ぐるっと古墳を巡った後は、
「さきたま史跡の博物館」


埼玉の由来が「玉」なのですが、
さちたま(前玉)と呼ばれていました。
(この話しは後で)


ちょっと難しいけれど、
武蔵の古代史はどんなものか、

調べてみたら、結構、面白い。

長くなります。

まず、博物館へ。

あまり広くはないですが、
貴重なモノがたくさんあって面白かったです。

 

群馬、埼玉に集中する古墳群。

 

 

東京もあるよ~。

またもや、私はおかしな人で、
資料にくぎづけで、肝心な鉄剣が中央に展示してあったのに、

全く気づかず、
満足して帰ろうとしてました。笑


そしたら、係の人が気づいてくれて
「鉄剣はみましたか?」と言われて、


ああ、そうだった!
それを見に来たんだと、自分でも驚いた。


そのくらい、私はへなちょこなんだが、
ちゃんと見てくれていることが有難い。

(それ目当てにみんな来るからね・・・)

 

 

わかりにくいので、印刷したもので。

 


稲荷山古墳の後円部墳頂の埋葬施設の一つである
礫槨れきから出土した副葬品。


剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の
銘文が金象嵌で刻まれている。

その内容は「辛亥年」(西暦471年)に「ヲワケの臣」
(または「ヲワケコ」)が「杖刀人首」
(「杖刀人」のトップ)として「ワカタケル大王」


(雄略天皇)に仕えたことを示すもので、
日本古代史を解明する上で欠かせない超一級資料。


この鉄剣をつくらせた「ヲワケ」の系譜が
先祖がオオヒコで、その子として7名の名が記されています。

「ヒコ・スクネ・ワケ」は尊称。

 



「ワカタケル」は天皇の古い呼び名である「大王」を

名乗ることから第二十一代の雄略天皇と考えられるとの事。

また、478年に中国に遣いを送った
「倭王武」に相当する人物とされています。


熊本県江田船山で発掘された剣にも、
同じワカタケル王の名が記されています。

関東と九州に「大王」が及んでいたことを
示しています。


もうこの剣が並んでいるところから、
ぐっとくるんよ。(資料だけど)

 

 

 

七支刀も文字が記されてあったんですね。


みんなでお茶っこする時に、
たまに天使の話しがでてきたりして。

羽の話しとか。
スピスピな話しの時に、

将軍が浮かぶのよね・・・。(悲しい~)

そっちじゃなくて、剣をもった中国系(たぶん)
の将軍がでてきてしまいます。真顔

仲間に入りたいんだろうけど・・・笑~

過去世かもしれないが、その人がもっていた
剣がどんなものであるかを品定めしたいほどだ。
長~い剣なんだ。

これらの剣は、祭祀用なので軍事的な使われ方ではないが。

■武蔵を建国した名


埼玉県民なのに、よくわからな~いので、
わかったところをまとめておきます。

が、難しくてマニアック。


「武蔵」と書きますが、

无邪志(むさし)国造」、「胸刺(むさし)国造」
と「知々夫(ちちぶ)国造」


と3つの国造が登場します。


そのうち、武蔵東部と武蔵北西部にわかれます。

【武蔵東部:无邪志国造】

秩父を除く地域。


兄多毛比命(エタモイ)=出雲臣と同じく、
出雲族だったと言われる。

名前からして「モ」が出雲っぽ。


出雲国造の系譜をもつとされ、
大伴氏、物部氏、檜隈氏、笠原氏などがいる。

笠原郷の近くにおり、埼玉古墳群の本拠地。

天穂日命の祖

これは出雲の神と同じですね。

无邪志国造の氏神は・・・

埼玉県では最古の神社と言われる
鷲宮神社」があります。

 



鷲なので、利根川流域に多く古墳があることを考えると、
阿波忌部系が入ってきてますよね。

阿波忌部のトーテムは、鷲です。

また、
出雲が多い埼玉なので、大国主です。

大国魂神社、
氷川神社など。

 

※氷川神社


東には、入間があります。

物部氏らは、入間を占拠していたとあり、
入間は、「入る馬」の由来や「有馬」からとも。

いずれにしても、馬。


入間、川越、狭山、所沢、ふじ見野市、富士見市、の範囲。
入間には射日神話が残されているので、
朝鮮系太陽信仰があります。

日置部のこと。(鹿児島にあり)

物部天神社が鎮座する神は、二ギハヤヒです。

 

 

物部天神社  櫛玉饒速日命
國渭地祇神社 八千矛命
天満天神社  菅原道真公
摂社 小手指神社、文子天神社(機織姫)


「富士見市」という地名があるように、
さきたま古墳は、富士山に向いている説もあります。


実は、武蔵の豪族は朝廷側でもなかった。


まつろわぬ民が集まり、
「陸奥へ逃れて蝦夷になった」

説は、正しいと思います。

阿部氏もいますが、物部氏と同じ軍事を司る
位置におり、物部氏よりは、朝廷側に徹していたようです。

无邪志
という漢字から想像するに、

「无」は無いの意味なので、
「邪」が無い=正しい人


といった意味があるのでは?


