先日、山元町の神社参拝と
ちょっと森を歩いてきました。

 



大山祇神を祀る深山神社。

 

 

 

三光宮、弁財天碑、養蚕など、講の碑がたくさんあります。

 

 

 

 

青麻の石碑(↓)

 

 

 



そろそろ秋登山の時期になりますが、
まだ里は暑くて、虫がまだ多いですね。

 

 



雨も多いため、山道はぬかるんでいました。

 

 

 



キノコの季節

 

 


さて、つづき。

 

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石巻と角田の神社名について妄想。

天孫の「屋」と国津の「嶺」という区別。

例えば、同じ零羊崎神社でも、

牧山の方が海幸彦で、
真野の方が山幸彦な雰囲気があると思うのです。

阿部氏が祀っていたという「白鳥宮」
だった方が真野ですが、裏手の山に
重要な意味があるでしょう。

上品山(じょうぽん)のこと。

石巻湾の湊から上陸して真野川へ
山の方面に向かっているとすれば、

海幸彦の海民→山幸彦の山民。

これは、南相馬の真野地区も同じで、


海側の鹿島の上陸地(海幸彦
→西の真野(冠嶺神社)=山幸彦~(佐須)へ。

 



佐須は、飯舘村で山津見神社(虎捕山)があります。(地図C)
安倍氏の伝説と関わっています。

 



青い線は、真野川になりますので、
そこに猿田彦命降臨地がある。

山があれば海もある。(地図D)

 

 



くさ野神社と同じ神を祀っています。

御祭神は綿津見大神、五十猛命、大屋津姫神、抓津姫神、
闇於加美神、玉依姫神、鎌倉権五郎景政。


石巻に戻り、

「上品山(じょうぽんやま)」が、
山幸彦のホホデミでした。


彦火火出見命の母神である
木花開耶姫命を合祀していました。

彦火火出見命の御神体?があったというのだから、
真野は山幸彦側と思う。

しかも、久集比奈神社(くすしなじんじゃ)。
だから、童のスクナヒコですね。

ワタツミと祀られていた
少名彦命を祀っているのです。

ああ、そうでした。
昨日、偶然にもネットで「ホツマツタエ」に
「イソラ」が出ていたのを見つけた。

なんだか「ハタレ」のことで、
物質化した良くないモノらしい。

河童は「ミズチ」とも言われ、
ホツマツタエでは、欲をもった悪い人間みたいな、
良くない意味で解釈されていました。

ハタレか~。
安曇氏との関係はないと思いますが、

ただ、なぜ、河童が捕虜にされ、
変な妖怪にされているかは、
ホツマツタエによるハタレが関係していることが、
あるのかも??

なぜなら、ハタレ退治をしたのはタケミカヅチと
フツヌシですから。

ところで、
住吉神が磯良をおびきよせるために舞をした伝承は、

青森のねぶた祭り、八戸のえんぶり長者、
そして国栖に対し、多氏が海で舞をしておびきよせた
話(『常陸国風土記』)と、共通しています。

蜘蛛は、「雲」と同じで、
出雲や、安曇の「曇」は「くもり」で雲です。

どんよりした意味の漢字を使うのです。

 

■鳥屋崎と鳥屋嶺-------------------

そしてその海と山を区別しているのに、

気になっていたのが、
鳥屋「」と鳥屋「」です。

トヤの海と
トヤの山。

石巻の鳥屋神社へいった時がありました。

鳥屋神社の近くにも同じ、

鳥屋崎神社」というのがあり、
港湾の神・伊豆能売神を祀るのです。

それに対し「嶺」である
鳥屋嶺神社は、角田にあります。

鳥屋「崎」と鳥屋「嶺」とは、
海と山ですね。

 



角田に斗蔵山があります。
西の国津に対する東の天孫があることを、
ずっと前に書いてました。

 

 



その斗蔵山の西に、鳥屋嶺神社(角田)

阿武隈川沿にあります。

 



