2017年3月11日、
震災の日、水沢に行ったこと。

一関から磐井川

 



この日は、角塚古墳をみた後に、
水沢駅近くに美味しいコーヒーが飲める
カフェがあると知って、
「地球屋」というカフェへ。

 



雰囲気もとてもよくて、のほほんしていると
目の前に「ILC」の旗が。

 



「リニアコライダ―」を知っている人は、
どれだけいるのでしょうか?

 

 

宮城県のサイトです。

 

 


武甲山の二の舞だなと思ったこと・・・

この当時は。

 

果たして、このILCが未来のため、

という提唱は、誰に向けていることなのか?

 

みえないよね。

伝わらないよね。

 

大自然の営みをもつ北上山系の(一部)

破壊されることは、事実。

今は、コロナにより、欧州3カ国がILCの建築に
(北上山系が有力候補)「消極的」という情報。

これはある意味、コロナのおかげでもある。

日本が「YES!」と言うことを欧州は待っている。
しかし、膨大な予算がかかることと、
30年以上の研究時間を要するという事で難しい。

アメリカがILCの準備機関を設けると言っているが、
それには「日本の誘致表明が前提」という条件がある。
(2021年11月時点での情報)

アメリカが日本にYESと言ってほしい理由は、
中国にILCがいくことを阻止したい為では?

しかし、もし実行したとしても、
永遠にやるわけではないので、終わりがある。
その後の処理をどうするか?

廃棄物処分場に変わることは、あり得るでしょう。
巨大な岩盤の穴はそういう目的で目をつけられる。

武甲山が一時、そうなる噂がたった。

水が枯渇することは、明らかです。

なぜ、日本が背負って北上山系に
大きな穴をあけねばならないのか?
その理由は、後で。

アテルイは何かを伝えたかったのかもしれない・・・

 

 

 

アテルイについて

 

アテルイが、跡呂井(水沢区)という所から
発祥している理由はあるのですが、
その地名が何を元にしているかはわかりません。

 



濃ゆい~~指差し
 
タモノキミ(大墓公)アテルイというのが、
田茂という地名が発祥との説あり。

タモには、エタモイという武蔵の豪族の名前がおり、
音が似ていることから出雲っぽい気もする。


でも、それよりもっと出雲らしいのは「モレ」だよね。

エミシは、先住民と共同生活をしていた帰化人もいたと思うのですが、
朝廷はエミシの製鉄技術に脅威をもっていた為、
エミシに対し、

「其れ東辺北辺は鉄冶置くことを得じ」
と、鉄の技術を頼りにしていた。

その技術をうまく利用しようとした朝廷は、
上毛野氏にかわって物部氏を起用したり、
アテルイが登場する時代になります。

 

とかく、鉄がほしかったわけ。

(軍事に必要だから)

現代とやっていることは、変わらない。

三十八年戦争とも言われますが、
朝廷軍は、アテルイを率いるえみし軍に苦戦します。

 

 

 

北方の王者

 

南の王者を「アザマロ」と称され(アテルイより前)
北の王者は「アテルイ」と称された。

水沢駅の東へしばらく行ったところの交差点に
「アテルイ公園」があり、アテルイ像があります。

 



土偶みたいな不思議なアテルイです。

 



看板の説明より一部、抜粋。

「そもそも蝦夷は文字をもたず、
日本人のルーツとも言うべき縄文文化の中に、
土器として表現されたものから彼らの思想を汲みとるにすぎない。

縄文人は水鏡をもって天空を映じ、
火炎土器(縄文中期)には
その上昇志向が表現されており、
口縁のうねりと渦巻状のくねり等の装飾が
特徴とされている。

こうした中で、その偉大な先人を顕彰すべく、
この縁りの地に建てたのがこの像である。

地域シンボルとしてのこの像は、そうした史実を基として、
時の権力に対抗し続けたこの地(蝦夷)の
首長アテルイの怒りを、抽象表現とし、
縄文土器の中でも、特に雄壮な形象をもつ
火炎土器を背に構成したものである。

肌は土器の色、大きさは縄文人の上昇志向と
アテルイの偉大さを表現するため、
あえて際立つ高さの円筒にまとめたものである。
尚、周囲の池は縄文人の水鏡と、
巣伏の戦場、北上川の水を意味したものである。」


う~ん、
「首長アテルイの怒りを、抽象表現とし」
怒りを表していること・・・重たい。

私は、笑っているアテルイを知らない。

笑顔の時があったのだろうか?

