黄金伝説とかってますます熱い。

www あつい~絶望 

前回の化女沼で、「化ける」意味には、
いろいろな伝説が含まれていることがわかります。

なかでも、砂金や炭焼き長者として
黄金のジパングと知らしめた陸奥国。
安倍氏や東北の藤原家、その家臣たちが広めていった伝説に、

平家の影。

政治的な意味もあると思い、
交易(常滑焼など)を東海地方(瀬戸内海)だけではなく
海外とも精通していたことがあるため。

為替の発祥とも言えるらしいから、
当時としては、世界を動かせるほどの
流通が発達していたと言えますね~。

それをつぶそうとした源頼朝もある意味、
すごい人だったと思うけどー。
でも、鎌倉を平泉にすることはできなかった。

きっちゃんの政治力、権力を誇示するためのお話ですね。

熊野水軍も含め、あらゆる技術者たちが、
都と通じて瀬戸内海の海民をひきつれていました。

多くの工人を東北に住まわせ交易を進め、
政治にも深く関わりをもっていた「金売吉次」
は、東北の歴史としては必須だよ、と。

しかし、

太平洋側だけではなく、日本海にもあるのです。
場所は、山形県。

 

藤太と阿古耶姫の伝説(山形県) 

 

上山市の向山は城下町を一望できる小高い山である。
あこや姫の父藤原豊光が京都から、
姫がここに住んでいるらしいという話を聞いて、探しにやってきた。

向山に登って眺めると、その反対の山の奥に煙が天に向かってまっすぐ昇っている。

行ってみると、七曲りの急な山道の上に小さな小屋があり、
炭焼きをしている小屋の前には金銀の粒が山になっていた。

この炭焼き男は藤太という者であったが、
その手伝いをかいがいしくやっているのは、娘の阿古耶姫であったという。

 



※上山城跡からみえる上山市街

「七曲がり」や金銀の粒など、隠語がたくさん。
塩釜神社にも七曲がりがあり、
兵庫県の金華山にも七曲がりがある。

 

出羽から陸奥国になりましたから、

それまで、出羽の日本海交易ルートから太平洋交易ルートへ。

 

 

炭焼藤太(金成町畑(はた)地区) 

 

さて、今回の舞台。

 

秦氏?ハタ地区です。

さて、山形県では「あこや」でしたが、
宮城県では「おこや」です。

 

炭焼き長者、吉次伝説(藤太)伝説のパターンは、

こんな話です。



「むかし、金成の山奥に、藤太という一人の若者が住んでいた。
それは働き者で、朝から晩まで炭焼きをして暮らしていた。

炭焼小屋の藤太の顔は、すすで真っ黒。
着物はボロボロで髪の毛もボウボウだ。

炭俵を背負って町へ売りに行く藤太を見て、
すれ違う人は驚いて振り向いたそうだ。

 



ある日のこと、いつものように重い炭俵を背負って山をおりていた。
しばらく行くと、向こうから旅の姿をした見知らぬ娘が、
こちらへやってくる。

その娘は、藤太の前で足をとめた。

「あなた様は藤太というお方ですね。
私は都に住む「おこや」と申すものですが、どうか私と夫婦になって下さい」

と、頼むのであった。

藤太はびっくりして我が耳を疑った。

そして、「たしかに私は藤太と申すが、人違いではないか?」

と聞き返した。

しかし、娘は首を横にふり、なおも夫になってくれと頼んだ。

娘は、はるばる金成の里を訪ねるようになったわけを語り始めた。

おこや姫は、京都に住むある長者の一人娘であった。
お婿さんを探したがなかなか見つからず、そこで姫は、
「よい人が見つかりますように」と清水寺の観音さまを熱心に毎日おがんでいたところ、
「みちのくの金成に住む、藤太という炭焼きをしている若者をたずねるとよい」

