このテーマ、鬼ですけど、
シビアなメッセージです。
北上市にある「鬼の館」
ここは、要チェックでしょう。
愛があるのよ~。
鬼を悪とせず、
たとえ悪としても、
見えない世界を恐れることを、
受け入れる。
宗教は、それを説明するために生まれているが、
日本人は、生活の中にそれを置いて、
民間信仰の中で、鬼を生かしてきたのです。
こんなご時世だからこそ、
日本人の精神が試されている。
あのー、
他の宇宙人にとっては、
地球をアジールとしてみているんではないか?
と思うことがあるのですな。
直訳して、
「聖域」
私はそんな目的で地球にきてないつもりだが、
余計にこの言葉が気になるんですよ。
中世のアジールは、治外法権のように、
法律の効力が及ばない地域がありました。
平泉がそれに例えられます。
誤って罪を犯した人がいた場合、
(昔は仕返しの犯罪は認められた)
自分で自分を保護するのは無理なので、
教会や寺院などが保護して機能していました。
古くは、アイヌや北方の先住民が、
保護してきたように思われます。
なので、東北、北海道へ逃れる
英雄伝説が多いですよね。
(九州もそう)
イエスキリストもモーセも(たぶん)
ナガスネヒコ、アジスキタカヒコネ、
源義経や南朝の皇子などなど。
みんな、東北に来ています。
なぜ東北が終焉地なのでしょうか?
最初に、その道をつくったのは
どんな民族なのでしょうか?
たぶん、宇宙につながっている
「柱が太い」のかもしれない。
とにかく、ぶっとい。
だから、こんな話がこの地ですらすら書ける。
縄文都市は、東北に限りませんがね。
ユダヤ論では、そのような人類の生まれ変わりがあるから、
犯罪すべてを悪とはみなせず、
「自覚していること」
「自分で行った業をわかっている」ことは、
悪ではないといった解釈がなされています。
→反省ができるから。
本当の悪は、自覚していない、
自分をわかっていない者(戦士)となるのか。。
戦いたくてしょうがない毘沙門天。
(気持ちはわかるよ~)
鬼を以て鬼で制するしかないんじゃないの・・・。
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鬼について、考えたことなんてないけど、
(普通ないよな)
東北の伝説を知るようになって、
鬼が身近に感じたことは、確かです。
私はスピリチャルの世界から入って、
登山→東北の古代史
に入ったのですね。
歴史を好きになるきっかけは、
何でも良いと思いますが、
みな、自分の都合のいい所しか見ませんね。
武甲山を調べる時、
破壊から始まります。
東北の歴史も同じで、
東北の英雄伝を調べると、
迫害から始まります。
誰でも負けを知りたい人はいないでしょう。
エミシにとても興味をもっていた時、
最初は、図書館にいったり、
いろんな本を読んでました。
なぜ、彼らは迫害されたのか?
追っている者は?
敵は誰か?
を、ずっと調べていました。
それをずっと続けていると、
いつの間にか被害者意識が強くなるのですね。
すると、善と悪を分けます。
自分が被害を受けていると感じてくるからです。
そんな時でした。
蔵王麓の刈田嶺神社へ参拝した時、
帰りに「聖徳太子」の石碑をみて
何か気になったのですね。
写真だとわかりにくいのですが、
よくみると、「一」の下に聖徳太子の名前があった。
それが気になったことです。
ある説ですと、「一」は「地」を示している
と聞いたことがあり、地に沈むようにも読みとれる。
しかし、このことから「和を以て貴とせ」が何度も
頭に浮かんでくるのです。
「尊せ」の漢字だったと思う。
命令系。
ブログを書くたびに、出てくるので、
調べたら、聖徳太子がシリウス信仰を
していたことを知りました。
実は、「安曇磯良」の「イソラ」にも、
「シリウス」の意味があるそうです。
→アントンイソラ
それから、敵、味方の考え方をやめて、
自分の体験や伝えたいことを書くようになったら、
女性たちがたくさん読んでくれるようになりました。
「日出るところの天子」ではなく、
日没するところの天子にされたと思う聖徳太子。
「和を以て」と、
投げかけてくることから、
消えてしまった人たちは、
自ら姿を消した、とわかったのです。
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そんなことで、
鬼にされた人たちには、心があった。
鬼に興味がある人なんていないでしょうが、
慣れると居心地が良かったミュージアムでした。笑
春は鬼の季節・・・
昔はなしがいっぱ~い♪
妖怪、妖精、仮面好きには、
癒しの空間。
世界中の仮面があって、
貴重なお面もあってすごい!
