やっと行けました~♪

すごいとこだから、コーフンするクラッカー

(↑テンションあがる所を間違えてます)

光る怪鳥の尾去沢(おさりざわ)指差し

 

 

この話、広大な金鉱脈のことじゃない?

金牛は、そうでしょう。



何度も登場していた炭鉱の名。
鹿角へ行ったら、まずここを見学したい!と
考えていたら、Nさんに案内してもらいました。

以前、栃木の「足尾銅山」にいったことがあるのですが、
あんな感じをイメージしていたので、
一人でも大丈夫かと思っていた。

 

が、
それ以上の規模でした・・・ゲッソリ

一人では行かない方が良いでしょう。
勇気ある人は、どうぞ。

※写真をバシバシとってしまいましたが、
敏感な人は、具合が悪くなるかもしれませんので、
さくっと見ておいて下さい。ヒヨコ

 

 

崩落した跡。

 

昔、このあたりため池(鉱山の)があったそうですが、

土砂災害にあい、たくさんの方が亡くなったそうです。

 

 

 

尾去沢鉱山について 

 

開山は708年(和銅元年)と伝わる、
古い鉱山。

 



銅や金が採掘され、現在は、史跡と
テーマパークとしてお土産屋もある。

 

 

尾去沢の金が平安末期、
藤原氏によって築かれた平泉の黄金文化に
大いに貢献したと伝えられています。

 

 

 


尾去沢鉱山は、鉱物が溶け込んだ熱水が岩盤の割れ目に染み入り、
地表近くで冷え固まった鉱脈型鉱床の典型。

 



新生代新第三紀中新世のグリーンタフ、
珪質頁岩に、火山岩である安山岩、
流紋岩、デイサイトが貫入している。

 

 



むずい。

とにかく、広大な蟻の巣。

人間とは、なんぞや。
ここまで、掘ってしまうのか・・・絶望

 

酒蔵・・・

シュリンケージ採鉱法により
鉱脈に沿って縦横に掘られた。


銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛が産出された。

1889年(明治22年)に岩崎家に経営が移り
三菱財閥が開発を行うようになってから
閉山までの産出量は、
銅30万t、金4.4t、銀155tと推定されている。


【坑道の掘り方】

採掘は、削岩機により直径2cm、
深さ1.0~1.8m程度の孔を数多くを掘り、
これに火薬をつめ同時に爆発(発破という)
させて鉱石を採取します。

火薬としてはダイナマイトが使われますが、
昭和40年代からは安価な
硝安爆薬(ANFOという)も使われました。

 


※シュリンケージ採掘法

 

 


尾去沢鉱山へくると、
武甲山の穴を思いだす。

小さい頃、12時半の発破のサイレンが
お昼の合図でした。

 

 

(武甲山)

軽い時もあるのですが、
もっと振動のあるドーーんという重低音でした。

たまに家がひびくことがあり、
悲しいことに、武甲山の発破のサイレンが、
懐かしい音になっています。

身体にしみついているから、
防災の警告音を聞いても、何も感じない。

破壊しているのは、人間だから。

地震だろうが、噴火だろうが、
武甲山は、何とも感じていない。

だから、私もそこに共感する。

悲しみを知ったら苦しくなる。
だから、ハイテンションになる悲しい性。
(鉱山に対しては)真顔

今の武甲山はその発破を、
蔵王権現(御嶽神社)が受け止めてくれている
・・・はず。

では、今、この炭鉱は、何が受け止めて
くれているのだろうか?

神とは、そこまで引き受けてくれる
ものなのだろうか?

 

酒蔵の前にお社があったけど、

あまり良い感じはしなかった。

 

洞窟内だからね。


 

 

 

 

 

説明の意味がわからない。↑

 

 

 

光る怪鳥伝説 

 

何度も紹介している伝説でしたが、
再びご紹介。

Nさんのお母さんから、
大里館跡のある近くの森に、
光った鳥が炭鉱からス~と
飛んでいったのを里の人がみたので、
それをお祭にしているらしいのです。(11月だったかな)

(UFO説あり!?)
にんまり~。ニヤニヤ


それが光る怪鳥となっているのだっけ?

