徐福が好きすぎて、こんな本を買ってみた。
めっちゃ面白い!!

「ロマンの人」ウインク

本を参考に、徐福考察を。

『ロマンの人・徐福』奥野利雄著

 



徐福精神とはなんぞや。
不老不死としかわからなかったけど、

・不老不死の薬→薬師信仰
・石信仰→シャーマニズム
・捕鯨→大航海


案外、海の縄文精神をもっていた・・・

 


 

 

徐福の航海

 

徐福は有名ですが、
簡単に紹介しますと、

「身分は、『史記』より、
不老長寿の術を職とし、
呪術師、祈祷師、薬剤師を兼ねたものとある。
他、天文、占星術の学問も有していた。


当時、秦の始皇帝に仕えた彼らのような人は、
300人くらいおり、その中でも「皇帝」
が徐福を最も信頼していた
といわれる。


身分も保障されるほどの貴族の出身者であった
考えられ、東海の神仙の地に派遣した際、
最も秀でた人であったと言われます。」


後に、日本に大量の老若男女(3000人ほど)
渡来してきたのですが、
秦氏は徐福一族とされます。

※徐福図

航海説はいろいろありますが、

中国寧波(にんぽう)から杭州まで南下し、
向きを東に変えて、黒潮にのりながら、
日本へ。

 



始めは九州に上陸。
更に太平洋を東へ進み、
土佐沖、熊野灘に漂着。

 

※徐福伝承地。

 

 

 

たそがれ徐福

 

縄文から弥生の転換期の時代に一致し、
新しい開拓を日本で行ったとも言える。


徐福が新たな建国を目指していたことはある。

 

※佐賀県吉野ヶ里遺跡

グローバルな考えで、人々の意識向上を
行える人であれば、多くの人が徐福についていくだろう。

(私もついていった)

多くの技術者、職人、知識人、
もちろん、織物=機織技術者もたくさんいた。
大量に複数回に分けて、渡来してきたと言われる。

それに、徐福精神をみると、
少し縄文のアニミズムがある。

元々、日本列島に住んでいた人が
再び帰郷したと思うが・・・

日本で迎えてくれる人がいないと、
この時代、許されることではなかったからね。

徐福は、喜びと期待の中での大移動だと
思っていたが、そうでもなかった。

徐福の大移動について、

「もう一つ徐福の大きな課題は、
残された一族の始末である。

徐福は二度とは帰らない覚悟で出航し、
始皇帝への裏切りから、
始皇帝の遺族への仕打ちは火を見るより明らかである。


徐福が最後の出航にあたり、
遺族に宣言したことは、今日以後は徐姓を
名乗らないこと、各地に分住することであった
。」


という事で、秦氏が表に出ない理由がみえてきた。

 

 

和歌山県新宮市の徐福公園

 

 

 

 


系譜は「黄色の人」

 

妄想ですが、「裏切り」というのは、

ユダヤの裏切りの話しとよく似ている。

黄色だし。

 

自身の体験ですが、
中国にいた時に、蘇州と杭州へ行ったのですが、
空海が行っていた所は、「禹」に関わるところで、
それが、徐福がいた所でもあった。

蘇州に「徐福村」が発見され、
徐福伝説が残されていた所なのです。

現在は、「徐阜」であり、
村の人の中に、一人も徐を名乗る人がいないことから、
徐福が一族に徐を名乗らないことを、
約束していたことが改めてわかったという。

そんな徐福の系譜は、
中国古代の定説では、

三皇→不儀、神農、黄皇
五帝(聖)がある。=三皇五帝の事


徐福初代になる前の系譜に、
「伯益」の名があった。

やはり、中国の治水神「禹」の子孫と言っている。

それについては、石巻で果てしない妄想をしてました。

 

 

 

『富士山神代紀』では、
黄帝が初代にあたり、徐の名を記している。

しかも、黄帝は別名「軒轅(けんえん)」で、
七星の北にあり、一七星からなる。とあった。


有熊(ゆうゆう)国の君主、少典の子であった。
母親が、大きな電光が北斗の(第一星である)
天枢星を取り囲む(ように走る)のを見て、
それに感応して黄帝を生んだ。」


青銅器から製鉄へ変えたのも、徐福だったのか?