それは、東北中の人が望むところでは?

いろんな意味を込めた像であった。

すると、
この後、晴れていたけどパラパラ雪が降ってきたのです。

巣伏の戦いの地へ行く予定で
信号待ちをしていたら、雪が降ってきた。

当時の震災を思い出す。

あの時も津波が来てから、雪が降り注いでいた。
暗く寒い時だった。

 

 

神明社

 

青森県の十三湊あたりにトミナガスネヒコと伝わる墓があり、
神明社が建立されています。

 



跡呂井地区の氏神らしいのですが、神明社です。

アテルイもナガスネヒコも神明社が関係するのかな。
青森県にあるナガスネヒコ伝説の場所も、
神明社なのですよ。

 



神明神社は、天照大神を主祭神とし、
伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であると。
太陽神なんですよね。

伊勢式の神道を蝦夷征伐の時に、
一緒にもってきた感じがする。

というのは、岩沼がそうだ。
多賀城の造営のために、藤原家が祀ったのが神明社だから。

もし、その鎮魂をするのが斎宮という、
雅な巫女さんだったら、えみしも戸惑うよね。笑

 



ここは「アテルイ王千二百年祭記念碑」があります。

境内に入ると
ずら~っと並ぶ石碑の数・・・・ありすぎ。

 

 

たぶん、各地域のお社からここが氏神であるため、

石碑を集めている(移している)のだと思います。

 

 

巣伏の戦い

 

 

巣伏の戦いとは、簡単に言うと、
紀古佐美とアテルイがぶつかったところで、
互いにたくさんの死者をだしたという。

 



その多くが、北上川での溺死です。

 



今より大きい大河だったので、
海に溺れるような過酷な場所だったと思います。

巣伏は「すふし」と読み、
「四丑」(しうし)地名として残っていることから、
由来している説があります。

 



ちょうど文字の部分が光ってますね。
「巣伏の戦いの碑」

 



「巣伏」という漢字の由来は調べてみないとわかりませんが、
巣に伏すというのは、意味としては、
「腹ばいになってひそむ」ということで、
巣に臥すという意味ではないかな、と。

 

 



どこかで宇宙が繋がっていると思うんですね。
水沢に宇宙天文台があることも。

だから、「北上山系にILCを誘致したい理由」

が、そこにあった。

Z功を生みだした木村榮(ひさし)の故郷が水沢だから。

 

※国立天文台 水沢 入口には、庚申碑

木村氏の故郷だから、世界中の宇宙研究者が、
北上山系のある一関~水沢をILC研究にふさわしい地とした。

(また、東北大が優秀なため)

この巣伏では、紀古佐美はこの時大敗したのですけど、
さっさと引上げてきたらしく、
腰ぬけのように書かれていたが・・・。

 

 

私は、紀古佐美の気持がわかる~。

(ほんとはやりたくはなかった)

えみしは強いから。

 



しかし、今までだったら蝦夷に大敗したら、
降格や左遷などの罰を受けるのですが、

処罰されるところを、これまで朝廷に仕えてきた功績を
勘案され罪を免じられていたそうです。

 



その後、大伴弟麻呂が胆沢へ攻撃し、少し有利に。
そしてマロが征夷大将軍となり胆沢城を建てる。

その年(802年)にアテルイが降伏し、
8月13日に河内国(大阪)で処刑された。


巣伏の戦いから13年が経っていました。

 

 

 



有名な田んぼアートをしている所だったんですね!

 

 

とにかく、美しい雄大な雪山がいいね~。
焼石岳かな。

 



もう6年も前のこと。
ここに来れて良かった~。

また、行きたいか?と聞かれたら、
・・・どうかな。

またいくことあるんかな。

 

★アテルイへの道(興味ある方はぜひ~)

 駅から東へ進み、花園町交差点を直進。
次の交差点(右側)にアテルイ公園があります。

 



神明社へは、信号を渡り直進し、郵便局を左折。
小学校を過ぎてすぐ角を右折すると神社があります。

 

 

アテルイはおしまい。

たぶん・・・