磐は霊魂を運ぶ舟である。

地平線の彼方まで続く丘の世界で、
花が咲く緑豊かなその大地に、
光あふれる太陽が舟を包む。


その霊魂を見守るのが大日如来である。

 


ここのお船観音様は、
大日如来が観音様を見守るように向いています。

 



写真は、数年前のものです。

帰省時、久しぶりに札所三十二番へ行ってきました。

今、こうして巡っている理由がわかった。

この時、すでに友人が亡くなっていたことを知らず。

毎年、届いていた年賀状が今年はこなかった。
その後、訃報の手紙が届く。

何も残さずに、突然、旅立った友に捧げる。

 

 

札所三十二番

 

 

この観音様は、お船観音といい、
岩が舟のようにみえるから、と思います。

 



「神は船にのってやってきた。
天下りとは海下り。

船とつく山の特徴には船に乗ってやってくる
伝承があり全国に多い。
船を神格化する理由には、神輿がある。
ルーツは山神霊を運ぶ船であるアークと考える。」

※(深野稔生 『船翔ける船紀行』 より)



木船を神の乗り物とし、
出雲佐太神社は小さな窪地に木船を浮かべて神送りをする。

山と里を行き来する乗り物は船であり、
岩船もそうではないか?と思う

岩に乗ってやってくるらしい。

古い地層にのっていろんな思い出も

一緒に運ばれるのです。

 



奈良時代、行基の開創と伝えられ、
一刀三礼して本尊聖観世音菩薩を刻したと伝えられています。

 



また、弘法大師が大般若経六百巻を
一晩のうちに書き上げたと伝えられることから、
当地が「般若」と言われるようになりました。

 



しかし、文献で明らかにされるのは、
鎌倉時代貞永元(1,232)年眼応玄察和尚が曽祖開山であり、
当時は密教系であったことが推察されます。

その後江戸時代に、曹洞開山智外宗察が
ほぼ現在の形に伽藍を整えました。

 

 



観音様や仏教などに磐が取り入れられたのは、
神道の後に仏霊を信仰する風習になった為、
神から民間信仰へ変わったとされます。

 



里山の民間信仰では、
魂は一度里山へ行き(仏教では四十九日間)。

四十九日後は、送りだすために霊魂は一旦家に戻り、
高い山へいくとされます。

 

 



横瀬町では霊魂は、近くの里山(祠などが祀ってある)から
四十九日後、武甲山へ魂を送るという考え方が昔はありました。

お盆の迎え火、送り火は、
私の家では前の里山or武甲山から下りてくると考えてきました。

船とつく山名が多いのに、
海洋民族が大きな船でやってきたから船信仰ができたという
説がほとんどですが、なぜその海から山なのか?


というのは、魂は海から山へ行くと考えられてきたからだと思います。

 

 

 

 

 

船とつく神社

 

一例:

・岩船神社(宮城県)----祭神はニギハヤヒ(どこ?)
・磐椅明神(福島県)----船曳き祭りがある。
・岩船神社(茨城県)----鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)が起源。
・岩船神社(新潟県)----ニギハヤヒ、ミズハノメ、タカオカミをお祀りする。(岩と船の由来)
・岩船神社(山梨県)----タカオカミ・クラオカミ=貴船神社(元は木船)
・荒船神社(群馬県)-----荒船山は元はアララト山?
・石舟明神(高知県)---物部氏 ニギハヤヒの船がある。
・熊野速玉大社----御船祭
・磐舟神社(大阪)----平石がある。
・磐船神社(大阪府)---木よりも鉄、
鉱石を持つ人たちの強い船ができていた。(祭礼がある)

(深野稔生 『船翔ける船紀行』 より引用)

まだまだ、たくさんあるのですが、
岩船というとニギハヤヒをお祀りする神社がほとんど。

 

 

 

秩父大神

 

帰りにみつけた神社。

 



秩父大神とは初めてきいたぞ~。

 



看板の由来によれば

「御祭神:聖天宮(秩父大神神社本殿)

昭和三十四年八月に指定有形文化財。
明らかではないが、法性寺(札所32番)
の近くに歓喜天(聖天)を祀ったのが起源と伝えられ、

もと、「聖天社」と称した。

 



神仏分離後、秩父神社の祭神を勧請し、
秩父大神社と改称された。

現存する棟札には1796年(寛政八年)の再建とあり、
ケヤキ材の入母屋造、柿葺きで四面に千鳥破風と唐破風がつき、
精巧な彫刻と彩色が施されている。」

 



聖天神楽というのがあり、けっこう、衝撃です。
道徳として子どもたちに教えたものでしょう。

しかも、毎年、四月十五日の祭礼に、
神楽殿で奉奏される神楽は、根古屋の神楽
=武甲山御嶽神社里宮神楽の神楽師から伝授されたと!!

しらんかった~

 

 
 

 


この武甲山御嶽神社里宮で奉奏される太々神楽は、
文禄5年(1596)鉢形守城日下部丹波守が、
古例にならい武運長久、百穀豊饒を祈り奉奏したのを起源と伝える。

 

 



それにしても・・・「日下」
シンクロしているなぁ。

 



そんなことでしたので、
私にしかできないことを、
生きて生き抜いて、

(何をやるかわからないけど)

やり遂げるしかない。

 

ご冥福をお祈り致します。