頭をやわらかくして、
スピリチャルな話を~。


■伝:十種神宝


唐松神社よりもうひとつ興味ある神社が、
「三倉神社」です。

「みくらじんじゃ」

 



唐松神社の近くにあります。

【伝承】

「船岡字合貝」という地名。
「貝」です。

地名由来が「貝を吹いた」ら、
こだまで返ってきたことから、
「合貝」とか。


「往古、「尊貴3人騎馬」にて通りかかり、
この地に小休止した。

鞍を脱いでこの処に置いたので

三鞍さんとよんだ。

他には、清水の湧き出る所があり、水眼病に効果あり、
信者が訪れて治療につとめたことから、
「盲」即ち「めくら神社」
が訛って「みくら」になったという。」

 



いろいろ、キーワードありますね。

 

雰囲気は、神社というより

観音堂のような御堂でした。

 

・靴を脱ぐ・・・わらじを奉納。

 

・めくら:口寄せなどイタコが多い東北の

伝説らしい神社ですが「タタラ」場に多いです。

 


三倉神社付近に
十種の神宝を奉じ居住した」と伝わる。

いつの時代か不明ですが、伝説なのでね。


かつてこの神社に、誰かが居住し

十種の神宝を奉じていたという伝説は、

神道系宗教のようですが、

 

その理由として、

かつての秋田物部氏がいたからでは?

物部氏が逃れた後は、
民衆のために祈祷をしていたことが想像される。

秋田物部氏の祈祷や呪術は、
治療や道教に関係する蘇生など、
一般の庶民に向けて行っていた。

そのシャーマニズムな祈祷は、
後に、イタコやオカミサンやオナカマサマなど、

修験や盲巫に秘法として受け継がれたのが、
巫女の道具になったと思います。

巫女の道具が、
「北方シャーマニズムに酷似している」

 

ということがあるのです。



■住吉三神

また、「三」という数字をあてているのも、
住吉三神が考えられます。

唐松神社には、神功皇后の伝承がありますが、
 

「三韓征伐を果たした神功皇后は、
その帰り男鹿半島に立ち寄り、

さらに生保川(雄物川)を遡上、
石見川(岩見川)を経て、船岡の地に上陸し、
皇后はその地に「船玉大神」を祀ったという。」

 

 

元は、「御倉林」といった。→みくら

 

十種神宝の中に、

 

「~汝命この瑞寶を以ちて 

豊葦原の中國に天降り坐て 

御倉棚に鎮め置て 

蒼生の病疾の事あらば~」


と、あるのを想像する世界・・・

 

船玉大神の祀神は、

海神の表筒男命、中筒男命、底筒男命の住吉三神。
この三神は、神功皇后を加護したと伝わる。

 

※住吉大社(大阪)の船玉神社

船岡という地名は、
船が転覆してしまった(突如、大嵐がきて)
のがそのまま丘になったという。


まるで、ノアの箱舟。

 

嵐にあった遣渤海使船能登で、

無事の帰国を船霊に祈ったことが由来。

住吉三神で思い出すのは、
仙台の愛子にある諏訪神社です。

諏訪神社は、本来、住吉三神でした。
愛子は、秋田物部氏が「愛子神」の護符をもっていたこと。

 

 

■三貴士とは?

さて、
貴族を思わす遠くからきた三貴士がなぜ?

男鹿半島をみてみる。


男鹿半島は夏にいきましたが、
すばらしい所でした。

 

※真山(なまはげの祭があるところ)

 

※寒風山(謎の石を積んでいる)


ここに、鬼がいたとは思えない、
青い空に青い海。

 

 

 

 

 



美しいマールもある。

ここにそのヒントが。

「一ノ目潟は二ノ目、三ノ目潟とともに

男鹿目潟火山群を構成しています。

東北地方では唯一の火山形態の一つである

マール(爆発火口)として
知られる淡水湖で、男鹿市の水源にもなっています。

 



直径約600m、水深約44.6m、
6~8万年前に形成されたと考えられます。

また、地球の地下深いところから噴き出た

岩石である「カンラン岩」が
見られる火山として、


さらに湖底堆積物の層が縞状に堆積する「年稿」が
確認されている湖
として、
世界的に注目されている

貴重な文化財です。」

へ~、


カンラン岩が発掘できるのは、
日本では、北海道だけらしい。

全国では、北海道と男鹿半島だけ?となる。

このカンラン岩を加工すると、
美しい宝石に変身。

 