【武蔵北西部:知々夫国造】

それに対し、秩父は違う。

コヤネさん。

氏神をみますと、

天春表命(ウワハル)、
天下春命(シタハル)
の兄弟が登場。

下(弟)シハタル:小野神社(多摩市と府中市)→秩父国造の祖

 



上(兄)ウワハル:は、戸隠神社、阿智神社が氏神となる。

 

 

※長野県の阿智神社

八意思兼命を祖とする秩父神社もそうです。
本拠地は、中村郷?丹党一族になりますが、詳細不明。


もうひとつ、
【胸刺国造】があります。

漢字がスゴ・・・

兄多毛比の子とされますが、同一とも。
无邪志国造と同じだと思います。

初代、伊狭知直と言われ、
五十狭宿禰という人が登場する。

五十のイソは、磯ですから、
イソタケルの関係があるんでしょうか?

本拠地は、千葉県市原市(水上交通)の場だったとされ、

氏神は、島穴神社、姉崎神社と海民系です。
シナツヒコを祀っているのですね~。


黒潮にのって伊豆~常陸へ。


ここから荒川→秩父彦(秦氏系)
利根川→兄多毛比命(阿波忌部系)に分かれたと考えられます。

利根川(上毛野国)
荒川(武蔵国)
共通点は、養蚕と馬です。

 

 

馬の飾り(稲荷山古墳)

 

 

将軍山古墳

 




メソポタミア文明(シュメール)の末裔はあり、
戦車(車輪)と織物の文化は、
「スサ」という地名からも。(中央アジア:イランの方)

イラン高原からペルシャ・インド
→平家の祖になったと考えます。

ペルシャにも菊紋様のマークはあります。

 

■三国征伐が建国の礎に?

古代史を調べる時は、
必ず大陸、朝鮮情勢がからみますね。

神話は、ほとんど大陸からもたらされたものです。


埼玉は新羅の地名が多いのですが、
高句麗、百済もたくさん入ってきてます。

前回の、王仁の詩をのせた「難波津(なんばつ)」ですが、
『古事記』より、
小船に乗って難波へ向かい、そこの留まった。
その場所にアカルヒメを祀っているという。(大分県説もあり)


※比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)

これが、丹生の辰砂である赤になり、
丹党が生まれたと思います。

渡来神なのですが、シタテルヒメとも同一とされ、
それは新羅の神とも言われる。

阿智臣と秩父彦が同族なのは、

漢直(あやのあたい)という人がいて、
この人の祖が、阿智使主である。(東漢人)

阿智直、阿智使主、阿知王などとも言う。

呉にいき機織を奨励する。
後に百済が政治に入ってきます。

430年頃のことで大陸の呉から筑紫の九州へ。

宮城県にもきており、阿武隈川を経由して上陸。

熱日高彦神社が繋がっていると思う。


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「コムナリ(久麻那利)伽耶」という国が登場しますが、
コムナリ伽耶は、呉と漢が対立を繰り返しています。


このあたりの時代に雄略天皇が登場しますので。


これが、兄弟という話しになっていき、
兄がフル、弟がオソンだったか、(逆かな?)

百済二国論は、プル百済、オンジュ百済と別れる説。

どっちかが兄と弟だったはず。

フル→扶余(プヨ)のこと。

なので射日神話は(入間の)ツングースの神話なので、
高句麗なんですね。→日光神話(光から生まれる)

=武蔵の高麗神社のこと。

 

 

中国がルーツの神話:月に帰り蛙になる。カエル

それに対し、新羅は卵から生まれる。
卵生神話=南アジア~インドネシアを中心に広まる。


コムナリの意味は、「熊津」とかき、
熊=コム、津=ナリで、

西成→西の津というように、津は湊ですけど、
上陸地、つまり、成立した地として「津」があてられます。


倭の五王と言われたひとたちは、
航海技術が優れていたのか?


それで、菅原道真を祀るのだと思います。

※道真公は航海技術がある上に
交易能力に長けていたとも言われる。

 

■武蔵は九州と出雲連合?


