この温泉に繋がったことも意味深いことだと思います。

悪玉姫と田村将軍の話は、
物語ですけど、誰かモデルがいたのかもしれない。

(藤原家か源氏など)

当時は、隠し子があっても不思議ではないですから・・・

そんなことで、悪玉姫のことを調べていたら、
知らなかった!

こんな温泉が利府にあったとは。

 



ずっと悪玉姫がいた気がしたので、
ここへ行かないと終わらない。

 



旦那をだまして温泉へ連れていく。てへぺろ
気分はまるで九門長者。笑~

温泉のサイトを読んでみたら、
興味深い伝説がありました。

 

 

  沢乙温泉について

 

歴史についていろいろ書かれていましたので、
ご紹介します。

 


開湯300年(正徳年間)
時は江戸正徳年間1711~1715年(仙台藩5代当主伊達吉村)。

江戸安政年間(1854~1859年)仙台藩13代伊達慶邦公の時代、
仙台藩金山奉行の佐伯氏が沢乙温泉の泉質と効能を調べ、
仙台藩に報告し仙台藩からのお墨付きの温泉とりました。


以来、宿場町利府で湯治宿場として営業が始まります。


代々、内海家が当主となり沢乙の湯を守っています。

住所が「明神沢」なので、
水波能女神とオオナムチ命を祀っていました。

 

 



場所があの青麻神社のある
広大な県民の森で、九門長者の舞台地です。

 



聞いた話しですけど、伊達政宗は、
このあたりの森だけは絶対に手をつけなかったという。

(県民の森のこと)

 

 



このあたりは、伊豆佐比売神社も近いし、
塩釜神社へ行く道になっており、
伝説の宝庫です。

関東系石室の菅谷横穴もありますし、
「菅」は、産鉄用語ですが、
須賀の菅で、菅谷氏という大豪族がいた。

 

 

 



以前、いったことがありましたが、
「関東系」の墓場と聞いて、
故郷を思う気持ちで、嬉しかったほど。

 

 

 

ここは、茨城、千葉県からきてます。

 

 

  沢乙温泉の伝説

 

 

「平安初期1,200年前、
この東北で坂上田村麻呂率いる大和朝廷軍と
阿弖流為の蝦夷軍との激しい戦いがありました。

その頃、国府多賀城から黒川郡七ツ森に狩りにむかった
坂上田村麻呂が足に怪我をし、

多賀城に引き返す途中で家臣の霞野忠太盛春が、
沢辺に水煙を見つけました。

そこで霞野忠太盛春が坂上田村麻呂に足を洗うよう
勧めると傷が癒えたことから沢乙の名水として広まり、

多くの人の心と体を癒してくれたと

代々云い伝えられております。

1200年前、坂上田村麻呂率いる大和朝廷軍と阿弖流為の蝦夷軍との
悲しい戦いで、亡くなった多くの御霊を鎮めているのが
菅谷不動尊(不動明王)です。

坂上田村麻呂は自ら率いる四万の兵とともに現在の
グランディ21の

広大な平野に陣をおきました。

戦いに疲れ果て病になった者や家族の無事を祈り、
疫病退散を願い祈ったのが

菅谷穴薬師堂であります。

菅谷穴薬師は、仙台市岩切にある東光寺の「宵の薬師」、
七ヶ浜町湊浜の「暁の薬師」とともに、
「夜中の薬師」とも称されています。」


貴重な口承です。

グランディ21、
ここは、震災時、たくさんの遺体が安置されていた所です。

そんな長い戦いと、津波の被害も含めて、
現在までも重い歴史を背負って鎮魂していたのが、

あの菅谷穴薬師だったとは・・・

 



菅谷は、

平安時代、えみしと戦いがあった際に、
藤原氏が亡くなった人々を供養するために
紀州高野山から不動明王を分け
、お祀りした
といいます。

 

高野山とは、

弘法大師空海彫像の不動明王がいる。

しかし、この亡くなった藤原氏というのは、
仲麻呂の乱の人々では?

藤原家の皇女たちが逃れていることもあり、
エミシというよりは、藤原家の内乱。

その制裁にあたったのが、
父の坂上刈田麻呂です。

 

つづけて、温泉の歴史由来によると、


「宿より南西に2.5kmほどに
「延喜式」式内社の伊豆佐比賣(いずさひめ)神社があります。

 



