女神山の記録もしておきます。

小手姫について、ここは専門家の意見をもとに、記録です。

 

2017年4月初旬(過去記事です)

 



いつも堀切登山口から登ります。

 



春の芽吹きは新しいエネルギーの循環。
その花開く時のすさまじい力は、私たちには及ばない。

 

 



春に咲く花は、ものすごいエネルギーを持って咲きます。
一気に芽吹きますからこの時期に里山へいくと
1年分のエネルギーをチャージできるほどです。

なのでこの時期の里山は、おすすめです。(公園でもいいですよ)

 





「休んでみっせ」と書いてあったはず。

 


 

薄れて読めませんが、
ここから見える山々は、口太山、飯舘村の方になります。
二本松の木幡山もそうですね。

 

 




 

千貫森:見事なピラミッド。UFO山です。

 

道路をわたって再び登山道へ。

 

小手姫の歴史

 

もういちど、おさらいになりますが、ちょっと長くなります。

私が小手姫に興味をもったのは、
出羽三山を開山した蜂子皇子の母親という伝承があったことです。

蘇我氏に暗殺された崇峻天皇のお妃で(第一夫人)だったと伝わり、
このあたり実際のところ不明な部分が多いですが、
この時代に関わっていた豪族が奈良の都から逃れてきた痕跡はあるようです。

その後、崇俊天皇の皇后は、蘇我馬子の娘、河上娘となる。

大伴氏の排除ともとれます。
女系は蘇我氏にすると決めたわけですね。

しかし、推古天皇など聖徳太子の人達が「伽耶」であったとすれば、
大伴氏も同族の可能性もある。

小手子(小手姫)の父は大伴連糠手で、母は蘇我稲目の娘とあるため。
蘇我稲目は葛城系の一族とも!

 

 



やはり、磐鞍をご神体としたり、
雨乞いや、磐鞍信仰をもたらしたのは葛城氏のやり方のようです。

 



葛城氏は蘇我氏より先に、天皇家に仕えていた豪族ですが、
天皇家と娘をとつがせたり、天皇家と深い関係をもたらしていました。

そんな政治経済の中心にいたところに蘇我氏が仏教と共に入ってきたようです。
新しい宗教革命のような。

小手姫は、崇俊天皇が暗殺された為、
息子はかくまるために日本海へ逃れたといわれるが、これも諸説あります。

息子を逃したのが聖徳太子というのだから・・・。

 

「葛城氏、蘇我氏、大伴氏」

小手姫は、蜂子皇子を探して陸奥へやってきたのですが、
娘と伝わる錦代皇女が亡くなり、
故郷の大和の風情に似た現在の伊達郡川俣町や月舘に留まり、
養蚕の技術を伝えたとあります。

 

※月舘への分岐→月山信仰があります。

昔は、川俣町、飯野町を含め「小手郷」とよんでいたそうです。

川俣の地名由来は、奈良県川俣町の里にちなんだ説と、
町に流れる広瀬川(小手川)と五十沢川の合流なので川股とよんだ説があります。


古代末から中世にかけて、小手保といわれた川俣地方は、

奈良興福寺の荘園として繁栄しました。

甘露寺には紀州(和歌山県)根来寺の高僧が住み、

川股城跡のふもとからは大量の常滑焼きが見つかっています。(川俣町の地名より)

 

※奈良県興福寺

 

和歌山県の根来寺は、高野山のお坊さんです。

 

 

山頂へ

 

 



山頂の岩が小手姫のご神体といわれる。
これについては後半で。

 



頂点を形成する火山岩は高さ約3メートル横5メートル程の大石である。
この石については、古来天から降った石だとか、日本武尊東征の際にこの山に登り、
四方を眺めて腰掛けられた石だとか言い伝えられて決してこの石に登ってはならぬ。
登れば必ず雨が降ると言われている。」

 

 

とにかく伝説が多い山です。
伝説が多い山は、武将たちの戦勝祈願とされます。


 


「石宮の後の雨降り石に天然の山桑が一本ある。
この桑の芽を五つか六つ頂いてきて、蚕を掃きたてる最初の桑に切り混ぜると
良い繭ができると言われている。

蚕が鼠に食われると、これを「夜風」といって女神の明神様に行って、
御幣をお借りして途中休まずに家に帰ることになっていた。
蚕を掃きたてる頃になると女神山頂お籠りと言って
山麓の主婦たち3、4人で一夜を過ごし或るいは丑の刻参りを続けて
養蚕への道の上達を祈願した。」
(川俣町のサイトより)

他にも、


役の行者小角が大蛇の化けた美女を法力によって打ち負かし、
その蛇を神に祀る代りに里人に蛇の災いを与えぬように説いたところ、
蛇はたちまち石=蛇石になったという。

②頂上付近では、熊野神や五行神に会ったとか、前九年の役、
八幡太郎義家が木幡山にたてこもり、
阿部貞任と戦った時、遥かに女神山を望んで、戦勝を祈願した。

 


(木幡山)

