今まで書いてきた平泉をまとめておきます。
過去記事(2015年4月)
三峰神社が祀られている山に、
月山神社とワカエトノ神社があります。
※正面の三角形の山
三峰神社入口。
これもピラミッドですな(もーそー)。
だから、山頂に大きな岩が埋まっているのでね、
それをアラハバキと言ったのです。
中国にもたくさんのピラミッドが発見されていますが、
他国の人が調査することはできません。
※ヒストリーチャネル(このシリーズ面白い)
「隠されたピラミッド(前編)」古代の宇宙人 re 1/2
グーグルアースや衛星で
たくさんみつかっているそうですが、
世界中にあるので不思議ではないけれど、
ピラミッド(ひらみと=日来戸)は日本が発祥と思います。
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■都人の顔
さて、中尊寺に遺骨が納められている奥州藤原氏に、
アイヌの民族衣装などが一緒に埋葬されていました。
奥州藤原氏側にいた人々に、
和人となったアイヌ人がたくさんいたのです。
専門家による藤原氏についての調査報告書が
ネットで見られたのですが、
削除されていました。
3人の藤原氏は「ミイラだったか?」論争がありましたが、
答えは、わかりません。
自然にミイラ化した、としか言えないそうです。
即身仏が多い東北なので、
ミイラ化はありそうですが、そのまま保存しただけのようです。
実際、調査したのだからすごい話ですよね。
源義経、頼朝、安倍貞任などと関わってきた藤原家ですよ!
こーふん。
あと、背が高かったそうです。
少しはミイラ化を施した部分があるようですが、
内臓や脳などはなくなり、
乾燥していない状態で、皮膚だけ残っていたようです。
奥州藤原氏の祖は、藤原清衡。
以前、Nさんが奥州藤原氏のビジョンをみた話を聞いて、
藤原清衡だったと思うけど、
野村 萬斎さんのような、すっきりしたお顔で、
しょうゆ顔の色白の都人のようでは?と。
イメージ図(ぼかしました)
細かいこと言いますが、たまたまぼかしたら
良い感じになりまして。(いじってすみません)
顔半分左側は、初代清衡に近いタイプ。
だんだん貴族顔に変化し右側が4代目泰衡タイプ。
調査より、研究者が藤原一族を調べた結果、
アイヌ人以外の和人、日本人であり、
現代の京都人に近いとわかったそうです。
東北人とは異なり、貴族顔、貴族としての特徴があり、
顔は面長で鼻は狭く顔も細い。
貴族としての養育法があり柔らかい食べ物を
食べていたと考えられると。
初代藤原清衡の母は、安倍忠頼の娘。
諸説ありも、三人姉妹の長女で、
有加一乃末陪(あるかいちのまえ)という女性が有力。
安倍氏の縄文人かアイヌ人の血もひいているとされ、
息子の清衡の鼻幅が広い。
京都と東北人の混血となり、
徳川家などの貴族より、
伊達家や一般集団に近い。
伊達家が、一般集団?
徳川家は、貴族?
ま、歴史上の人物画は、すべて
創りものですから。
しかし、清衡の子、泰衡は京都人に近い。
一番、濃い縄文かアイヌ人の血を引いていたのが清衡で、
子供は段々と京都人の方を受け継ぐようになる。
ちなみに、血液型はAB型。
■ハプログループ
藤原氏のY染色体ハプログループは、
O2b1に属するらしい。
(O2b:弥生人。
O2b1:発生はベトナムか東南アジア)。
Y染色体は、父子にしか遺伝しない。
どの人たちと集団にいたかという民族による
歴史に由来し、遺伝するもの。
清衡は、父=和人で渡来した北アジアに近い。
しかし、その中に母からの?Dタイプを持っている。
女性(ミトコンドリアDNA)のМかN、のことかな。
父子からの遺伝子がどの経由で持つようになったか不明ですが。
さて、このDタイプには、深い人類のルーツがありました。
安倍氏は、縄文人の系統に含まれる。(一部)
ハプログループのDタイプは、チベット、
中国雲南省、貴州省付近、日本にしかない。
※ハプログループD、C、Fの分布(赤い地域がD系統=3パターン有)
沖縄北部で56%、アイヌ人は、87.5%も持っている。
他にフィリピンや東南アジアにも少数だがある。
他の地域にはなく、現在の中国、
インド、ネイティブアメリカンにはない。
日本に来たCタイプは、シベリア経由でゾウを追ってきた。
ネイティブアメリカンやモンゴル人はCタイプ。
ジンギスカンの遺伝子も。
Cタイプは、目が細く寒さに耐えるために瞼が厚い。
硬い肉などを食べていたせいか、
顎の骨格が広い人が多い。
※四川省美人の多い谷(赤ワイン2+α)より
Dタイプの人たちは、東アジアに住むために、
アラビア~南アジア~東南アジアへ、
さらに北方へ移住したと考えられるが、
一体、どこから来たのか?