日がたつと忘れる・・・

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こんな話。
ちょっと長いですが、

 



尾去沢炭鉱の発掘を、
最初に見つけた主の正体であり、
 技術をもたらした
伝説になっているのが、興味深いのです。

(写真と共に)

『むかし、南部の国(岩手県及び青森・秋田の一部)
鹿角の里に尾去村と言うどごがあったど。

 



この村っこの奥さ大森山としぇる大きだ
山っこあって、木っこいっぺえおがってらど。


文明13年(1481)辛丑の年、この山から光るもの出て、
近くの村っこの上を飛びまわったど。


村の人ど大変おっかながったど。

ひるま、その飛んでいる光る物、
はね広げるど左右の長さ十余尋(約20メートル位)も

ある大きだ鳥だっけど。

人どご取って食うばかりの勢いであったど。


口から金色の火、吹き出し、そのなき声、
まるで牛ほえでるようで、山々さひびき、
山、くずれるようだ物すごい音であったど。

村の人ど、おっかなくて、生きた気しなかったど。


このばけものみたえんた鳥、
ばんげになれば飛びまわって田畑を荒らしてらど。

 



村っこで山伏をしている慈顕院の別当(神主)が、村の人どと、
毎晩、天さ向かって一心におがんでいたど。

「天の日の神様、月の神様、
どうか、この恐ろしい大きだ鳥を退治してください。
そして人々を安心させてくだい。


あるとき、大森山のほうから、
あの大きだばけものみたいな鳥、

泣いてるようにさけんだり、
苦しくて悲しがっているようにさけんだりする声、
聞こえてきたんだど。

そのあとばけものみたいな鳥、飛んで来なくなったんだど。
村の人ど、不思議に思って鳥の泣き声したほうさ、行ったど。

したば、赤沢川を流れている水、いつもとちがって、
朱を流したように赤くなっていたど。

 



この赤く流れているどご探しに登って行ったど。

したば、沢木の流れている黒瀧のどこさ、
あの鳥、赤く染まって、
うつぶせになって死んでいたど。

全盛期の尾去沢鉱山皆んなで、
この鳥を引っぱり起こして、おそるおそる見たど。

 



したば、なんと広げたはねの

左右の長さ十三尋(約24メートル)もあったど。

頭は大きだ蛇のようで、足はまるで牛の足そっくりであったど。 

 



鳥の毛、赤と白、ぼつぼつと混ざっていて、
ところどころさ金の毛と銀の毛、生がっていたど。

背中と首のどこさ四つ五つほど大きだ傷ついてあったど。
 腹、さいてみど。

 



したば、胃袋の中さ穀物・魚・虫・鳥・草木なんにも入ってなくて、
金・銀・銅・鉛の鉱石いっぺえ入っていたど。

 



そこで尾去村の村長、じっくりと考えてから、

「われは最近、夢の中で白髪の爺さんと会ったが、
その時、われに
新しい山を掘れと6回も、お告げがあった。

これまで、どこの山を掘れば良いのだか全くわからなくて
日時がたってしまっていたが、
今、この鳥の胃袋から金・銀・銅・鉛、出てきたのは、
これこそ、 この山を掘れと言う神様のお告げに間違いない。」

 

 指差し

 としぇったど。

 



そこで、この山のところどころ掘って見たば思ったとおり、
四色に光り輝く金・銀・銅・鉛の鉱石がいっぱい出てきたど。

 



こうしたことで、
田郡・横合・赤沢・西道・崎山・勢沢・下夕沢など
鉱石が出る山一帯は、
大森山からの分かれで、峯つながりの子山なので、

この山や沢一帯をまとめて尾去沢とよぶようになったんだと。


このときから御銅山(尾去沢鉱山)が始まったんだと。

 村の人どぁ、鳥の体さ大きだ傷ついていたのを
どうしてついたか不思議がったど。

一体どんたら強い人が、やっつけてくれたのだべか、
神様が殺してけたのだかと思ったど。

山や谷、探しまわって見たば、
大森山のふもとのところさ獅子の頭のようだ大きな石、
土の中から出ていたど。 

 



ちょうど、口みたえみ見えるどごさ血いっぱいついていたど。
そこで村人ど、 


「これは、きっと鳥どごやっつけだのは、この獅子頭の神様石だべ。

ここのどこさ獅子の頭が土の中から出てきたのは
この大森山は獅子の体で
この山さつながっている山々は、

この獅子の手足だべ。」 

としゃべったど。

ここのどこさ、お堂を建て、
そしてあのおっかねかった鳥もこごさ埋め、
村の守り神様として、おまつりすることにしたんだと。


この神様を大森山獅子大権現と言ったど。

※「大森親山獅子大権現御伝記」 陸中の国 鹿角の伝説より

 

 

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話の内容は、大鉱脈のことですね。

「赤」は辰砂と思われます。(銅)