神社のある飯土井の地名は、
湯の湧 く所を意味し
古くは湯の神をまつったとされております。


代々の朝廷側の将軍は

この久門長者屋敷で酒と山海の幸を囲み、
おもてなしを受けていたと伝わります。

その時に坂上田村麻呂の接待役を務めたのが、
久門長者屋敷に支える

阿久玉姫(あくたまひめ)という娘でした。

沢乙温泉にほど近い沢で阿久玉姫が芹摘みなどしていたところを
坂上田村麻呂に見初められ、

お互いに深く愛し合い、子を宿しました。

その子は千熊丸と名付けられました。

阿久玉姫は、京にいる坂上田村麻呂を恋い慕いながら
郷人とともに千熊丸に深い愛情を注ぎ育て、
千熊丸が13歳になった時、京の都に送り出しました。

京に上った千熊丸は、坂上田村麻呂に会うことが叶い、
阿久玉姫より託された形見の白羽の鏑矢を証拠に

坂上田村麻呂との親子の名乗りをあげました。

その後、千熊丸からのむかえで阿久玉姫も
坂上田村麻呂の待つ京へと旅立っていったのでした。

後に、千熊丸は二代目坂上田村麻呂となり、
世のために尽力しました。


伝説に残る武人の坂上田村麻呂と結ばれた
阿久玉姫を郷人は沢乙女と呼んで敬い、


ふたりが出逢った場所一帯をも「沢乙女」と呼ぶようになり、
いつしかその名は「沢乙(さわおと)」と
呼びやすく姿を変え、現在に至ります。

先人方は故郷で生まれた母子の慈しみの物語りを誇りに思い、
1000年以上も口から口へと大切に云い伝えてきたのです。」


※参考文献
・宮城県高等学校社会科
(地理歴史科・公民科)研究会歴史部会 編「宮城県の歴史散歩」
 山川出版社 2007年7月
・「宮城の伝説」刊行委員会 編 「宮城の伝説」


ということが、沢乙温泉サイトに書かれてありました。

 

 

伝説ではありますが、いろいろ深読みできる話ですな。。。

 

「白羽の矢」は、丹塗矢伝説と同じともあるのですが、

「犠牲のために選出される」意味だそう。

(白羽の矢とは人柱の家にたてる)

 

「悪玉姫の形見として」とあるのは、

神として召される女性となります。

 

おそらく、この頃は、人柱か何か犠牲にされた女性を

「田村麻呂将軍と関連させる」ことで、

昇天(あの世への制裁)を科せているのかもしれず。

 

これらの物語を読むのは、

男性よりも女性でしたから。

 

なんらかの理由があって罪を犯した

位の高い女性の方が、厳しい罰を受けたと想像されます。

 

藤原実方と道祖神や

あこや姫と名取太郎の松など、

将軍、貴族とあわせている東北の巫女伝承のパターンです。

 

 

真相は謎ですが、
最後にここに繋がることが、
私としては驚きです。

 



温泉由来の書に、

「黒川郡七ツ森に狩りをし、
多賀城に帰る道すがら、
将軍はあやまって石につまづき、
足の右指をいためた」


と具体的に書かれました。

石に躓いている人といえば、
志波彦命。

『田村草子』にも七ツ森は
狩りをしていた所とあり、
後の源頼朝も、黒川郡七ツ森で狩りをしています。

 



伊達政宗は、鷲倉神社へきているみたいで、
同じく、七ツ森で狩りをしています。

なぜ、狩りをするのかは、
諏訪からきている儀式にあります。


『諏方大明神画詞』に、
東夷安倍高丸暴悪の時、将軍坂上田村丸は、

「梶ノ葉の藍摺(あいずり)の水旱(干)をきて、
鷹羽の箆矢(のや)を負い、
栗毛なるうまにのりたり、(後略)」


と記されている。

つまり、
鳥獣の狩り=エミシ狩り
諏訪の梶ノ葉=狩りの儀式に用いる意匠。

 



戦う時に、藍色で染められた梶ノ葉の衣服をきて、
鷹羽の矢を背負って栗毛の馬にのって戦う
意味。

 

 

鷹狩りとはいうけれど、

鷲狩りとは言いませんね。

 

※カタールのハヤブサ:鷹狩

 

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ということで、

ここが、たくさん詰まっていた所でしたが、

悪玉姫が教えてくれたのかもしれません。


ちょっとお風呂内は狭いですけど、
良いお湯でした。

 

室内もきれいになっていました。

 

 

まだ、新しい部屋みたいで、

木の匂いが、ほっとします。

 

 

 

 

ここからは出られないのですが、

外に出ると、小道があり、竹林の中に、

ミズハノメとオオナムチが鎮座しています。

 

 

 

私はあまり温泉にいかないのですが、
近くにあったら通いたくなるかも。

このような『田村草子』など中世の物語は、


「鬼とはなにか?」を、
人々に問いたわけです。

お互いに、
「被害者でもあり加害者でもある」ことを

藤原家の内乱に巻き込まれ、
エミシ征伐になっていったと思いますが、


なぜ、語り継がれているか?

 

そこを読み解く力を、失わないために。

だが、
東北の地が受け入れてくれなければ、
はじまらない。

藤原家は、そう言いたいのかもしれない。

なぜなら、

留守氏の家系は藤原氏(北家)であり、
塩釜神社の神主をやっていたと記録されている。

 

 

エミシたちに
受け入れてもらえるまで、
私はここにいるのだと思う・・・

 

 

おまけ------------------------

とか、なんとか言ってますけど、
やっぱり食い気しかない~。てへぺろ

 

がっつりご褒美。

第2段。

前から気になっていた
「とんかつこんの」

 



これで600円、安い。

 



このご時世で、こんなに安く
やわらか~い豚カツが
サクサクでおいしい!

 



昭和な雰囲気が落ちつく。
てか、主人が行きたがっていたから。

 

 

4号線バイパス沿いにある。


「ウケ」という神様は、
食べる神様です。

勝手に都合よく考える・・・。


そんな時代になって幸せです。

長々とありがとうございました。