平泉:束稲山
※衣川
■わたしたちの祖先
私たち人類の祖先は、
ホモサピエンスで、アフリカから出ている。
はるか昔、アフリカからずっと移動しなかった
ホモサピエンスが突然、移動を始めた。
彼らは、グレートジャニーの旅をして
辺境の島、日本へ上陸。
文法で、日本語とシュメール語の特徴とされた
SOV型は、ホモサピエンスからきている(説)
日本語のSOVの文法が、
欧米語のSVOより古いとわかり、
縄文語はホモサピエンスの祖語ではないか?
との説もあるが、どこまでそれを実証されたかは、
よくわかりません。
おのおの、それぞれ、ますます、
といった言葉を二重にするのも、
日本語とシュメール語の特徴なんだそうです。
また、ホモサピエンスは声帯が大きかったと確認され、
会話はしていたようです。
しかし、
ネアンデルタール人は声帯が小さいので、
会話はしていなかったと思われる。
ロマンのある話だよね。
ネアンデールタール人は、
3万年前頃には、
氷河期などの環境の変化で死滅したと考えられています。
ホモサピエンスとネアンデルタール人の混血もおりましたが、
ホモサピエンスの種が強かった為か、
ネアンデルタール人の子孫はだんだんと消えていきました。
謎は、なぜ、ネアンデールタール人は動いたのに、
ホモサピエンスがアフリカから出なかったのか?
移動せずアフリカにとどまったことが、
子孫を繁栄させることができたと言われている。
(何があった?)
それから旧人、新人となり、私たち現代人になったと。
今では、その説も覆されて(覆したい)
ワレワレハ ウチュウジンダ、
の方が良いと思っている人が増殖中。
そんなホモサピエンスの祖語である
縄文語~日本語が他の言語に植民されなかったのは何故だろう?
おそらく、弥生人が、
「カナ」を残しているわけですね?
最も古い語は、カタカナだったと思う。
昔の人は、カタカナを言語ではなく、
音として認識していたと思います。
その言語を残し、漢字に翻訳した
弥生人がいたと思います。
(秦一族はそういうのが好き)
その言霊を発していた「もののふ」がいたからでしょう。
彼らは知識人だし、技術者でもあったから、
日本語の言語は残した、と期待している。
でなければ、とっくに日本語は消えていたはずです。
ということで、言霊は、脳への深い作用があると知り、
言葉を話す言語というよりは、
脳への発達のために必要な「響き」であったわけで、
カタカナが古来の日本語のルーツなのです。
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(並木屋敷(安倍柵):1045年安倍頼時が本拠を構え、
1065年の安倍貞任が撤退するまでの18年間、
安倍氏の政庁であり、翌年から安倍氏に替わり清原武則、
武貞、真衡の政庁、居住となった。
衣川柵とよばれるようになったのは、
清原氏支配になってからで、
安倍氏の時代は柵は不要であった。(看板より)
「貴族出身の藤原氏が安部氏の血を受け入れたのは、
自ら求めて敗者の歴史を背負い、
息子の清衡にその血脈を受け継いだことにある」と。
安倍忠頼の時代は、奥6郡を占拠し、
陸奥の安倍氏、出羽の清原氏といわれていました。
妻の有加一乃末陪は、夫の藤原経清が殺害されてから、
敵である清原武則と再婚しています。
戦のカードを引かされるのはいつも女性なのですが、
清原氏は、安倍氏の血族の強さに、
何かを感じ取っていた気がしてね。
清原氏は、違うように妻の有加一乃末陪を
みていたんだろうな~と思い、
うまく説明ができないんだけど、
清原氏は、そこは理解できた人だったんじゃないかな。
(子どもたちは家督争いになったけど)
清原氏のルーツは、貴族ではないと思うのですが、
天武系なので海民の可能性有。
「真人」という名を記すのは、
何かあったんだけど、難しい。
おまけ------------------
弥生人コンテスト!
うける。
こんなのを企画してしまう日本が好きです。
しかし、
優勝した方の娘さんから、
「『隣を歩かないで』と言われた」
ということで。
切ない日本の父なのでした。
なぜ、弥生人は、日本では毛嫌いされるのだろうか・・・
弥生顔は、西日本に集中してますからね。
みんな、弥生が入っているから大差ないけど、
どちらかといえば、私は縄文パーツが多いな。
余談ですが、栗原に行くと、こういう雲をよくみかけます。
その年、平泉へ行く途中でみかけました。
地震雲とは違うと思うけど、磁場なのかなぁ。
たしかに、北部は地震が多いですしね。
まだ平泉はつづくよー。