2024年、今年もよろしくお願いします。

 

※東松島「富山観音堂」より松島の風景。

昨年も、たくさんの方々に興味をもって頂いた
東北の伝説、歴史だったと思い、
また新たな年を迎えられたことに感謝致します。

ヒヨコカエル

 



変わらず、まほろば探訪を続けるつもりですが、
gooブログは退会しました。

ブログが2つあるのは重複していることにもなり、
放置状態だったので、
アメブロを1本にして今までの過去記事は、
随時、今後も記録して残すことにしますので、

こちらも楽しみにしていて下さい。

今年は、静かな年にしたいと思いますが、
年明けから能登半島の地震による被害が大きく、
亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

被災すると夜が寒く、孤独で寂しいものです。
どうか、今年は暖かい夜でありますように。

続けて、白狼第三段へ。

【2018年9月の記録】

 

 

 宮城県大郷町成田に伝わる白狼伝説

 

 

「昔、板谷地区に大変珍しい白いオオカミが住んでいた。

滅多に人の前には姿をみせず、この白いオオカミの姿をみると
縁起のいいことがあると地元の人々が伝えられてきた。


しかし、ある時、村人が板谷の「休み松(現在は地名のみ残る)
のそばで白いオオカミの遺体を発見して、

手厚く葬り石碑を建立して供養した。


その石碑には「白狼神社」と刻まれている。」

 



白狼神社の石碑は、黒川郡大郷町成田にある不動尊にあった。

道横のすぐ下に入口があるので、

車に気をつけないとちょっと危ない。

苦手な橋がある。

 


 

川を渡るのは、三途の川のようだ。
 

あの世とこの世の堺を通るようでちょっと緊張する。
赤い鳥居をくぐり、しばらく歩くと祠がみえた。

 


 
滝の水量は少ないが、大きな樹が目立つ。
その下に、ぼつんと石碑があった。

 


 

隣には、小さな犬の像がおかれて祠がある。
小さな犬がとってもかわいい。

 

 



石碑には明治30年とあり、
このあたりの山林は、残間家が御山守をしていたそうで、
大郷、利府、大和町の広大な山林には数多くの狼が生息していたという。

 



夜になると遠吠えが山々にこだましていたと思われる。
白狼神社の石碑も供養塔の為に、残間家が建立したもよう。
※大郷町のオオカミ伝説より

 

 



------------------------------------------


残間家は、大郷の歴史によれば、
このあたり一帯を治めていた人たちで、戦国時代までさかのぼる。


百姓とはいえ、山守りという特別な使命を代々伝えた名誉ある家柄であり、
この近くに勿来関があるため、多賀国府のすぐ北にあたる門番的な
役目をもって特別に与えられた役職だったと考えられる。

 

そのため、残間家は狼によく出会っていただろう。

 

 

成田方面の森

 

------------------------------------

東北地方の三陸沿岸や北上山地で、

三峰神社のセンターの役割を果たしていたのが、
岩手県衣川(中尊寺平泉の隣の山)の三峰神社。

 



山頂には、アラハバキを祀る(巨石)ワカエトノ神社があるが、
源氏の軍神とされ、安倍氏とは敵だった為、地元の人たちはほとんど知らない。

まだ平泉が世界遺産になる前、観光協会の人たちから観光パンフをもらった事がある。
その時に、三峰神社のことを訊ねてみたが、誰も知らなかった。

岩手県陸前高田市矢作町の大島部の三峰神社は、衣川が本社としている。

毎年旧暦正月、三月、九月、の各十九日の縁日に、大島部と小島部を合わせて
二一の行政区を代表して二人づつが、手土産に海苔一丁を持って代参に行く
いわゆる「三峰講」があった。

勧請してきたお礼をそのままにしておくと、眷族である狼でも、
野良(キツネ)になるそうだ。


狐憑きといわれる病に対しても、狼がそれを駆除してくれると言われ、
三峰神社の狼は東北地方では、盗難除けなど、民間信仰として根付いている。
※東北学(オオカミの行方)

 

実際に白い毛の狼がいたかどうか不明だが、
もしいたとすれば、より狼の種に近い犬でいえば、秋田犬か紀州犬となる。

福島県飯舘村の山津見神社も白狼。
狼が神になると白狼になる。

 

 

 アジアにみる動物儀礼

 


白狼信仰は、日本に限ったことでない。

ウソン族もそのひとつ。

 

他にもチベット・ビルマの民族にもある。


チベット族と近いチベット・ビルマ語族の

西夏主体民族に「タングート」という民族がいる。

「党項」と書く。

チベット民族では先祖は猿といわれる。

興味をもっている「禹」も猿といわれているので、
チベット族ではないか、と思っている。


それが三苗(ミャオ族の前身と言われる)の後裔といわれる。

 

※ミャオ族。

中国の古い文献に「党項羌、その種に宕昌、白狼あり、みな自らを○猴種という」
他、『隋書』「党項伝」の
「党項、三苗の後なり。

その種に宕昌、白狼あり、みな自らを○猴種と称す」とある。
※猴=猿

「後漢の明帝永平年間(58-75年)に献上された

「白狼歌」というのがあるそうだ。


どんなものかわからないが、この資料は、
イ語、ナシ語、プミ語のほか、チベット語とも比較、研究され、
たとえば天を意味する白狼語の「冒」(mao)はム(mu)に対応するが、
チベット・ビルマ語の大半が天は「ム」なのである。

それは、イ語、ナシ語、プミ語、チベット語等、
多くのチベット・ビルマ語族の言語と類似していることを意味する。

禹は、羌(チャン)族出身とされる。

羌(チャン)族の創世神話では、始祖ランピワは猿。
ランピワと天神ムパの娘ムチェジュとの間に生まれた
子どもがチャン族の先祖である。

チャン族の巫師シピは、死者の魂を送る際、魂を引導していくのは猿だと考える。
その猿を祖先と呼ぶという。

また儀礼をおこなうとき、巫師シピは猿(とくに金糸猿)の皮の帽子(シュピル)を
被り、猿の頭を供えるという。

このようにチャン族において猿崇拝は顕著であり、彼らは上述の党項羌、
とくに白狼の直接的な後裔ではないかと思えてくる。」

 

※猴祖神話より参照

http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/monkeyancestor.htm

 

辺境に住む人は、野蛮人(洞窟にいた)と言われ、「猿」と言われた。
漢字でも「狄」などの「けものへん」がつくのは猿の意味があるが、
「犬」の変形である。これが狼信仰のルーツと考える。

 


この後、むしょうに大亀山公園にいきたくなった。
やはりここは、そのままの縄文の森が広がっている。

亀と狼。
同じ森をみていたのかもしれない。

 

 

白狼シリーズはおしまい。