【鬼の館を開設した意図】
「鬼をめぐる様々なことがらを集め、調べ、
学びある場として開設されたテーマの博物館です。
古来、「鬼」は日本の至る所に出没し、
人を超えた力を持ち、
私たちの陰の部分に暗躍してきました。
また、鬼は蝦夷とともに東北に住む人々に
与えられた蔑称でした。
北上市民憲章に、
「あの高嶺 鬼すむ誇り」とうたった私たちにとって
鬼は、見過ごすことのできない課題です。
鬼の館は、
怖い鬼から愛すべき鬼まで様々な鬼の姿を紹介しながら、
鬼の源像に迫ってゆきたいと考えています。」
<北上市民憲章>
あの高嶺 鬼すむ誇り その瀬音 久遠の賛歌
この大地 燃えたついのち ここは 北上
「市でやっている」ことがすごいのよ。
民間のミュージアムなら、よくあるじゃない。
■鬼剣舞
なぜ、ここが鬼であるかは・・・
北上市に伝わる鬼剣舞がある。
岩手県北上市周辺に伝わる伝統芸能です。
※北上コンベンション協会
鬼に対する認識が高いと思う・・・
最初から、鬼を知っているみたいだ。
正式には念仏剣舞の一つであるが、
威嚇的な鬼のような面(仏の化身)をつけ勇壮に踊るところから、
明治後期以降(1897年(明治30年)頃)に
「鬼剣舞」と呼称されるようになったとみられる。
由来の説
①山伏の祖:役小角
が吉野川上流で水垢離をとり、
大峰山で苦行し、その満願の夕暮れに踊ったことから。
②出羽国羽黒山
で舞われ、山伏修験により広まる。
③安倍貞任・正任が
この踊りを好んで領内に勧めた。
後、岩崎弥十郎が主君の和賀政義を招き、
城内で踊らせたところ、
和賀政義は喜び「笹リンドウ」の使用を許可した。
笹のササも、産鉄用語ですね。
鬼剣舞の独特の歩行に、
修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」があり、
陰陽道で用いられる呪術的歩行とあります。
これは、禹歩(うほ)がルーツと言われます。
治水神の禹王のこと。
反閇とは、
邪気を払い除くため呪文を唱え大地を踏みしめ,
千鳥足に歩む呪法。
三足,五足,九足などさまざまの種類がある。
日本でみるのとはちょっと違うけど、
大股に歩くのが禹歩(反閇)の特徴。
かろうじて似ている動画を発見。
(なんで黒い傘なんだろう・・・)
諸説ありますけど、禹歩は治水を行ったように
星の対になるように(鏡のように)
大地になぞったとか、
例:北斗七星の柄杓が下に向くと大雨洪水になるので、
大地とは反対に柄杓を天に向けて歩くとか。
その歩き方が、氾濫を鎮める意味があったなど、
相撲のしこも、そうだと思う。
陵王舞など日本の伝統芸能も反閇がある。
「地団太を踏む」のタタラ用語もここからきてるでしょう。
(エミシを埋める時に土を踏みかためた説もある)
また、タタラなので、足が悪いため、
片足をひきずった歩き方が舞になった説も。
酒に酔ったふらふらな歩き方から、
酒拳があみだされたこともありますね。
何がすごいかって、
北上の高校に鬼剣舞部があり、
女子高生が剣舞しているとこ。
レベルの高さ。
すごい~。
(足の動きに注目)
こんな可愛い女子たちに調伏されたなら、
そりゃ、鬼も成仏するってば!(←おばさん意見です)
■隼人の「弥五郎どん」
話は変わり、
気になったところを、ツッコミ。
