前回の「示現神社」ですが、

三社も同じ神社が男鹿川沿いにありました。

(A=示現神社)2社:事代主、1社:アジスキタカヒコネ

 

 

おそらく、神の名がぼんや~りなので、

塞神と同じだと思います。

道祖神が多かったので。

 

その中央に、十王堂がありました。
関所より栃木県側です。

 


素通りしてしまいそうなこんな看板を、

運転中の主人が発見した。

 

私はまったく見えてなかった。笑

 

気になる!というので、

Uターンして戻る。

 



木喰は、

日本全国におびただしい数の遺品が残る
「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。

生涯に三度改名し、
木喰五行上人、
木喰明満上人などとも称する。




「江戸時代中期に甲斐国(現・山梨県)八代群丸畑村に生まれ、
22歳で出家、45歳の時に木喰戒を受け
56歳から日本廻国に出立し、

会津から日光に詣でる途中の
安永9年(1780)9月12日に中三依に立ち寄った。

このことは、故郷に残る自筆の
「南無阿弥陀仏国々御宿帳」に記載されている。

 



 木喰仏の特徴は、
形式にとらわれぬ自由な造形表現にあり、
温かい木喰上人の人柄そのままの微笑を浮かべた仏像である。

 現状は十王堂に9体(1体欠失)の十王像と
ソウ塚婆(奪衣婆(だつえば))像、

地蔵菩薩像がある。

いずれも虫害による腐朽破損しており、
像底部を中心に頭部や両手を失くしたものも多く、
現状はガラスケース内に保管されている。

 造形的には素朴であり、
木喰仏とするには問題もあるが、
木の実を食べて修行する行者を木喰上人と呼ぶが
後世その木喰上人の作った十王像を
木喰五行明満上人と混同したのではないだろうか。」

 



本物だったらすごいですけど、
特徴が異なるので、違うようです。


どなたかがこれだけの十王像を、
彫ったわけでして。

 



勢ぞろい!


ところで、「十王像」とは、
この前、ブログで秩父札所の閻魔大王のことを
書いたばっかりですよ!

 

助けてくれるのは、

地蔵菩薩だった!

まさか、ここで出会うなんて~。照れ

復習。

十三権現がもたらした札所のこと。

 



十三権現の由来は、「十三仏」で、
十三仏の中に、十王がある。

地獄において亡者の審判を行う
「10尊」の裁判官的な尊格。

 「三途の川」は、十王の思想からきているのでした。

 



たしかに、この下は、男鹿川です。

 



あの世とこの世を繋ぐ峠ですから、
十王像を置いたのかもしれません。

善人は、橋で川を渡り、
軽い罪を犯した人は、浅瀬を歩き、
悪人は、深い淵を歩く。

現代人は、疲労困憊で歩けません。
車でスル―します。えー

そんな現代人を、
十王はどんな風にみているのでしょうか?無気力

 

 

 

 

 

 



木喰と同じように仏作として有名な円空もいます。

円空の荒削りで野性的な作風に比べると、
木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色があると。

 

※木喰の自作像



平成27年にやっていたのですね~。

 

 

 


私は、円空作の宇賀神に衝撃を受けました。

円空は、ワイルド~。

 


(円空の宇賀神像:「スサノオの到来」図録より)

 

例えると、円空は、縄文的。

木喰は、弥生的。

木喰の最初期の造仏としては、
青森県上北郡六戸町の
海傳寺(かいでんじ)に伝来する「釈迦如来像」だそうです。

 



小さなご縁でした。

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さて、ようやく御礼参りにいけました。

 

 

うっすらと雪がある飯豊山。

いろいろとお世話になった会津若松へ。

 



会津藩への愛が芽生えた出来事。

 



秩父人としての使命を感じてしまう。

相変わらず、小野岳が美しい。

つづく