③文治年間源頼朝が奥州を攻めた時、平泉藤原氏ゆかりの小笹姫が
この山中に隠れ住んでいたなど。


(吾妻山)

 

 



また、養蚕が伝わっている所に、女性が関係するのは「月の水神」がある。
月経という考えもありますが。

最期、小手姫は入水したと伝わります。
オトタチバナと同じような伝承です。

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「舘」という地名は、中央政府が開拓した地につけるもので、
機織を伝えたことで有名になっている。

 



小手姫古事によると、
常陸より来られ、女神山中腹の堂平に住み、蚕を伝える。

47歳で亡くなる。
1014年、桑苗及蚕種類を上州に遣わし、蚕飼いを教えたり」
「全国蚕神考」の一部に、機織りの祭神は

小手姫、赫夜姫、白瀧姫といずれも婦人である。

崇俊天皇の時代は大化の改新の頃なので、
小手姫は、機織を伝えるために、

養蚕の奨励にあたった最初の女性と考えられる。

月宮神社が女神山麓にあります。

伝承では月山に着いた旅人がご来光を拝むために鏡ケ池へ行くと、
池の中に光るものがあった。
それは木彫りの仏像で、女神山の月宮へ移されたとある。
なぜ、小手姫と蜂子皇子が繋がるのかは、
出羽三山の修験がもたらした月山信仰です。

古くは三日月信仰なんです。(伊達政宗)

月は三日月。
太陽は丸。
星はそのまま星型。
それが日月星信仰。

 



中東の信仰が入っていますね。
シルクロードです。

ちなみに、三日月信仰は北関東にあり、イボとり観音の話が多いようです。

 



女神山は、ツクヨミ信仰が由来しているようです。
月神=小手姫となっています。

「山頂に近づくにつれて、イボイボした岩が現れてくる。
この岩は玄武岩といわれる、火成岩の一つである。
むかしは、「この岩に足をかけると、雨が降る」と語りつがれ、
『雨降らし岩』とも言われている。」


天狗が降りてきた磐、そこに雨が降る=龍神。
それを祈祷しながら、世界を占い整える
(浄化)=水神を降ろす巫女。

 

 

駒ザクラにもあったイボイボ石。↓

 

 

(キタテハ)という蝶と出会う。

 

(なぜか尾瀬のバッジが落ちていた。)

 

小手姫の伝承は、実際、貴族の娘だったと思うのですが、
何かあって左遷された女性ということを感じる。
そういうとこ、あこや姫と似てるんだなあ。

そんなモデルだった人がいて、子孫が代々言い伝えとして
「村の女性たちに」いろんな知恵を伝えた人であることを示しているものです。

 


(小手姫像)

福島県は陸奥の都とした繁栄の土地でしたが、
そこには光と影がはっきりと交差しています。

奈良の都で無念だったのか、政権を追われた豪族たちの影がみえる気がするのです。


福島は、その名の通り、

言霊では「うつくしま」

都から追われた人たちを受け入れていた村人がいた古代の歴史があるのに、
今は、原発でその地を離れなければならない運命にある。


だから、どんどん叫ぼう。

そして、伝えよう。

記録に残そう。


※女神山へはいくつかの登山コースがあります。
こちらを参考にしてみて下さい。
バスの場合、「十二社」下車。徒歩30分くらいで堀切登山口。

 

 

さて、もうひとつ、神降ろしをした女神山のこと。

 

 

巫女が伝承した女神山

 

これらの小手姫伝説は、
巫女のシャーマンによって変容し、成長してきたものであると言われます。

『憑依の民俗学』川島秀一氏の中に、興味深い話があるので紹介します。

小手姫は、今の飯坂温泉近くの大清水の村に祀ってあるのが最も有名。
その土地は機織り御前の宮といわれている。

 



しかし、小手姫伝承は、風土記によると
「大和国高市郡川俣里より庄司峯能という人の一人娘小手姫」とだけ記されている。

川俣の養蚕がさかんになるにつれ、1887年に養蚕の由来として、
作られた伝承とみられるのです。

女神山が出羽三山と結びつきとなったのは、昭和29年、出羽三山に係る
宗教者3名が訪れ、その中に一人の巫女さんがいました。

この巫女さんは、村山さんという方で、仙台の二十人町に住んでおり、
出征した兵士の霊がついて、家族に向かって語るために彼女のことを
「兵隊ばあさん」とよんでいたそうです。

村山さんは、「出羽三山は古来より、お清めの山と神通力により、
出羽三山の開祖様、造物主大神の応化におわしましたことを
その御神勅のまにまに、御開祖大神様のお跡をしたい、まつりまして
行ずるに及び、初めて御感応(おしらせ)頂いた~」と述べています。


村山さんに、大神様が憑依し、
「神とはた佛とはこれ同じこと」と仰せられ、
大神様の霊を通じての言霊のお現れにより、三山教は月山を父とし、
羽黒山を母体として、湯殿山の産湯をあびて誕生を見るに至る。


