鶴橋に戻りまして、
高津宮とは異なる
比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)へ。

 

 

小さいのですが、

住宅街にひっそりとありました。

 



下照比売命を主祭神とし、
速素盞嗚命・味耜高彦根命
大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。

 



ただし、江戸時代の天明年間までは、
牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であった。

 




新羅から来た阿加流比売神が
難波の比売碁曽の社に坐すと記されている。

 

 

家紋が不思議な。

梅というより星型?

アカルヒメの祀る神社は、
他にも大阪にあります。

牛頭天王だったのを、
アカルヒメを置いたという由来になっていますが、

詳細わかりません。

 



高津宮とは全然違います。

 

でも、こっちの方が好きかな。

 

 

 

 

 

 

入口は2か所あります。



花巻で書いてましたが「蘇民将来」は、
武塔神のムーダンから由来し、牛頭天王の別名です。

兄弟の争いがある伝承ですが、
(優しく受け入れた兄を助け、冷酷な弟を殺害)

といった話は、
もう中国の吉祥天、毘沙門天、道教に合わさり、

日本の神社はこのように
異国(ユダヤも含め)大陸で混ざり、
朝鮮半島の疫病神と合わされ、

とにかく、ごちゃごちゃにされたのが

今になって、ふと、どちらさま?

 

と、たずねたくなる神様ばかりです。

自然災害や争いなどの混乱がある度に、
神様を変えていることもあり、

村社なども合祀され、石碑もひとつの所に
集まって置かれています。

本来のルーツがほとんどわからなくなっています。

場合によっては、よく知っている村長さんが
いた所へいくと、ちゃんと主張してますので、
そういうのは、大事にすべきと思います。


■アメノヒボコをさえぎった人

夫とされるアメノヒボコですが、
ちょっとだけ触れておきます。


なんと、

妹を助けた?

さえぎったという人が登場する。

妻のアカルヒメを追って難波にきた
アメノヒボコですが、

それをさえぎった人が、


「阿遅速雄神(あちはやおのかみ)」
この方が、アジスキタカヒコネという!

 

アジ兄さん参上~。指差し

 

ちなみにアジスキ~の漢字は、

 

遅鉏高日子根神 『古事記』

味耜高彦根命、『日本書紀』

遅須枳高日子 『出雲国風土記』

 

日本書紀だけ「阿」にしていない。

 

出石神社に祀られていることしか知りませんでしたが、
大阪鶴見区に「八剣神社(やつるぎ)」というのがあり、

 

それで、
阿遅速雄神社は、八剣だったのを、
阿遅速雄神社の名に変えているとの事。

摂津国(現在の大阪難波あたり)に、
降臨し開拓したと言われます。

アジさんがどこかにいたのを、
逃れて難波にやってきたと考えられますが

同じ話は、吉備国の秦の郷にもありました。

吉備氏=秦氏という関係もありそうです。

ヒメコソ神社が吉備にもあった話。

 

 

 

 


「応神天皇の妃、「兄媛」が故郷に帰りたいといい、
吉備へ帰ってしまったのを
応神天皇が追いかけて来たという伝説です。

その天皇を「兄が」迎え入れたという」


アジスキさんと同じような話しですよね。
アジさんは断ったようですけど。

アメノヒボコは開拓するために
難波から陸路で日本海の敦賀に向かっています。

 

そこでツヌガアラシヒトになったと考えられます。

「都」の漢字は、津のことだと思います。

牛頭天王と同じです。(角の人=牛)

で、角鹿。

 



後で、田道間守がつながってくる!

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「仁徳天皇が」病を得た際、
阿遅金且高日子根神(アジスキタカヒコネ)が
夢枕に立ち、

「皇居の東にある池の菖蒲を祭れば快癒する」
というお告げを受け、
その通りにしたところ病が癒えたという伝承に基づく池がある。


ところで、
アジスキさんの別名であるという
阿遅速雄神の由来に、

ある物があった・・・

その神社(八剣)に何があるか・・・

金鵄(きんけい)ね。

 

 

特別な時のみ展示される
霊鵄形大錦旛。


大阪は、金鵄がよくつながるのです。真顔

大阪はそういう土地柄なんです。


ということをふまえてみれば、
宮城県がどうなのか、
みえてくると思います。


違和感なのは、熱田神宮。
金鵄があることから、気になる。

「例祭日には熱田神宮より宮司か神職が参拝」

とあるのですが、なぜ熱田なのか?


