不思議な夢をみてから、
再び、濃厚に悪玉姫がつながる。

最終的には、利府に再び通ってしまうことになる。

前回の悪玉姫伝説については、
「物語」なので、事実ではないのですが、
大武丸(大嶽丸、高丸)の鬼退治(酒呑童子)になってます。


三か所に大武丸を葬った話も、
物語の中にある話で、

・大嶽丸の首→のの岳山(涌谷町)麒麟がいたという。
=千手観音を祀る

・胴体→富山東松島)

・四本の足→牧山(石巻)

に、加えて興福寺の大嶽山は大嶽の四本の手を
土で築き籠め、その上に観音堂をたてたという。


再び、利府の「九門長者」の伝説を
後でまとめてみようと思いますが、
とっても深~い伝説なのです。

今回は、他の場所に伝わる

悪玉姫の舞台を。

 

  悪玉姫の子「千熊丸」の刈安草

 

前回の染殿神社で悪玉姫伝説を
書いていましたが、
もう少し細かい話を。

 



『田村三代記』に書かれている内容です。

簡単に言うと、悪玉姫は、陸奥へやってきた
将軍(田村将軍としているが歴史上のマロではない)
と恋仲になり、男の子を出産します。


その子の名前が
「千熊丸」といい、

千賀浦の「千」と、
熊野権現の「熊」を取ってつけている。


※千賀浦とは、塩竈市にある古代の国府津。
現在の塩釜港。

懐妊した話は、
丹塗矢神話と同じです。

だから?
賀茂明神が入ってきていて、

大武丸を退治するつもりでいる立烏帽子が
将軍に、

「今から3年後に賀茂大明神の
神勅により貴方は大嶽丸討伐の宣旨を蒙るでしょう」

と言うのです。

決定しているのが、賀茂明神なんですよね。

そして、将軍と悪玉姫の子、
千熊丸が、父に会うために都へいきます。

父である将軍は、息子を受け入れ、
陸奥へ下向します。

利府に到着すると、母(悪玉姫)が出向き、
将軍とは二十年ぶりくらいの再会となる。

子を養育してくれた長者夫婦を恩賞として、
土地を与えられ、
その土地の衆には、千熊の産血のかかった
染め草を「かりやす」となづけ、
その染料として土地の名産にさせた。

また、肌の守の十一面観音を与えて
祠に子安観音と祀らせ、
若き婦人の安産祈願となりました。

 

(悪玉姫像)

さて、この子安観音や肌の守、というのは、
美の象徴になっています。

美の女神といったら、温泉なのですよ。
湯の神。

この話は後にしまして。

この物語には、瑞巌寺の圓福寺にたちよったとあり、
弁財天像を納めたところ、
悪玉御前のお顔は元の美人にお戻りにされました。

ということ。

 

 

  悪玉姫伝説の圓福寺

 

もうひとつ、同じお寺の名前が仙台にある。
場所は、若林区。

 

ちょっと散策。

 

 

地下鉄愛宕橋駅から歩いて5分くらい。

 



お寺の由来によると、

圓福寺は、天正年間(1573~1619)に、
利府の沢乙にあった天台宗の廃寺を再興して開山したという。

 



本尊の観音像は悪玉(あくたま)観音と呼ばれ、
奥州東征をした坂上田村麻呂の母とも側室ともいわれる


利府菅谷の長者の娘、悪玉姫の護持仏が移された
ものだという伝説がある。

 

 

※お守観音

う~ん、悪玉姫の像は、
牧山にあると聞いたけど、
こっちにもあるの?

この利府菅谷の長者とは、九門長者のことです。

 

六角堂の観音堂なんですね。

 

ですが、開いてませんでした。(通常は開いてないらしい)

清掃している方がいたので聞いてみましたが、

開いているところを見た事がないと・・・。キョロキョロ

 

 

開かずの観音堂?

 

雲がいいっす。

 

 

ここには「塩釜大明神」

 

 

地名が「石名坂」なのです。

泉にも似ている「市名坂」。

 

それに六角堂といえば、

気仙沼補陀寺もそうだ。(↓)

 


「名取の老女(旭神子)が、

名取郡に熊野三所権現を勧請し、

奥州を巡礼して三十三ヶ所の観音堂を建立、

補陀落寺を三十番札所と定めたという。」

 

 

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愛宕橋駅から長町駅まで歩いてみると、
悪玉姫と重なっていると思うのが、
「橋姫」なのですね。

 

 

「十八夜観音堂」が広瀬川そばにありますが、
橋姫も橋のところに祀られています。

人柱のことですが、
京都宇治にある「橋姫神社」と同じく、
瀬織津姫のこととされる。

 



川にかける橋と巫女の話は、けっこうあります。


そのような女性は、瀬織津姫の神おろしをする
巫女に限って人柱にされたのでしょうか?

