前回のマナの泉とつながるのが、

大物忌神社。

豊受大神。


始めて鳥海山大物忌神社へ参拝したのは、
2016年11月「蕨岡」へ精麻(せいま)の奉納の時でした。

 

(蕨岡)

麻活動をしているやまちゃんと。

「国産の麻は高いので、なかなか手に入らない。」
と聞いたことがあり、中国産か藁のようなもので代用してることが多いと。

今は伊勢神宮でも麻栽培を始めたようですが、
栃木の麻農家では、古くから忌部氏と関わりをもっていた子孫のため、
天皇家の大嘗祭に必ず使われているそうです。

 

※悠紀斎田抜穂前一日大祓。
大麻(おおぬさ)を鬼怒川に流す。

 

詳細は、こちらを。

 


麻を奉納させて頂くことも、神社としては有難い様子。
ただし、断る神社もあるそうですので、
受けとめ方は、いろいろです。

 

 

龍のような長い霧

 

 



この時、たまたま新嘗祭で蕨岡が開いていたのです。びっくり
普段は開いてないそうで、前年、やまちゃんたちは、吹浦で奉納し、
今回も吹浦と考えていたのです。

でも、私が初めてだったので、先に蕨岡へいこうとなったのです。

 



奉納後は、吹浦へもいきご祈祷をして頂きました。
その時、宮司さんから鳥海山の不思議な舞のことを教えてもらった記憶が。
チョウクライロ舞。

だいたい、このあたりはヘブライ語が入ってますよ。

 

 

一緒にいったホツマツタエの先生が、かなり前からホツマを調べていて
当たり前のように、

「即身仏を最初にやった(広めた)のが豊受大神だよ」
すごいんだよー、トヨウケさんは、と言っていた。

えー。キョロキョロ

山形にしか即身仏がないのは、トヨウケさんのことがある、と言っていた。

それが、鳥海山の魅力でもある。
まあ、そーいうロマンを楽しむ。

 



では、そんな大物忌神社をご紹介。

 

 

大物忌神社について

 

山形県飽海郡遊佐町にある出羽国一ノ宮

鳥海山頂の本社と、里宮として麓の吹浦(ふくら)
蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の
総称として大物忌神社と称する。


出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とし、
山岳信仰の中心。

 

鳥海山山頂の奥の院 ※遊佐鳥海観光協会

ご神体は、鳥海山ですが、神様として祀られているのは、
大物忌大神(主神)

よくわからない神様といわれ、「忌」は伊勢神宮内宮に
「忌火屋敷」というのがあるように、

伊勢に関係する「忌」であると伺いました。

『神祗志料』や『大日本国一宮記』では、
大物忌大神と倉稲魂命が同一視されていると。
(wikipedia)

豊受姫命
月読命 - 吹浦口之宮で祀られている。


吹浦の方(海側)は、卵の始祖伝承があるため、新羅系、鳥族と思います。
鳥海山は、鳥見山(トミさん・やま)と呼んでいた。

後で、丸子の話もしておきます。
ですから、和邇氏の痕跡がありそうで→新羅系
この地域では、「鶏肉は食べない」タブー伝説があるのだから。

鳥取部と秋田物部氏がきているから、二ギハヤヒが降臨したとも伝える。

 

 

※「鳳山学校跡地」という看板を発見。
この鳳山が「鳳凰」ではないか、という妄想。
火の鳥=鳥海山でもあり。

さて、宮司さんから聞いた話しを少し、まとめます。

大物忌神社は、薬師様でした。
鳥海山の水。

神仏分離で分断されたのですが、今は、大日如来と薬師如来
を一緒にして別の所に収められているそうです。

 



「忌」とつくのは、宮司さんも詳しくわからないそうですが、
昔から伊勢神宮も「大物忌」とつく若い?巫女さんがいるそうです。
なので、神に使う巫女の働きがあるという。

 

 

精麻

 


 

蕨岡の本殿は、元々、もう少し高い所にありました。


階段があるのですが、今は先までは登れません。
(雑草がすごいため歩けない)

扉を開けると

鳥海山のご神体が見える

構図だったそうです。

ですが、昔火事があり、山の上には水がなかったので、
火を消すことができなかった。
そのため、下におろして今のような本殿となったそうです。

柱がとても太い立派なもので、欅だったと思う。(確か)
とにかく立派。
今ではこのような太い木は取れないと。

 

