五祭所と改めて一郷の産土氏神として五所神社に
祀られたと縁起書に記されている。」
修験者の派閥はいろいろ聞きますが、
特に出羽三山の羽黒修験との派閥は多いようです。
吉野派との対立、この朝日岳との対立もあり
朝日山修験は衰退したという。
難所とは言うけれど、滝への道は、花々が美しかった!
ニリンソウが群生していましたが、
さすが!水場のある所は植生が豊かですね。
↓キクザキイチゲ
※ちなみに五所神社を祀る神
大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)
月読命(つくよみのみこと、つきよみのみこと)
別雷神(わけいかづちのかみ)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
花の道をあがっていくと、すぐお不動さんがあります。
三段になっていますね。
シダがわっさわさ群生しています。
鉱山資源が豊富そうな・・・
朝日岳の開山は、668年に役小角が開いたと言われます。
吉野派の修験だと思いますが、滝修行をして登っていたようです。
こちらが、祝瓶山。
おすすめの朝日町-----------------------------------------------
朝日山麓へは、以前行った時に棚田が素晴らしかったです。
こちらも参考に。
コロナの時だったんです。・・・星祭
長井探訪は、これで終わりにします~。