ウガヤフキアエズ命を中央に 
左に猿田彦大神、
右に宇賀美多満尊(保食神)→ハイヌベレ


の三柱の神々をお祀りしてあります。

西に位置する斗蔵とは、戸座(とくら)であり、
戸→鳥、座→屋に、変化した

という興味深い話しがありました。

鳥の屋根としたのは、天孫神の話しにするためでしょう。

天に対する屋を使ったのが、物部守でした。
元来は、守なのですが、

ガーさんが言うには、
守矢(矢は縄文の意味)が途絶えたのを、
渡来した天孫(ユダヤ説もあり)が系譜をうけつぎ「屋」にしたのではないか、
という事でした。

その古くの先住民が、千鹿頭(ちかと)族で、鹿なのです。
郡山で途絶えてます。→獅子舞と鹿舞の違い。

たぶん、多くの舞が「おびきよせて」という由来になっているのは、
「獲物(動物)」をおびきよせる→餌をとる
狩猟からきている舞と思います。

さて、この鳥屋の地名は、あの二ギハヤヒ降臨地といわれる
生駒山周辺にもあった。

「嶺」の漢字は、生駒高嶺もそうで、
富雄川というのがあり、トミなのです。

鳥の地名がとても多く、下流に法隆寺があり、
斑鳩の里とも言います。

しかも、その一帯は、古代「鳥貝」とよんでいたそうです。

トベ研究の綱名道代先生によれば、

その中心地・高山は、古くは鷹山であり、
その小字だけでも鷹谷、鳥屋、鳥の谷、背鳩、鵄山と
鳥の地名が非常に多い。

鵜を使う川漁もあり、鳥は人間に山の幸、川の幸を教え、
またそれを頂く手助けをしてくれた。

鳥は、トーテムポールにあるように
霊的存在で神の使いでした。

 

※アラスカのトーテムポール

狼と鳥も狩猟をともにしていたという。

 

※ワピチと狼の群れ

アルタイ族の昔話では、
狼は食べ物を分け与えることから、狼に対し肯定的です。

 

※アルタイ人

秦氏がいた烏孫族がそれだと思いますが、
ゾロアスター教。(むずい)

さらに「霊蛇、鳥ニ化ス」という考え方が古くから中国にあり、
蛇神族のことを言うのだそう。

龍蛇族のことかな。

人が亡くなるとその魂は、自由に空を飛ぶことから、
鳥は霊鳥となります。

そして、その屋根とは、ウガヤフキアエズの産屋。

鵜(う)の羽を草(かや)としてふいたが、
屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、
草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられたという。


モーセみたいなんだよね~

ヒルコと似てますけど。
(早く生まれた為)

 


青森にあるこれかな。
鳥ではなく、善、知、鳥、といった聖なる神の象徴。

なんと、「モーセ」とは、「マーシャ」と言い、
ヘブライ語で「引き上げる」の意味だったとはっ!

そこにいた女性が、流れて来た「モーセを引き上げた」ことから。

これって・・・奥州札所観音霊場の
よくある由縁、「引き上がった観音様」と似てる~。

全部「引き上げられた」言葉にしている。
網で、だけど・・・

むむ~。

閖上なんて、ゆりあがっちゃったよ。


うちにもモーセは来てるよ!

な、地域お越しにしたい伝承が流行したのかと。


話しを戻しまして・・・

戸座は、イワクラの石信仰なので、縄文神と考えられるという。
確かに、角田には縄文集落が近くにあります。(簗瀬浦遺跡)

伊具の一宮・二宮は、熱日高彦神社と鳥屋嶺神社の二社があります。
伊具郡は、安倍氏が占拠しており、安倍(阿部)氏伝説がとても多い。

東は、九州からのニニギ降臨地としたわけで、(上陸地)

 

西に向かって山幸彦と海幸彦を、

両方祀っている経緯がみられる。

富士王朝や九州王朝というのがありました。
蔵王王朝というのもあったらしい。

阿多隼人のことで書いてましたが、
その統合から、ウガヤフキアエズ王朝となったという。

阿蘇氏は、海幸彦を長として海軍力を強め、
日本列島全体を龍の島として結界をおく。
防御した意味だろう、けど。

阿蘇山を拠点として、守り神を宇佐八幡神としたらしい。

紀州の熊野が、「久真野(くまの)」と
書いていたことがあった。

「真野」なんですね。


■兄の妃は神武に嫁ぐ-----------------

 

つまり・・・

 

 

系図をみるとこれで。(wikipedia)

 

ニニギ=ホホデミ=山幸彦

ウガヤフキアエズ。

 

豊玉彦=海神=子孫は安曇氏、尾張氏。

二ギハヤヒがついた神武天皇の「第1天皇」
という新しい国家をつくるために、

ナガスネヒコが必要なくなった。
政権から「降りた」ということでは?

