今度は北上して舞台は栗原市高清水町。

「高清水の旭神子」という名取老女のような
羽黒or葉山講の口寄せがいましたが、
知識があった人、もしくは、武士の奥方であったり、
いろんな伝説を残している巫女さんがいました。

福島の貝田和歌神子と、
宮城の旭神子について、イタコや口寄せを
始めて学問としてとりあげたのが、
ロシアの東洋学者ネフスキーと言われます。(奥さまは日本人)
 

日本のメディアでは一切とりあげませんが、
戦時中の闇深い民俗学です。

しかし、いろんな噂があるにしても、
ロシアが日本に貢献してきたことがある。

そんな
高清水の旭神子について言及されておりますが、
資料がほとんどないので実態は不明なものの、

山形県のオナカマサマが
高清水の旭神子にお世話になったという文献が残されている。
(他、気仙沼にも伝承があり)

 

 

※山形県十八夜観音堂(口寄せの道具が文化財に指定されている)

 

 

よくわからないが、「蘇我馬子」の末裔が開基したと。

山形で知られた旭神子ということは、
羽黒修験に関わる人であり(福島~宮城へ)
当時は、名が知れた人であったと思われます。

そんなことで、旭神子の痕跡をさぐろうと思ったのだが・・・

『高清水歴史絵巻』という本を図書館でみつけてしまい、
オールカラーで面白い。

読んでいたら、はまってしまった・・・

閻浮檀金(えんぶだごん)」という金に。

そっちなのか。ニヤニヤ


溶けない金・・・ヒヒイロカネみたいな?

なにそれ~。
ちょっと面白そー。キョロキョロ

やっぱ、タタラ場を「朝日」と名付けるから、
そうなんだな。


もう、あさひちゃん関係ない。
と、思ったけど、繋がっているようだ。ヒヨコ


1000年前と同じ「末法思想」が、
今、同じようにシンクロしている昨今。

だから、阿弥陀如来なのだ!虹

末法の世が開ける世界とはっ!?

いざ、高清水へGO!指差し

 

 

  羽黒山公園

 

といったことで、先週のことです。

 

まず先に、ここ。

羽黒山公園(大崎市)

 



ずっと前にヒガンバナを見に行ったことがあります。
その時、何か歴史があったな~と思いだし、
なんだったか確認しにいく。

 



看板が・・・葉の影で読めねー。

最初の部分はスルーしまして、

「前九年の役」の要衝の拠点だった。

そうだったのか。

それだけ知れば良い。


 

 

 

立派な鳥海山の碑。

これは珍しい。

 

 



天気よい秋晴れ。

 

 

  地震を起して高清水に坐す

 

仙台からは車で1時間45分くらい(下道で)車
大崎市をぬけて栗原市に入ってすぐのところが高清水町。

名取の歴史とよく似てます。
やはり、熊野信者によるものがあったと思われ、
高清水にも、懸仏が見つかっている。
(かつて、名取の高舘山も羽黒講がおり懸仏が見つかっている)

高清水町は、栗原市に属し、
湧き出る清水が多いところです。(後ほど)

 



古くは、「高泉」と言われ、奥州街道の宿場町でした。


主に高清水を治めていたのは、坂東平氏(国香流)の
「大掾氏(だいじょうし)」と言われます。


日本一と称されていた阿弥陀如来は、
中世の頃、大掾氏が一族の繁栄とお後世を願い、
造られたとされます。

 



『高清水町史 歴史絵巻』を参考に、
こんな言い伝えがあります。

 



「高清水の阿弥陀如来は、
奥州でたくさんの人々が飢饉や争いで
苦しみを解くために、

聖徳太子の言葉により
奥州のために仏が造られることになった。

信濃の仏のお姿を写し、
材料は百済の国からとりよせた
黄金より貴重な「閻浮檀金(えんぶだごん)」
という金であった。

しかし、その金は溶けることがなく、
仏を造るどころか、るつぼの方が溶けてしまう
ほど、難題であった。

 



後に完成し、阿弥陀様を奥州へ運ぶ途中、
高清水を通った時、みこしが動かなくなり、
中から光が放たれ、大地がふるえた。


それで阿弥陀様を高清水におくこととなり、
阿弥陀堂をつくったのが善光寺である。」

 

 

 


 

 

もうひとつ御堂があります。

 

 

 

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宮城県にも善光寺があったとは知りませんでした。

地元では、阿弥陀様は、「高清水にいたいから」
地震を起した、と伝わっているそうです。

 



東北らしい伝説と思います。

この言い伝えは、長野県の善光寺の
逸話と同じものです。

 

※善光寺の阿弥陀如来像

全国最大の銅造善光寺式阿弥陀如来で、
高さ154.3m。
肘張り46.5m
(誰かをモデルに等身大にしているのかな?)