 

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神社参拝した帰り際、
鳥海さんという方にお会いしました。
(お元気でいらっしゃいますか~)

 



鳥海さんと書いてトリノウミさん。

このあたりの家は、数件、姓が鳥海ですとの事。

昔は、宿坊が何件かあったのですが、今はやっていないそうです。

 

(境内の植木がきれいで整頓されています)

 

鳥海さんは、蕨岡の管理をしており、庭木の剪定などすべての管理を
行っていました。

鳥海さんや宮司さんから、麻について志という気持ちで受けとって下さいました。

※奥の院のご神事で使って頂きました。

 

こつこつと、個人でやまちゃんが何年も奉仕活動をしていたおかげで、
神社関係者も最初は驚くのですが、麻を通してお互いに、

神々について向きあえるきっかけになるのです。

 

その神々とは、大自然の、

地球の躍動のこと。

それが畏怖(いふ)である。

 

麻は、そんな強い自然の力を鎮める役目であると思い、

人はその畏怖というものに向き合ってきた。

 

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鳥海さんは、山本坊庭園をやっていらして、
自由に見学していいよ、と。

 

 

 





鳥海山は昔、噴火をしているので、火の思想がある。


修験が火を飛び越える風習は、
あえて火に飛び込み、苦しみに逃げずに死を経験すると、
新たに生まれ変わる死と再生の意味がある。
(ほかの意味もあるかもしれないが)

これ、牛を飛び越える牛頭天王と同じ思想ですね。
 

 

紅葉がすばらしかった!

 

 

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実は、この後も2度目の参拝をしており、
その時は、暑い時期でした。

 



※さざれ石

 


国歌のさざれ石ですが、石灰質角礫石といわれ、
昭和36年に岐阜県春日町で発見され、後に岐阜県の天然記念物に指定された石を
 矢部駿河守定謙終焉地より奉納いたします。(三重県桑名歴史の案内人)

矢部定謙(やべさだのり)という方は、大塩平八郎と信頼関係があったそうです。
飢饉を救った人でもあったようですが、Wikipediaにパワハラネタがありました…。

 

 

また、この2回目の時も偶然な出来事。

隣にあった観音様のご開帳でラッキーにも拝観できたのです。爆  笑
 

 

一説には貞観2年(860)慈覚大師円仁が鳥海山に巣くう
赤鬼、青鬼を退治し蕨岡に堂宇を設けたのが始まりとされ、

鳥海山を龍に見立てこの地が龍の頭にあたる事から
龍頭寺と称するようになったと伝えられている。

 

龍頭寺観音堂

 

 

平安時代作といわれる木造の観音様をみられた~♪
しかも、表にいる観音様の真後ろにピタっといるので、お顔がよく見えない。
でもそれがまた人見知りな観音様みたいで、素晴らしかったです!

 

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神社を散策すると大きな欅があり、必見!

 

 

 

大きなしめ縄があり、
カーブミラーが、鏡の役目をしている・・・
 

※夏

 


 

中をのぞいたら向こう側に穴があいている。
二本の木が交差している?ようです。

 


 

看板の文字をみてピンときた「3」が大事なこと。

 



3人の女性とは、神話でも「宗像三女神」といいますね。
3は、強い数字といわれる由縁。

人が3人集まって山となる。
人となり樹となり山となる。

 


 

 

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噴火の鳥海山

 

1974年の噴火。

古くは、800年代、2度の大地震と鳥海山の噴火で、秋田柵が被災。
800年代、900年代の噴火は規模が多かった(溶岩流の記録あり)

 

その頃に、天台宗の円仁がきて奥州三十三観音を広めたと言われます。



そんな、大物忌神社で偶然にも大嘗祭だったため、
とても良い思い出となりました。

 

古く、トミナガスネヒコが逃れて、

二ギハヤヒが追いかけてきた、

そんな妄想が膨らむ鳥海山。

 

ありがとう鳥海山。虹

次は、もう少し深掘り、

丸子のこと。
福島の出羽三山と言える信夫山に、丸子と言う名の修験者。

それが関係するものかは、わかりませんが、
卵から生まれた鳥海山の伝説を。