妹が嫁ぐことも政権交代な気がする。

海幸彦は海側を広く治め、
山幸彦は、追われて山へ逃れる。

それが、洪水神話となり「動物たちの反撃or反乱」伝説に。

動物をトーテムとする先住民の意味があった、
と思います。

後に、狩猟の舞だったのが勝利側の都合よい舞に替えられた。

先住民は、それぞれのトーテムで呼ばれてました。
記紀にも記されていたと思ったよ。(二上山にいた蝦夷の話し)


それにより、神武天皇をたて
ウガヤ王朝も富士王朝も姿を消します。

神武側についたヤタガラスは、何かの集団なのですが、
分水嶺にヤタガラスの建角命(たけつの)を祀る傾向があるとも。

紀州の熊野に伝わる話しでもいます。

カモ系の兄:ウカシと、
弟のウカシ、

兄シキ、弟のシキがおり、

神武を迎撃したのが兄ウカシ・兄シキは滅びたという。


弟の系統、ウカシとシキが神武側についた話しがある。

弟のシキ系統は、県主となり天津神を抱き込み、
ヤマト朝廷の実力者へ転じていったという。

エミシ征伐は、その痕跡を追ってますよね?

アテルイは紀氏(紀古佐美)と対戦してますが、
コサミの「サミ」という名から、ズニ族が浮かぶ。

ズニ族は日本の海を一手に掌握しており、
海洋民族安曇族の「ア」音から脱落したズミの転化。

という話しが、何かの本で読んだ。

 

ズニ族は、紀元前1000年頃からズニ川の谷に、

住んでいたと考えられている。

ホピ族との関係が強いと。

 

 

 

すごい宇宙観。


なぜ、「ア」をとったのかわかりませんが、

ア・ズミ
ア・テルイ、
ア・ペ
など。

あ→はじまり。

でも、そのアがとれたけど、スミやサミという
言葉もその「ア」と同じ部類になっている?

ズニ=ズミ=イサ「スミ」
となった「伊佐須美神社」(会津)

 



イザ!のイサハな感じだ。

 



良い神社でした。(2016年)

 



キノコ「サミ」(アテルイと対戦した紀国の人)
も似てるよね。

朝廷は、はるか昔に逃れた
祖先のルーツ探しもあったと思います。

なので、兄と弟の分断があったことは、
ホピの予言、

 

東と西に分かれた兄弟が、

再び再開する。

 

ことを思い出す。

アテルイとモレも兄弟ではないが、
2人の賊として伝承されていますから。

新しい時代の転換期には、
首長が変わる必要がありました。

女首長であれば、敵の妻になることで、
婚姻関係を結び、争いから脱した。

ナガスネヒコの妹のように。


神武側に嫁いだ妃は、カモ系だったという。
(カモ:鴨か賀茂か不明のため)

彼らの足跡をさぐると、阿部氏や物部氏がみえてきますが、
藤原家と秦氏が百済、高句麗について、
自分達が悪になった、かもしれず。

縄文神(アラハバキ)が自ら封印したというならば。

「天照国照彦 火明櫛玉饒速日命」
という長い名前は、二ギハヤヒとしてます。

櫛をもつ彦火明命(ホアカリ)とは女性的な感じを受けますが、
天孫族の「屋」の方で、綿津見神を崇拝してます。

そんなことで、私のトラウマが全快だよ。笑

海と山が対立してきた
神話を伝えている背景には、

大噴火、大地震、大洪水、
の天変地異がおこり、
人類の大変革があったと思います。

今がその時にあるでしょう。

そうした分断がずっと海と山にあったので、

海と山を繋いでほしいなあ。

的なことをずっと言われている気はしていたが、
それでどうなるか、わかりません。(つれない)

私は山好きなので山ばかり行ってますが、
やっと海の方へ行けるようになったのは、
良かったような。

 

■おまけ------------------------------

 

ちなみに、山元町の深山の西には、

「八竜城」があります。

 

 

平安後期、伊具郡の豪族であった

八竜十郎平永衡(たいらのながひら)が築いた城。

 

 

ここに「三ツ矢」の伝説があり、

一矢、二矢、三矢、

 

これは生駒山の「トミ」富雄川にある伝説と同じで、

先住民(山民の狩猟)の争いに書かれるものです。

 

 

愛宕神社が祀られています。

 

その近くにある「高魂神社」も、ウガヤフキアエズを祀り、

深山に向いています。

 

 

角田市尾山字荒町に鎮座。

他、高皇産霊尊・神日本磐余彦尊・玉依姫命を祀る。

 


さてさて、海と山の関係。

せっかくなので、過去記事のまとめを

後でしようと思います。

調べたいと思ったら記事が見つけられないのがあり、
前、gooブログを軽くするために、消してしまったようだ・・・

2社の駒形根神社の記事がない。笑~

今度は、

「海」の唐桑半島から、
「山」の一関市厳美町をつなぎます。