秩父は九州の人たちがたくさん移り住んでいます。
天手長男を祀る神社が多いのもその理由だと思います。

おそらく寄居の鉢形城は、そうだと思うけどな~。

近くに、天手長男命を祀る神社がありますので。

壱岐島の壱岐国一ノ宮が、天手長男命を祀っており、
同じく鉢形城というのもあります。

壱岐島の天手長男神社によれば、

神功皇后の新羅出兵に際し、
宗大臣が「御手長」という旗竿に武内宿禰(たけうちのすくね)が、
持っていた紅白2本の旗をつけ、


これを上げ下げして敵を翻弄し、
やがて息御嶋(玄界灘の沖ノ島)に立てたという「御手長」に

由来するそうです。


神功皇后の伝説は、加羅国平定の神話として
日本にもたらされたと。

加羅は伽耶とも言われるというのですが、
このあたりよくわかりません。

『日本書紀』には登場しなかったと思う。


伽耶は、『日本書紀』でいう「任那(みまな)」
日本領土とされた。

新羅が征服した国。


磐井の乱(九州)で、磐井氏・新羅軍と、
百済・朝廷軍がぶつかる。

 

 

※福岡県の石馬(岩戸山古墳出土)

伽耶に向かおうとした政府軍を
阻止したという事だったか。

伽耶が関係していたと思う。


九州の邪馬台国は、磐井氏が継承し、
近畿地方に邪馬台国を存続する。

という、わけわかめな話しですが、

つまり、邪馬台国の女帝:卑弥呼は、
どこがルーツなのかは、


伽耶だったと・・・妄想です。

 

 

この神獣鏡のうち、埼玉だけが国宝になっています。

 

伽耶の以前は「狗邪(くや)」と呼ばれた可能性があり、
『魏志倭人伝』に登場する。3世紀頃。


无邪志の「邪」と同じですから、
その意味をもって、「无」とつけたのだと思う。

邪心はないよ、ってことを言いたかった?

ちなみに、卑弥呼が「卑」をもつのは、
3世紀頃、「鮮卑(せんぴ)」という騎馬民族がおり、
その母系社会?(女帝)が卑弥呼だったという説も。


むずいね~ぇ。

そんなことで、九州と武蔵・秩父の関係はいろいろあります。

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秩父神社の創建由来は諸説あり、明確にはわかっていません。

その中で、「狭手男臣」の名があり、
これが天手長男命のことです。

允泰天皇(いんぎょうてんのう)の遠祖になるという。
(仁徳天皇の子)


遠い先祖の御印のために葉栗社(葉栗氏?)に祀るとある。
葉栗氏も丹党一族。

※秩父丹党考より

『大和志料』という書物によれば、
天八意思兼命の子、阿智祝の遠祖とする。

知々夫彦命が、武蔵国造の首長だったとすれば、
その故郷は、近畿ではなく「九州」にあるでしょう。

 



畠山重忠が、わざわざ島津氏にお願いして、
大隅古墳群にある大塚古墳に知々彦命を祀っているのです。

祭神:大国主、スサノオ、思兼命。知々夫彦命、
御神:鏡三面


だから、大国主~。

 


鹿児島県の神社庁によると、
「下向した本田次郎貞親が武蔵国の秩父権現を勧請し、
島津家の守護神として建立したものである。

 

 


熊本にいるあっちゃんにプレゼントした本だが。

歴史ロマンがあって面白かった。

(卑弥呼は複数おり、集団として考える)


ということで、天手長男命が祖に近いのでは?

中世、波多という松浦党の首がでてきます。
松浦党が天手長男命を祀っている経緯があり、

海民の守り神になっています。

そこに、古来から渡来してきた秦氏が関わっているのです。


天手長男命は、
天の岩戸を開くうえで、アマテラスが顔を
のぞかせた時、アマテラスを引き開いた。
という神話になっている。

 



石(イワ)が邪魔で光が入らないから、それを外したとの解釈。

とにかく、開ける人なんです。

「開拓をした人」のことでしょう。

 

「イワ」がヒント!

だから、武蔵が開いたら面白いんだけどな~。

秩父は芸人さん多いし。(そこかい)


卑弥呼がずっと続いていたのは、このことでした。ヒヨコ

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しかし、この古墳時代から古墳の被葬者が
誰なのか、論争は絶えませんが。

古墳に関しては、近畿をみると調査に積極的ではない。

※雄略天皇は、大仙古墳ではないか?と。

あんまりそこは知ってほしくない、
とか、今までの歴史が
間違いだったことも知りたくないのだろうけど。

今にはじまったことじゃないが。

 



案外、何もなかったりして・・・

円墳だけなら、土をただ盛っただけ、というのは東北にも多いが、

これだけの巨大古墳を型にする理由があると思います。

 



埼玉の古墳群が、表に出たがっている感じはした。

(やっぱり出雲なんだと思う~神在月)

少し知ることができて良かったと思う。

 



まだ、あるよ~。

最後に、埼玉の語源由来となった前玉神社へ。


つづく