リアル、ヤマタノオロチですが、

ハイヌベレです。


大森親山獅子大権現舞の様子(6分)

 

 


もっと詳しく知りたい方は、こちらを。

 

 

住所が獅子なんですね~・・・

だから、五ノ宮岳山頂に、
獅子さんがいたのですね~。

閉じてます。

 



冬は寒いって・・・(ですよね~)

 

 

治外法権がもたらす深い意図 

 

東北は「治外法権」だったので、
信仰が自由でした。

 

ここにくれば、信仰は許された。

 



タタラ場にクリスチャンが多いのは、
そんな理由があります。

 

 

→のところに「十字」のマークが刻まれている。

わかりますか?

そういうところが、
東北の特徴です。

考えてみると、現代の方がずっと生きにくい社会なので、
こんな暗闇で、ろうそくの灯りだけの
洞窟生活なんて、あり得ないけれども、

 

真摯な神への信仰を弾圧され、
残酷に殺されるよりは、ましだったのです。

ただ、水流しだけはやりたくない。

 

 

 

どれがそれ?(この写真であっているのかすでにわからない)ニヤニヤ

 

 

よくみると綺麗なんですけどね・・・

 

 

 

 

(俗称:たぬき掘り)

この図、やべーです。

 

 

女子やで。

ムリ。

 

こんな小さな穴にろうそく灯して、

目が悪くなりますよね。

視力おちます。

だから盲人になりました。

 

そこ?

 

そこです。

 

 

この穴が一番深くて、下までみえない。

10m以上はありそう。

 

 

上をみると・・・

 

 

板があるねぇ。

はしごが・・・

 

 

人工ですから、おそろしい。

 

自然洞窟だと秩父の橋立鍾乳洞があるので、

ちょっとそれを思いだしたけど、

 

これ、人工だからー。

 

Nさんが、ひーひー言ってた所で。

登山好きなのに高所恐怖症だって。チュー

 

Nさんが、

ぞわぞわする!って言ってた。

 

私の目線は、もう現場監督になっているが・・・。

 

たくさん亡くなってますからね。

 

 

こうやって木で入口を支えていたんですよ。

崩落防止で。

 

なるほど~(じゃない)

 

そんな余裕こいてると、

 

 

慶長の道へ連れていかれる。

普通の道じゃないぞ。

 

 

泣く子も黙る、南部藩です。(向かい鶴)

 

 

ご婦人もパートです。。。


こんな細いはしご。

 

 

未知との遭遇。

 

 

水が多い所は、コケが。

 

 

海からあがった銅も。

 

 

 

大坂へ向かっていたのですね。

 

しかし、海中に没した銅は、小松市に残された?

 

 

最上船の図ですが、

 

 

秋田→酒田→能登→石川県→島根県にいってますよね。

これは、古代の船着き場と変わってませんね。

 

最後の方に、人形がたくさん置かれていて、

リアルなのです。とても。

 

 

目があいそうなのよ。凝視

もうこのあたり、肝試しになってくるが・・・

 

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資料館もありまして、これが大きくてすごい!

入口にありました。

 

 

 

温泉地にいくと硫黄の匂いがしますね。

本来、硫黄は無臭だそう。

 

重晶石が水に触れると毒性になり、

硫化バリウムに変化。

これがそのきつい硫黄の匂いをだすのだそうです。

 

 

 


ここは、日本の鉱山の歴史として重要な地です。

 

「東洋一の処理能力」

月10万トンを誇った。

 

 

出口がエレベータで・・・。

突然、近未来都市に戻ってきたような感覚で。

 

善光寺のお戒壇めぐりに近いものがある・・・チーン

 

いっぱい、闇の金掘りをみてきて、

これはありがたい。(土産店にあり)

 

 

なんか、ほっとする。笑

買うでしょ。

 

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Nさんが、
こうして観光という形で人が入るように
開放されているだけ、まだ良いと思うって。

もし、ここが閉じていたら・・・

たしかに。

東北各地に残された炭鉱跡地というのを
度々目撃してきましたが、

閉ざされた廃墟の炭鉱の行く末は、
完全な闇ですから。

 

ぐるっと周遊して、1時間くらい。

 



こんな所にも、祈りがあったのです・・・

(隠れキリシタン)


日本の歴史がこれらの金掘りの人たちによって
支えられてきたことを、忘れないで下さい。

 

 

 

 

次は、もう少し伝説から、

謎の穴掘り民族について考察します。

 

鎮魂は、つづく