とのお告げを頂いた。

これを聞いた父母はびっくりし、
何とかしてみちのくの旅立ちを思いとどまらせようとしたが、
姫の決心は変わらず、思いは強くなるばかりだった。


熱心な頼みに、娘の父は願いを聞き入れることにし、
旅の費用にと砂金を袋につめて、旅に出したという。



住みなれた都を離れ、金成の奥山まで訪ねてきた姫に心をうたれ、
藤太は夫婦になることを誓った。

その後、二人が仲良く暮らしているある日のこと。
姫が都からもってきた砂金の袋を藤太にわたし、

「姉歯まで行って、これで米やみそを買ってきてくだされ」と頼んだ。

藤太は不思議そうな顔で、しばらく砂金を眺めていたが、それを持ってでかけた。

その後、二人が仲良く暮らしているある日のこと。

姫が都からもってきた砂金の袋を藤太にわたし、
「姉歯まで行って、これで米やみそを買ってきてくだされ」と頼んだ。

藤太は不思議そうな顔で、しばらく砂金を眺めていたが、
それを持ってでかけた。




※1 姉歯の松

姉歯に行く途中、大きな沼があり、
たくさんのカモが泳いでいた。

 



藤太はふところに手をつっこみ、砂金の袋を取り出した。

「よーし、これでひとつ、カモを仕留めてやれ」
いつも石を投げつけて、鳥や兎をとっていたので、
砂金の袋でカモに向けて投げつけ、カモを得ることができたが、
大事な砂金は沼の中に沈んでしまった。

 



藤太は大喜びで、カモを見せながら得意げに姫に聞かせた。
だが、姫は「おしいことをしてくれました。
あの砂金があれば、カモの十羽や二十羽もわけなく買えたのに」と
悔しそうに言いました。


ところが、藤太は「こんな砂なら炭焼きがまの後ろに、いくらでもあるぞ」と言って、
姫を裏山につれていきました。

そこは藤太の言うとおり、砂金の山でした。

「これこそ、いつもおがんでいる観音さまのおかげだ」と叫びながら、
姫はその砂金を見て大喜び。砂金がそんなに値打ちがあることを
知らなかった藤太であったが、それから夫婦で砂金を売り、大金持ちになった。

藤太は後に、炭焼長者とよばれるようになったそうだ。

 

 

※伝:藤太夫婦の墓

藤太夫婦には3人の子供がおり、長男の吉次(橘治)は父のあとを継いで
毎年都まで砂金を売りに歩いた。
後に、金売吉次と呼ばれた。




吉次は都へ行き来するうちに、鞍馬寺に預けられていた義経に会い、
いつしか目をかけられるようになった。

義経が16歳になった時、吉次は平泉の藤原氏のところを訪ねるようにすすめ、
その道案内を引き受けた。
藤原秀衡は、吉次のお供によって、義経が無事に平泉へ着くことができたと
大そう喜び、ごほうびに吉次に立派な家を建てあたえたそうだ。

後に吉次は義経の家来となり、戦をするたびに大手柄をたてたという。」

 

 

藤太夫婦の墓は、金成を通る国道近くにあります。
砂金を掘りだしたところを「金山沢」や、
おこや姫が小づまをとってわたったという「小づま川」、
藤太がカモをとった「金沼」など、伝説から生まれた地名が残っています。

 

 

おこやという人 

 

この伝説の「おこや」という方は、
三条右大臣道高の女於幸弥前(おこや)と、いわれています。

お墓は、裏山にあった常福寺にあったのを、
老化を防ぐため現在の所へ移したそうです。

おこやは、1168年頃に亡くなったとありますが、
平泉文化は、1105年頃に始まり、1124年に中尊寺が建てられました。
(奥州藤原氏の没年:1189年)

 

(中尊寺)

1168年は、三代目奥州藤原秀衡の頃です。

お墓は、裏山にあった常福寺にあったのを、
老化を防ぐため現在の所へ移したそうです。

そして、平泉といえば、金鶏。(↓)とても小さい山

 

 



寒河江(山形)にも炭焼藤太伝説があり、
金鶏が発見されています。

 

(慈恩寺)


ここ栗原にも金鶏が発掘されたことから、
寒河江~栗原~平泉と代々金鶏が伝わっています。

慈恩寺の言い伝えでは、

雄には「山」、雌には「神」の字が彫られており、
「金売橘治」という人が、金鶏一双を造り山に埋めたという記録がされており、
実際、1818年に奥州街道を造る時に偶然、発見されたという。





※長者原廃寺跡(平泉)

1174年に16歳の源義経を京から連れて来たという藤原秀衡の御用商人、

三条吉次季春(すえはる)、通称:金売吉次の屋敷跡と伝えられてきたが、
「それ以前からの重要な寺院跡」と推定される。

 

おこやも「三条」ですね。

 

 

照夜姫とは? 