ですから、日月星信仰は徐福由来であると思い、
その呪術が、妙見信仰に受け継がれていたことも!


また、「神農」の図は、
以前、黒川郡大和町にある大野東人の末裔が建立した
「黒川神社」で見かけてました。↓

 



この神社は薬師如来が有名で、
古くから伝わる薬師の神です。

→少彦名命

 

老人のような姿が、神農。

(以前の御堂にあったものを額として飾ってました)

大和町は泉区に隣接する。
徐福思想は、ここでも受け継がれているのです。

また、それは、出雲思想とも重なる地であった。

 

 

手力男の存在は?

もっと、謎が深まること。
ネットの情報ですが、
出雲を研究されている方の説に、

徐福の父の名前が、「除猛」で、、
その正体が、天手力男という大あくび

ええー、それはないでしょう・・・と思ったけど、


熊野新宮(速玉大社)に、ヤタガラスと並んで、
手力男がいた!!

 



適当な話でも・・・ない。キョロキョロ

しかも、天手力男は、伊勢神宮の祭神、天照大神の
「相殿」になって祀られている。


それで、アマノコヤネと(一説)にフトダマ。

春日の神。

忌部=フトダマ

 

秩父ではアマノコヤネは多く、

思兼命で、天之御中主神のこと。(妙見ね)

 

ということだから、大嘗祭における祭事を、
徐福(秦氏・忌部氏)が古来のものから変えている。

ただ、それを封印だの、悪だの、
言うことはナンセンス。

その分断意識が、自身の弱さだ。

見ている先は同じ。


まずは、受け入れ、呑みこむ。

そして、吐き出せ。

食べ物と一緒。


そのことについて、
変えたいと思うならば、


それを、自分の思い、考え、思想をもって
人との結びを「実行」し、
「行動に移せるか」が、大きなカギとなる。

(勇気がいる)

先にある世界を、変える方法は、

クリエイトするしかない!

(むずい)

 

てなことを、いろいろ言われる。真顔

のほほ〜んで、いい。
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熊野灘に上陸した徐福を、
唯一、熊野新宮が崇拝していたと思う。

 

 

紀州速玉大社では、「蓬莱山」の名があった。

徐福が祀られていたのは、石であったという。

公園の近くに、阿須賀神社があり、
飛鳥と阿須賀は同じらしい。

 



そこに徐福を祀っていた(稲荷として)

また、
最も古い稲荷神社は、熊野古道にあり、
稲荷の発祥も熊野だったことになる。


だから、上陸した熊野新宮には、「鍵」があるのだ。
天手力男とは、「かぎのみや」と言った。

漢字が意味深。(口が三つ)

 



閉じる方なのか・・・


※mojinabiより

 

細かい説明ですと、
籥は竹笛の意味があった。


天手力男は、天の岩戸開きの時に、
大きな岩を投げた人だよね?
戸隠神社にもいるよね?

過去にみた夢が一致していた・・・絶望

なぜ、私が中国の杭州で過去世を思いだしたのか。
とか、いろいろ符号する。

 



※中国浙江省杭州市西湖。

12000年ほど前に形成された潟で、
秦の始皇帝が銭唐に至り
浙江を臨む

との記述が史記にあった!

留学時、夜、ここで散歩していた時、
生ぬるい風がふっと吹いてきて、
風は時空を運ぶから、
「はるか昔、同じようにここを歩いていた」
過去世を想いだした湖だった。

・・・湖は記憶が溜まっているよ。

池や湖を覗き込む癖も、そこにあった。

という事で、単に他人事ではなかった歴史を
魂がよく覚えていたことが、

徐福萌え~になったわけか・・・

みんな、渡来人だからね。

なので、いつも徐福は、
中国と日本の友好を願っていた。

 

※日中友好庭園内の西湖を模して作られた池(杭州西湖)

留学時も、日中友好30周年記念で、
日本と中国が交流した政(まつりごと)で盛り上がっていた時。
私にとっては大事なことだった。

民族を越えた、真実は美しい。

新たな発見は、人々の心の覚醒に結びつくから。

 



想いだした、長い旅路を。
だから、私も黄色だよ(魂がね)。照れ

 


長くなってしまったので、
男鹿半島のことを書こうかな。


あ、結局、これは、ナマハゲにも似てますなぁ。


つづくらしい。