鎌倉時代中期に製作され、
県北一円に信仰されて、
中心的存在であったそうです。

 

※名取の阿弥陀如来像

 

ちょっと雰囲気が名取の熊野信仰があった

阿弥陀様と似てます。

※名取市 新宮寺(鎌倉時代)
木造阿弥陀如来立像(高:53cm)寄木造

伝説の詳細は、こちらを。

 

 

 

  閻浮檀金とは

 

この閻浮檀金がとても面白い。

まず、読めないし、

すぐは覚えられない。笑

「閻浮提(えんぶだい)の

閻浮樹の下にあるという金塊。
または、閻浮樹の林を流れる川の底に産する砂金。
また、広く、良質の金をいう。」
(コトバンクより)


「閻浮提」とは、

古代インドの世界観における人間が住む大陸。

仏教では須弥山、
インドではメール(シュメール)を中心とする島。


これ、wikipediaで調べたら、すごいことになっていて。
(私の世界の中だけど)

「四大洲のうち、南に位置する三角形の大陸を
ジャンブドヴィーパ(閻浮提)と呼ぶ」


いやいや、これは夢の世界でみたあれかな・・・

一昨日、三角形のシンボルがたくさん掘られた石壁に
石仏がありました。
場所が、インドにある遺跡なのです。びっくり

水場がある所の夢。

それで、この特別とされる金は、
須弥山にあると言われる。

 



「七金山(しちこんせん)」といい、
須弥山の周囲にある七つの黄金山。

 

 

  女性の救済にあった善光寺

 

また、難波(なにわ)が登場するのですが、

善光寺の逸話の中で「百済」がでてきます。
百済といえば金です。

堀江の川は、聖徳太子になっていますが、
仁徳天皇説もあります。

現在の大阪堀江の地域ではなく、
難波の近くにあった堀江とされ、
昔は、生駒山の方まで湿地帯が広がっていたそうです。

 

大坂城

 

※生駒山

古墳時代中期は、ヤマト王権が中国王朝および
朝鮮諸国と積極的に通交し始めた時期であり、
ヤマト王権にとって瀬戸内海は重要な交通路と認識されていた。


蘇我氏と物部氏の対立になっておりまして、
552年百済の聖王により釈迦仏が伝来。

しかし、堀江に仏像を投げ捨てられ、
数々の天変地異は、
蘇我稲目が渡来した神を祈ったから、
国津神(神道系)が怒ったということになっている。

 




若い時、一人旅で善光寺にいき、

お戒壇めぐりでトラウマになった所です。笑

 

すっごい暗くてびっくりした。

パニック発作手前までになり、

具合悪くなってきたうえに、途中で人がどこかへ行ったのか、

前後いなくなったのです。

 

急に静かになったので、

道を間違えたのか?急に不安になって

怖くなったら、後ろの人の足がぶつかり、

 

とっさに出口はどこですか?と聞いたら、

出口はもうすぐですよ、と教えてくれて、

助かりました。

 

出てわかったけど、巡回していたお坊さんでした。

真後ろにいたのですね・・・

 

そんな風に、闇の恐怖で一回死んで、

僧侶に助けられて生まれる

という体験をまさにしたのです・・・

(もう二度とやらない)


善光寺は、中尊の阿弥陀如来、
両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の
3体とも立像とされます。

無宗派と言われてますが、天台宗と浄土宗が
護持・運営されている。

天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めているとあった。

女人禁制があった旧来の仏教の中では、
稀な女性の救済が挙げられる。


また、

日本百観音(西国三十三所、坂東三十三観音、秩父三十四箇所)の
番外札所となっており、
その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、
「結願したら、長野の善光寺に参る」といわれている。



ああ、そうだったか。

最後の秩父に善光寺が繋がっていたのか・・・

なので、いろいろ興味深い阿弥陀様なのです。

 

 

入口には石碑がたくさん。

この上は、愛宕神社。

 

 

北条塔

北条高時が新田義貞に敗れ自害したのを悼み建立したと伝わる。

 

 

板碑にトンボ。

 

 

 

銀杏の実。

 

 

 

 

 

  東北に広がる「目連尊者」のこと

 

最後に、

 

善光寺の逸話に、「目連」が登場してきます。

 

お釈迦様は長者の願いをおかなえになるため
神通第一の目連尊者を竜宮城に遣わされ
閻浮檀金を竜王から貰い受ける

こととしました。

目連は、お盆、盆踊りといった

行事の創始者と言われます。

 

※目連図(釈迦の弟子)


高清水に伝わる旭神子とは、
「目連救母伝説」からオカミサン(宮城県の口寄せ)の間で
語りはじめた縁起により広まった。

つまり、
釈迦→目連尊者→慈覚大師(円仁)→貝田和歌神子→旭神子
と伝播されているわけです。

スピリチャルで訳せば、
円仁は、釈迦とチャネリングができた、という事。

あの世の世界との橋渡しができるために、
巫女を訓練してきた、という事でもあり。

しかし、障がいのある人が
幼いころから、修行についやし、
生業とするための訓練を強いられた。

 

目が見えない人は、

「見えない世界が見える」とされた。

 

そのため、あえて目をつぶす人も

いたという。

 

死に近い職は、忌嫌われた。


鬼にされ、差別化され、誰からも

触れられることなく、風化していく。

現代は、混沌とした時代、
末法の世と言っても過言ではありません。

しかし、過去にも同じことがあり、
救済のためにたち上がった人たちがいる。

 



末法思想では、釈迦の後、
登場するのは、弥勒である。

「悟り」と「自覚」

 

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ちなみに、唯一人魚寺伝説の
滋賀県「観音正寺」

 

開山は聖徳太子とあり、
聖徳太子絵伝が一般公開されるそうです。

 

(スタバのロゴにしてくれ)

だから、近江です。

なぜ、琵琶湖があるか。
 

 

 

 


末法の世が開ける時はくるのか?

 

阿弥陀様はおしまい。



次は、清水の上に祀られていた神社へ。