知らなかったよ「大人」の「隼人」
大人・・・「うし」と読む場合あり。
山の精霊や祖霊などを基とする、と説明がありますが、
先住民の首長に指す言葉です。
鬼ではないが、
鬼の部類として、役小角などと一緒に紹介されていました。
の中で、
「大人弥五郎」は
ダイダラボッチのような大男で、
山に腰かけ海の水で顔を洗う程の巨駆を誇ったという。
宮崎県に伝わる伝承では
「洪水で川の土手が決壊し村人が困った時、
軽々と持ち上げた大岩で塞いでくれた」
「川の水を大岩でせき止め、
村人に自分の草鞋を100足作るように要求(悪ふざけ)をした」
「高い山に登り、雲をかき回して雷が鳴るのを
鎮めようとして村人を驚かせた」
など、一般の人間達とは、時に助け時に困らせるなどしつつ、
概ね友好的な関係を築いていた巨人とされる。
※大人弥五郎 wikipedia
だから治水なんですね~。
巨人は、「偉大な人」の意味なので、
大人(村の長)となります。
言い伝えでは、弥五郎とは奈良時代の720年(養老4年)
に勃発した「隼人の反乱」の際、
律令政府に対抗した隼人側の統率者で
あったとする説が最も広まっている。
笑隈(えみくま)と書いた地なのですね。
後にこの戦いで敗北した隼人達の霊を
供養する放生会が行われたが、
これが現在の「弥五郎どん祭り」の起源となったとされている。
武内宿禰説もあり!
で、弥五郎どんは、
イソラのように「先導」した人なんですね。
隼人=阿多族→安曇氏へ繋がる人では?
■異界との扉が開く時
まあ、そんなことで、とにかく鬼の部類が広い。
鬼門、大人、鬼神、餓鬼、妖怪
すべて、生活の中に、
潜んでいる存在です。
世界にも鬼はいます。
お面が豊かなアジアの鬼たちも、
日本とよく似ています。
説明書より、
「東北の方角は、冬と春の節目にあたり
死と誕生の接点、
異界との扉が開く時です。
旧暦の正月や節分はまさにこれにあたり、
福の神ばかりではなく、
人間に害悪をもたらす悪鬼や死霊、
疫病神も同時に訪れることになります。
東北のかなたから、この世と異界との
境にある門「鬼門」を通り、
これらの神々がやってきます。
東北地方は、権力に従わない民、エミシの国でした。
朝廷は、強力な力を恐れまた肥沃な領土を求めるため
「悪鬼、妖怪が住む東北は鬼門」
を攻撃の口実として利用したのです。」
そうですね。
「利用された」のです。
東北は、黄泉の感覚「あの世の境がない」
とは、常に感じています。
胎内のことがありましたけど、
鬼は、大体、女性をさしています。
洞窟に鬼がいるとされ、
修験者がおこもりをし、
生まれ変わるというのは、
子宮から生まれているからです。
人首丸の岩屋
虎捕山の岩屋(墨虎がいたという岩屋)
悪路王が潜んでいたという阿武隈鍾乳洞。
鍾乳洞から地上に出てくる穴です。
朝廷にとって東北は、「畏怖」でした。
恐れ多い所だった。
自分の意思で動く者を恐れ、
従順に仕える者だけを善とする。
従順ではない事を悪としたならば、
自分の意思を持つことを辞めてしまう。
でも、それは私たちが望んできたことなのか?
自分の意思で動け、ということか。
好き勝手に動いているつもりですけど、
従順が楽な時もあるよ~。
はい、バランス。
鬼ミッション終了~。
ただ、寒いだけだった・・・
次は、戻って花巻へ。
そろそろ終盤です。