 

 



女性たちの怨みや怨念が悪さをする、
といったことで、それを水で祓う、
ということなのだと思います。

それを一掃するのが、祓戸大神。

 

 

 



女性や幼い子どもたちの供養は「水」と限ります。

特に、赤子や幼い子は、古来は水葬だった。


出産したばかりの奥さんが亡くなった場合も、
赤い布に水をかける風習が山形にあります。

瀬織津姫という滝神は、熊野の那智滝ですよね?

 

本来は、子どもたちを守る

子守というように、母神なんですよ。

巫女としての生業をもっているわけですから、
決定権をもつ天皇、貴族などに認めてもらえて、
巫女としての偉業が得られ、後世に残せる。

 

しかし、自由な生き方ではなかった。

 

多くの語りべは、女性たちで広めてきた

英雄伝説です。

 

物語の田村将軍もそのひとつ。



ただし、女性は嫉妬深いため、
それを恐れた女性たちの供養もあるのです。

あまり紀州の熊野は詳しくないのですが、
だいたい東北の悲恋話は、熊野修験が伝えています。

 



羽黒講は、女性が多かったそうで、
羽黒講も関わってきます。

羽黒や出羽講の場合は、多くは口寄せであり、
熊野は、奥州藤原氏や源氏、関東の武士たちの語り部が主、
のように、ちょっと伝え方が違うのです。

 

  カヤの十一面観音像

 

最後に、十八夜観音堂によりました。

 

 

 

この十八夜観音堂は、

畿内(おそらく奈良県)からもたらされた

カヤの一木造なのです。

 

 

写真だけみられます。

 

天平(743年)の書写に

百壇の代用に「栢木」が用いられたとある。

 

奈良時代8世紀後半、針葉樹の「栢木(カヤ)」が

重要視されていた。

 

カヤとヒノキは、すでにこの頃から

区別されており、8世紀~9世紀、

ヒノキより一木彫像ではカヤの仏像が多い。

 

しかし、

 

奥の小さい御堂に、倒れていた観音様をみてしまう・・・。絶望

 

 

落ちそうな観音像とか、見かけるけど、

これは、いったい、どーしたのだ?

 

鍵がかかっているから中に入れない。

 

ツタの葉が。

 

ほったらかし。

 

こればっかりは、その土地に住む人の

意識の問題と思うから、余計なことはしない。

 

大事にされている観音様があれば、

ほったらかしな観音様もある。

 

 

 

眠そうな牛・・・

 

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【夢のこと】

不思議な夢をみた話を。

そんなに大きくない川で土木作業をしている
業者がおり、橋からそれを見ているのですが、
隣にいた知らない女性が

川に何か埋まっているといい、
それを心配している。

 



何が埋まっているのか写真をとったのを
見せてもらったら、悪玉姫のような女神像で、
でも木像ではなかったと思う。

きれいな観音様みたいのが
座っている像だったので、
そんな素晴らしい像が?

と思ってそれを
私のスマホで撮らせてもらったら、

突然、ぴかーーっと光って
動きだしたような感じ。



中心が白い円状のものがみえて
周りの縁がピンク色だった。

生き物みたいで、みたことない現象。

いつも夢の中ではパニックになる私…。びっくり

なんだこりゃーーって
隣にいた人に見せようとしたら、
ひゅ~っとホーム画面に戻ってしまった。

そんな夢でしたが、
なんとなく、橋姫な気がした。

 

光っていてよかった。

 



白い変な生き物みたいのは、
プラーナみたいなモノかもしれない。
前にもみていた。

お腹のあたりでプラーナがあったなら、
呼吸をしていることになるのでは?

「伝説は、単なる創り話ではない」
ことをいつも夢で教えてもらっています。

その夢がとても気になったので、
今回、橋姫のところにも行ったわけです。

こちらにいろいろ書いてます。

 

 


この時も、不思議な体験をしていて、
なんだろうなぁ~。

『田村三代記』の現代語訳を
ちょっと読んでみたら、

かなり、洗脳されていることを知った・・・笑い泣き

笑えるならば良し。ヒヨコ


そして、自分へのご褒美は忘れない。

 

 

アボガドーパンケーキみたいの。

卵がめっちゃ美味しかった。

終わりよければ、すべてよし。

そんなことでしたが、まだ終わらない。
この物語で繋がった温泉がある。

利府にあった知られざる伝説の湯。
これは、いくべし。