「苦土かんらん石で緑色のもので特に美しいものは、
8月の誕生石であるペリドットとよばれ、宝石にされる。」
と。

 



ペリドット!
これが重要。

錬金術チームの秦氏と徐福が、
知らないはずがない。

8月の誕生石。
ちょうど良い時期。

ペリドットは、含有する「鉄分の作用」によって、

緑色を示す。

夜間照明の下でも昼間と変わらない鮮やかな緑色を維持したため、
ローマ人からは「夜会のエメラルド」と呼ばれていた。

後にペリドットは「十字軍によって」
紅海に浮かぶ「セントジョンズ島」から持ち帰られ、

中世の教会の装飾に使われた。

200カラット以上ある大きなペリドットが、
「ケルン大聖堂」にあり、

「東方の三博士」の3つの聖堂を飾っている。

そうでしょ。

迫害された彼らを探れば、
ナザレのイエスに繋がる。

腹帯や神功皇后(モデル)や
血統を重んじている大地母神と考えれば、

ここにいたる。

マリアとイエスの子がいた、
となれば、聖杯とはいったい何か?

と、なる。

男鹿半島のなまはげは、
ポリネシアンなどのシャーマンから
もたらされた疫祓いや、

火祭りでもありますが、

男鹿半島だけではなく、宮城県の石巻など、
複数伝わっているので、
なまはげとは、関係ないと思います。

しかし、男鹿半島には漢の武帝や(実際はいないかった?)
徐福だけではなく、五色の人種を想像する五社壇もある。

鶏の鳴き真似をして、鬼が人をとって生贄にするのを
やめた、という話があるが・・・

想像すると、キリスト教以外の異教徒があったでしょう。

原始キリスト教だったのか?

こーいう伝説は、北東北には多いですね。


船岡の3人の貴人という伝承も、
ベツレヘムの三人の博士みたいな話で。

「占星術の学者たち」

 



ペリドットの「東方の三博士」が、新約聖書に登場し、
イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。

博士たちは家に入り、
母マリアと一緒にいた幼子イエスを見て拝み、
乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた
(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)

4人説もある。

『マタイによる福音書』


「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、
人数は明記されていない。

 

宗教者ではない?


※ブラジル:東方の三博士像(巨人です)

彼らはヘロデ大王に

「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」
について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。

 

ヘロデ大王は幼子を見つけたら、
自分に知らせるようにと彼らに頼むが、


彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。


「博士とは賢者の意味」

火山の島には、宝石が眠っていることは知っていたはずです。

こちらのサイトをはっておきました。
すごい金きらきん。
 

 

 


「東方三博士の礼拝」の
絵画の中に「日月星」がありました。

 

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古い産地としては前述のセントジョンズ島があり、
鉱脈は枯渇していないものの、
採掘が禁じられている。(wikipedia)

なぜ、日本は、守られず、
海外では、守られているのか?

いや、アジア全土で鉱石は、採掘されている。

秦さんに聞いてみたい。

という事で、宝石も呪術的な信仰として生まれていました。


そのルーツは、旧約聖書にも登場するように、
誕生石というもの。

誕生石の起源は、
「紀元前1世紀に遡り、ユダヤ古代史に記載されており、
石を四列に三個づつ合計十二個並べるそうだ」


ペリドットの古い神話には、

「暗闇の中でもほんのわずかな光でも輝くペリドットは、
太陽神ラーの黄金の光を受け継ぐもの


と、言われていたそうです。

 

太陽円盤を頭に載せたラー・ホルアクティ。

その上には2つのウジャトが描かれている。

(ルーヴル美術館蔵)

 

両目!

太陽と月の目なんです。

 

 

ネパールの仏陀の目も両目!指差し 

 

エジプトと似てる!

 



「東方」とは、どこの方角をみて
言っているのでしょうね?

そんな「都市伝説」でした。

 

 

最後は、蘇我氏と物部氏が暴れます。てへぺろ