来週、盛岡から友人が遊びにくるので、盛岡のネタを。ニヤニヤ

過去記事です。
2014年11月、
9年前の今頃、紅葉がきれいでした。

さて、ここ盛岡に不思議な巨石があるんですよね!
「烏帽子岩」

 


今年は暖冬なので、まだ山は白くないですね~。

 


(2014年11月の写真)


紫波、矢巾という地名のある山は伝説が多いです。

鬼伝説や阿部貞任、マタギ、
またUFOの目撃も多いという。

 

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さて、烏帽子岩を拝見。

 



盛岡城跡の側にある桜山神社
友人が犬の散歩コースでいつも歩いているというので、案内してもらう。

 



この岩は、城を築くために掘り下げていたところ、大きな石が現れたので、
どかそうとしたが、掘っても掘っても石は底まで続いているのだそうです。

最後まで掘り起こしたところ、今のような巨大なものであり到底動かすことができない
ので、城内の祖神様の神域にあった為、「お守り岩」として崇めていました。

 

 



すぐ側には南部稲荷神社もあり、裏を回ってみても城内には
巨石がたくさんあった所とわかります。

盛岡は巨石が多いのです。

 

 



まだまだ他にもいっぱいありますが、機会がないので行けず。
盛岡城跡は、古くは「不来方(こづかた)」とよんでいました。

でもあまり良い言葉ではないので、盛(さかえる)意味の
「盛岡」と名前を変えたそうで、
もしくは、森の丘から盛岡へ。

不来方とは、三ツ石神社に鬼の手形があるというので岩手という名前がついたと
いわれていますが、この鬼が「羅刹鬼(らせつき)」といい、村人たちの土地を
荒らすもので、三ツ石神に村人に懇願する話。


「二度と鬼が来ないようにする」呪文のような意味で「こずかた」といわれたとか、
さんさ踊りから由来している説もあり、定かではありません。

その石と関係しているか不明ですが、この城跡は、南部氏の城といわれています。

 



あまり南部氏についてはわかりませんが、遠野もイワクラや巨石が多いのですが、
遠野も南部藩だったので、南部氏はイワクラ信仰があったのかもしれない。
そのルーツが安部(あんべ)氏だともいわれています。

阿部氏は、「あべ」ではなく、「あんべ」と読むのが正しいそうです。

南部氏の遠い祖先は、11世紀頃の前九年・五三年の役で戦い、
勝利を治めた源義光といわれています。

兄が八幡太郎義家で数々の伝承があり、この人が源氏の嫡流となり、
後に源頼朝など関東地方で勢力を強めていきます。

南部氏は、奥州藤原氏の危機を救ったという事で、
青森県東半分と岩手県北部の領土を与えられますが、
このあたりは「糠部郡」とよばれました。

「ぬかのぶ」とは、「古代語の東北学:高橋富雄著」によると、
中世地頭南部氏の馬牧の組織制度のことをさす。

九戸があり、南門は一戸、二戸。西門は三戸、四戸、五戸。水門は六戸、七戸。
東門は、八戸、九戸。

戸は、糠部のことで、村の単位を差す。
安部氏の支配があったと考えられ、安部氏が深く関係しており、
糠部は平安末期から存在していました。


また、南部氏といったら馬。

三峰神社が南部駒を献上して平泉に建立を許してもらった話があるほど、
岩手にとって馬は貴重な財産でした。

馬に関する史料によると、大和朝廷がエミシに苦戦していたのは、
エミシが立派な馬をもつ騎馬民族であったことがわかります。

「718年、出羽国、エミシ87人馬1000疋を貢上。
787年、太政官符、陸奥・出羽両国の狄馬(てきば)=エゾ馬を買いあさり、
     ブローカーが貪り市場が混乱。

密輸により、エゾ馬を買い、農具を輸出し、
農耕化させ富強させるよう助けている為禁ぜよ。

815年、軍は馬を第一とするが競って狄馬を買い求め、現地は動揺している。
兵馬の充足に事欠いているので禁ぜよ。

861年、馬の密輸、売買が深刻化、強壮馬の国外輸出は一切禁じ、軍用にあてよ。」

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盛岡八幡宮は今から300 年以上昔の延宝8年(1680)、
第29代南部重信公により建立されました。

 

 



盛岡八幡宮に祀られている神は、品陀和気命(第15代応神天皇)で、
農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として、
昔から地域の人々の多大なる崇敬を集めてきました。

 



さすが岩手!と思う物がありました。

 



盛岡八幡宮には、「蘇民将来」のお飾りが。
もうお正月の気分ですが、隣のお飾りは鬼の門を封じるといった意味のものがあった。
岩手は鬼の故郷なのだ。

東北には「金」がとれ、平泉があるように、
黄金のジパングといわれ世界的にも有名でした。
 
単に金を精製して貿易をしていただけではなく、
この世の調和を求めて、安住の地をさ迷い続けて、東北を行脚していたのでしょう。

イワクラは、その原質を求めた結果、生じた賢者の石でもあります。

 

 

※2014年11月20日の記事ですので、

今変わっているところもあるかもしれませんが、

紅葉がきれいだったので、お勧めの場所です~もみじ

 

盛岡市内で美味しいチーズケーキ屋さん★チロル★

 

 

 

 

 

学生の頃、よく食べに行っていたびっくりドンキーの老舗は、
ここ盛岡の「ベル」なのですっ!

 

 

おしまい。