次は弥生~古墳時代の話しへ。

(2018年4月)

ここは、縄文遺跡だけではなく、
中国から渡来してきた痕跡があり
眠っていたかもしれない王族の石室。

 



富神山に向かって・・・

 



まさに、蘇生を考えてますよね。
古墳に穴があります。
その穴が向いている先は、富神山です。

古い巨石文明の思想。
(だから富神山はピラミッド思想があった)



近くに「とかみふれあいセンター」があり、
(食事もできる)
そのすぐ向かいに、円墳がありました。

「大ノ越古墳(だいのこし)」といい、
発掘史上日本で最も古い?!といわれるのです。

 



「この古墳は昭和53年3月、圃場整備の工事中に偶然、
ブルドーザーに掘り起こされ、発見されました。

石棺からは環頭太刀(かんとうたち)・直刀などの
武具、農具・馬具などが出土しました。
5世紀後半のものと思われますが、畿内政権の傘下にあった
土地の首長の墓であるのか、詳らかではありません。」

 




古墳の大きさは直径15mの円墳。

 

その中から、出土した中で興味深いものが、環頭太刀です。

 

環頭太刀とは、

上古時代の刀剣の一種で,古くは高麗剣 (こまつるぎ) とも称していた。
柄頭 (つかがしら) の装飾の形状が環状をなすもの。
起源は中国で,日本には古墳時代中期に伝播した形式。


「こまつるぎ」は『万葉集』では「わ」の枕詞として用いられている。
種類としては環頭にまったく文様のないものや,

鳳凰文,竜文などを配したものがある。」
※ブリタニカ大百科

 

 



内部に二基の箱式石棺があることがわかりました。

山形県立博物館に保管されています。
「大ノ越」の「越」については、「こしおう」の関係といわれます。

『東北ふしぎ探訪:伊藤考博著』より参照。
「越王、胡四王、胡志王、高志王、
などといわれますが、やや発音が変化したもので、
小姓、オコショウ様、古将様(こしょうさま)、腰尾などがある。

 



「こしおう神社」は、秋田、山形県に多いが、最も多いのが山形県
40を超えるという。秋田は17。新潟10。福島2。宮城・他1。
そのほとんどは、小さい祠か自然石が多いそうだ。


ルートは、
①日本海を北上、
②奥羽山脈から日本海に注ぐ河川水系沿いに船or陸路で巡った。

山形市内、山辺、東根、天童のルートは、最上川水系でやってきた。

また、高志王は巨石文化に関わっていたこと、
山形県内のストーンサークルの分布と、
こしおう信仰のある祠が重なるといわれ、古形の自然石を祀るのが、
高志族の信仰とされる。」


おお~、巨石文化。

蘇我氏と同じでは?

 


 

越王は、中国雲南省の方からきているとも聞く。
日本の縄文と関わりをもっていた渡来人なのか、
縄文を崇拝していた弥生人なのか・・・

越王が日本海に多い理由。

帰化人と言うように、元々倭人だったのか・・・

以前、札幌へ行った帰りに、飛行機から
奥羽山脈の写真をとったけど、感動した!すごい迫力で。
(飛行機からみた奥羽山脈)


 

ということで、ルート②をおしたい~。
越王(古四王)は、大陸から船で日本海へ上陸。
奥羽山脈を越えてきた。

という先祖の足跡がみえた感じ。

 

しかし、このタイプの環頭太刀は、

名取でも似たタイプがみつかっており(取手が丸いの)

太平洋側に集中している。

(このサイトを参考に)

 

 

すると、四道将軍が関東へ向かい、さきたま古墳群を形成し、

会津へ向かった説が有力(もしくは逆ルート)

丹波のサイトからは、瀬戸内海を経由しているようにみえる。

 

四国地方と山陰地方の装飾大刀が非常に多い。

 

 

武寧王陵博物館(公州)かつての百済

http://yuuhis.travel.coocan.jp/korea-zensyu.hp/kousyuu.htm

 

関連は不明ではありますが、

妄想するに、大ノ越古墳でみつかった「鳳凰環頭太刀」のタイプは、

上記のサイトに関係する人?

かつての百済。

 

武寧王は第25代の百済の王(在位501~523年)。

興味深い話は、王の木柩。

 

「この木棺の材質が日本の近畿地方南部でしか産出しない
高野槙(コウヤマキ)と判明したことにより、

当時の日本と百済の関係に大きな注目が集まったということです。」

 

高野山の?!びっくり

 

 高知県に小村神社(おむら)があります。
祭神は、国常立命。
国宝の「金銅荘環頭大刀」を神体としています。

 

越智国造の小知命(小千命/乎致命)という人。

 

今治市の「日高」に伝わること等から、この小知命が当地に至り、
国土開発の神として国常立命を祀り大刀を神体としたとする。

 

船の航海技術があった為、この当時、勢力があったのは、

オチ氏といわれた越智のことがあったと思います。

しかし、「越」ではなく「小」の方の漢字が由来。

※大和越智氏は、源頼朝の末裔なので関係は不明。

 

なんと、愛媛県の宇和島に伝わる

「宇中漕艇部の歌」の中に「越王勾践」が登場しているのです!

 

海賊として名をはせた伊予国

仁淀川水系を押さえたと言われるので、

海民=治水技術者

 

小村神社が建てられた背景に、

出雲があり、葛城王朝があり、物部氏があり。。。
日高という地名。

宮城県の熱日高彦神社が浮かびますね~。

 

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大ノ越古墳の主は、この付近のストーンサークルなど縄文祭祀があったので、
富神山をピラミッドとし、魂を船とみたて、

あの世へ送る儀式があったと想像。


では、越王はどんなルーツをもっているのか。
四道将軍というのがあります。
四道将軍(しどうしょうぐん、古訓:よつのみちのいくさのきみ)は、
『日本書紀』に登場する皇族(王族)の将軍で、大彦命(おおびこのみこと)、
武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、
丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)の4人を指す。

 

四道将軍の分布(wikipedia)


崇神天皇10年(紀元前88年?)にそれぞれ、北陸、東海、西道、丹波に派遣され
実際、派遣されていたことはわかっています。
石巻の牧山で登場していた和邇氏ですが、丹波の武渟川別命の遠祖といわれる。

「こしおう」は、その大彦命の系譜で、安倍氏の祖ともいわれるが微妙・・・。
阿彦王ともよばれ、日本海で「越」となった。
「大いなる男の王」といった意味の大彦命とされ、
母親は、穂積氏の系譜なんだとか。

また、さきたま古墳群の稲荷山古墳で見つかった鉄剣に、
「意冨比こ」という文字は、大彦命であるとされる。

花巻にも胡四王神社がありますが、蘇民将来が伝わっている神社です。
胡四王舞楽は、早池峰の岳舞楽を伝習したのに始まる山伏神楽といわれます。

 

 


 

さて、その四道将軍のいた場所と、古墳で見つかる環頭太刀が

一致することから、ルートは暖かい所で止まっている感じ。

東北は寒いですから。

雪も多く、暖かい瀬戸内海からみれば、

厳しい東北の自然環境とは合わなかったかもしれない。

 

どんなルートでここまで来たのか・・・

 

 

ロマンある富神山でした。

 

花巻の越王についてはこちらを参考に。

 

 

富神山は、おしまい。

また訪れたい所です。