 

ということで、きっちゃんには複数の伝説が語られているようで、

父が藤太、その子が、吉次といったこと。

 

とても細かい伝説になっていますが、
「姉歯の松」というのは、『伊勢物語』(平安時代)に登場するほど、
歌枕になっています。
意外にも、宮城県は京都の次に歌枕が多いんだそう。

伊勢からきている皇女が多いということでもあり、
藤原家が(北関東)からたくさん来ているからです。

「姉歯」との関連を示している伝説であれば、
女性は、采女説、小野小町説(比丘尼)松浦佐用姫説と、
wikipediaにのってましたが、
松浦作用姫が近いと思います。

例えば、熊野比丘尼と同じ伝説になっている小町をみれば、
熊野との関係、佐用姫は九州の人ですけど、岩手県にも伝わります。

東北に伝わる佐用姫は、以前書いていた時に知ったのですけど、
大伴氏の系譜だった。

姉歯の「歯」も気になるところですが、
紀の国からきている紀氏臣と同じ系譜の大伴氏の女性という
ことがあっても不思議ではないと思います。

実際、養蚕を伝えた小手姫がそうですから。

→秦氏と「伴った」=大伴氏。(奈良時代)

「掃部長者」伝説が、奥州市にあり、大蛇伝説で化女姫と同じ。
名前が「佐夜姫」と夜になっていますが、

九州の佐用姫のことでもあり、小夜姫などいろいろ語られまています。

 


それで、ふっと思いだしたことが。
 

照夜姫は、「照」井氏?

ちょっと脱線しますけど、
前に「栗原市有壁には照井高直の子孫の伝説がある」ことを知り、
この伝説の舞台となる金成の近くに「有壁」という地名があります。

金売吉次→源義経→有壁氏→照井高直と繋がっているようです。

なぜなら、照井高直氏は、佐沼城を築いた人で
あの照日権現の~。

 

 

照日権現対馬系日神の阿麻氐留神社と出雲の神。

 



佐沼城の由来は、

「平泉の藤原秀衡の家臣、照井太郎高直(てるいたろうたかなお)によって
築かれたと伝えられており、築城の際、

鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから、
別名「鹿ヶ城(ししがじょう)」とも呼ばれています。

 



ということで、照井氏。
あつがし合戦で頼朝軍と戦ったあの場所も。
全部繋がりますね。

夜は、月神となりますので、
ツクヨミ信仰のことも意味しています。

 

 

資源を残したかった・・・ 

 

化女沼にいって、まさか「照夜姫」を知るとは~。

今、これを書いてそこにたどりつくことが、すごいです。

 

まだ、いろいろありますが、

新鮮な化女沼でした!

 

心霊スポットと言われてますが(そんな所はいっぱいあるぞ)

良くない噂を耳にしていたので(宮沢遺跡も近いしね)

 

遠のいていたのですが、

照夜姫のおかげで、親近感がわきました。虹

 

 

 

化女沼の動植物・・・植物約650種、

絶滅危惧種:オオトリゲモ(沈水植物)、タチモ、ナガエミクリなどが見られる。

 

※環境省:条約湿地リーフレットより

https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/ramsarleaflet/18_Kejo-numa.pdf

 

チョウトンボというのがあるんですね。

神秘的~~

 

 

内沼

 

 

 

伊豆沼

 

 

 

豊かな水と生き物、植物を残したきっちゃん伝説。

「金ではなく、資源を残したかった」と。

なるほど・・・真顔

 

素晴らしい所ですよ~照れ

今度は、真冬の雪景色をみたいですね~。