それには、こんな由来がある。

草薙劔事件。

まあ、よくある話というか・・・


新羅の僧がもってきた劔のことだそう。

 


しかし、嵐がおこったので河口に投げ捨てると、
里人にひろわれ、「剣は熱田神宮へ返された」


新羅が奪いとったような話にされます。
いつも百済と奪いあっている。

このような伝承は、
「穴門(あなと)」がお決まりらしい。。。

 



中世に安徳天皇が剣と共に海に身をなげた話がありますね。
その伝承も、この穴門付近という。

「下関」に集中して、
その剣の伝承をもたらしているようだ・・・


この話しもそうだ。


神功皇后の天皇である仲哀天皇が、
「下関の穴門で合流しよう」と『日本書紀』にあります。

神功皇后は穴門で神降ろしをしますが、
ここで仲哀天皇が突然亡くなってしまいます。

それから、天皇がいない変わりに
神功皇后が戦いの女神みたいになるわけです。

しかし、この穴門というのは、
後の「豊浦宮」として置いたところと伝わり、


今の下関で、赤間関ともいった。

神功皇后は、山にある関所のように、
港に置かれた関に、海民を味方につけて、
「関を治めた」人だと思います。

そして朝鮮半島と自由貿易をしたかったと思います。
何度も行き来できるように。

仕事ができる人、みたいだよ・・・

神功皇后は、新羅討伐を目指してその豊浦宮から
九州の筑紫にいってます。



でも、
神功皇后には新羅の血が入ってます。大あくび

母親がは葛城氏の名で
「アメノヒボコ」の子孫とされる。


新羅討伐ってほんとにあったのかな~。

 

熊襲はとても強かったので、

天皇に背いていたとも伝わります。

 

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そーいうことで、ざっくりとまとめますが、

アカルヒメは、鉄の女神でありますが、
女系制度の頃、
新羅への政略結婚をしたと考えられます。

日光感精神話が高句麗始祖の由来の特徴で、
これがアカルヒメと伝わっているのは、
 

 

「長い間」古代、女系を重んじていた民族と想像する。

それは、
古代日本、高句麗、ドラヴィダ人と言われます。


ドラヴィダ人は出雲王族の系統をもっています。

そのアカルヒメが女系であれば、
土地、財産をもっていた大豪族の娘であったかもしれない。

アメノヒボコが追うのは通婚の意図も考えられますが、
また財産を得るためのひとつとも。

子は母の一族になり、
財産も娘が相続します。

しかし、集団でやってきた
秦氏は日本の資源を求めていました。

鉄、鉱山の女神=アカルヒメを、

整え造り上げた=シタテルヒメ


で、あるわけです。


しかし、東北をみてもわかるように、
山形が守られているのは、
鉱山資源を「修験者」が獲得したおかげで
「信仰として」資源が守られました。

 

 


昔の修験者は非常に高い精神性をもっていた鉄民です。

蘇我氏も秦氏もブレーンですから、
そのようなやり方を出雲族と

関わってきたと思います。

しかし、物部氏ら海民は、
海人族ですから、

「金売吉次」の伝説のように、

金などの資源に対する概念が外国人とは違う。

 

戦いに強い民族だったと思いますが

彼らも多くの鉱山資源を持っていましたが。

 

時代を変えるという言葉は、

かっこいいですが、

 

多くの犠牲のうえで、生きることになります。

それが今現在、資源を狙われ

失われた結果になったと痛感しています。



原発(地震による破壊)
リニアコライダー

水道民営化

すべて岩手、宮城、福島の
東北の太平洋側で行われていることです。

 


そこをよく考えてほしいのです。


あまり政治のことは言いたくありませんので、
歴史でみていきます。

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さて、次は、スピリチャル的な話になりますが、

 

そんな痛感の思いを、

払拭させてくれるのか、

 

スサナルに繋がる

 

「アメノハバキリ」
何年も前からつながっている。カエル


ちがった、布都御魂?

 

その劔を陸奥へ戻す。(妄想~)

今回は、スサノオではなく、

「スサナル」で繋いでいきます。
 

つづく