といったことは、村山さんに蜂子皇子の霊をつかせ、
「おしらせ」として語り、御霊として神通力を得たと。
後に、小手姫にも憑依し始めたと。


それから出羽三山を通じて、探索が始まり、巫女の発する「オコトダマ」により、
検証されることになったそうだ。

この舞台は、元は布川というところの女神山を祀る巫女伝承があったようで、
ここには機織像があります。

 


※憑依の民俗学

 

村山さんの後、昭和40年頃の話。

星さんという大船渡出身の巫女さんが、女神山山頂で、この女神こそ
小手姫の御住居とお亡くなりになった終焉地であると言う。


星さんはいろんな宗教団体を転々としていたが、ある時、出羽三山へ向かうことになる。
「出羽へ詣れ!」と、突然、霊動したという。

星さんが月山へ行く話があり、出かけたところお池(鏡ケ池)があり、
創価学会を脱退する時に投げ込まれた池(夢でみた)とそっくりな風景だったと。

それから女神山に登ることになったそうだ。

後に星さんは羽黒のある手向(とうげ)官長となり、
女神山と小手姫の関わりを調べることになったそうだ。

星さんは、一生かけて女神山の御霊をおろし、女神山の救済にあたったという。
つまり、小手姫の事跡を幻視しようとしたわけです。

昭和42年6月27日の祭礼、彼女が休んでいると夢の中で音楽と共に、
白い龍が現れてその口から繭(まゆ)を出したそうだ。

それは、「お蚕様の弁才天」の変じた小手姫であり、
「うれしくて出てきた」と語ったそうだ。
そのことを回りの者につげ、山頂にある磨崖碑の
「小手姫神社」にくず繭を貼り付けたそうだ。

本には、その時の撮影した写真が載ってます。

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ということで、伝説や伝承は巫女によって生まれているのですが、

実際、古代に奈良の都から開拓してきているのですが、

信仰宗教により確実性をもたせるために巫女に頼み霊を下ろす、

ということを行ってきたのです。


そしてその伝承を元に、探訪している人が後世、伝える。

つまりは、ここに来れば小手姫と交信できるようにパイプをつないだ、と。

現に、それにはまっている私がいるからね。www

その地の歴史が事実かどうか、ではなく、
「新しい時代の転換期に必要なことだった」と、思います。

その巫女の力が必要な蚕の神とは?
「蜂子皇子の存在」
この方の存在があまりにも大きいのです。

福島はとても羽黒講が多いです。
出羽三山が太平洋一帯も影響していたことはよくわかります。


東北地方一帯を、神仏習合の地、観音霊場にするためでした。
なので、聖徳太子信仰が東北地方にはとても多いのです。

著者も言っているように、私も同感するから行脚している。
巫女の発する言葉(内容)と郷土史を照らしあわせて検証する必要があります。

女神山の伝承起源は、庄司峯能という娘であることは、どこから由来するのか、
といったことも重要です。

 

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また、伝承にある「大和国高市郡川俣里より庄司峯能」
についてですが、謎の名前ですよね。何者なのか・・・

 

「川俣神社=河俣神社」というのが

旧大和国高市郡雲梯村にあるのです。(現:奈良県橿原市雲梯町)

 

『出雲国造神賀詞』によれば、「高市御縣坐鴨事代主神社」


「大穴持命(オオナムチ)」が自身の和魂を倭大物主櫛厳玉命として

大御和の神奈備(現在の「大神神社」/ 桜井市三輪に鎮座)


命の御子である阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備

(現在の「高鴨神社」 / 御所市鴨神に鎮座)に、


事代主命の御魂を宇奈提(式内社「高市御縣坐鴨事代主神社」 / 当社に比定)に、


賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備(式内社「飛鳥坐神社」の前身)に、
それぞれ鎮座させて皇孫の守護神としたとあります。」

 

・・・は? 大あくび

 

 

いやいやこれほんとだったら、鼻チでます。

 

雲梯町は、ウナテとよみ、

 

田んぼに水を引く溝を「ウナテ」というらしく、

曽我川というのです。

 

 

して、事ちゃん・・・ラブ

 

鴨家ですよね~。

アジスキタカヒコネ〜。

バックにヤタガラス~。

 

これって山形にある「飛鳥神社」のことですよね~??

 

むーーーーーーん、

終わらんねーーー。

 

鴨家、聖徳太子、秦氏と(謎の)蜂子皇子。

繋がってきましたね~。

 

でも、ここは、いったん、おしまい。

 

あこや姫、女神山、名取老女・・・いろんなオカミン(おかみさんのこと)が過去、
神降ろしをしながら修験者をサポートしてきたことで、
今、語り継がれた伝承を、改めて紐ときながら、その続きを楽しみたい。

 

ひとまず、小手姫はおしまい。

 

次から里映えする巨石をご紹介します。

 

<参考>

小手姫の霊をおろした舞台となった布川にも

小手姫神社があり、娘とされる錦という人は、別人の小手姫とされる。

 

川俣町か月舘なのか?どの地にするか?

ということがあったのだと思います。

 

 

布川の小手姫神社。

不思議な黒い伝説と、熊野神社もあります。