私の中ではヒタカミブームなんですけど。
鹿島にいったからかな・・・コアラ

一回、あきらめたんだけど、
やっぱり、こうなるのでちょっとだけ書いておきます。

先日、石巻の桃生にいき帰りに時間があったので、
ちょっと鹿島神社に立ち寄ろうと思いました。

数年前に、主人と石巻へ行った時にたちよった
鹿島神社がコケの道で雰囲気が良かった所がありました。

それを思い出して、また行ってみたいな~と思って
マップを設定して行ったら~。

 



知らない所についた・・・。チーン

どこ?

どちらのカシマさん?真顔

 



まあ、宮城県にはたくさん鹿島神社があるので、
ちゃんと住所をみないとならんのぉ。

 



どんな所なのか、看板をみたら、

 



葛西氏の城だった。

 

神取山城

ちーん。

知人と一緒だったので結局、城跡を歩かせてしまったのを
申しわけなく思います・・・

行くしかないわけでね。

 



■神取山の鹿島神---------------------

なんというか、妄想でしかないですけど、
葛西氏は、出雲崇拝だったのかな。
(和邇氏だから?)

境内に出雲神社があったんですね。
そういえば、佐沼城跡にも出雲神社があったしね。
あそこは葛西氏と大崎氏や伊達氏が、ぶつかった所ですよね。

 

 



葛西氏の家臣たちは、伊達軍に惨殺されていると聞く。

女も子供も殺されたというのを。

なので、伊達政宗を怒らすと大変だと思ってます。
確か、葛西氏の中に伊達家の養子になった人がいたと思いますが。

 



家臣たちが気の毒な歴史なんですね。

 

城主は、伊勢長満、鈴木山城守等葛西家臣といわれ、
天正18年には、葛西総大将大原飛騨守胤重と
精強千七百騎が籠り、最後の抵抗をしたと

「葛西真記録」に書かれたことは有名である。


・・・1700騎も。

 

 

胤重の名からして千葉妙見ですね。

鹿島神は東北進出に欠かせない神社として建てられています。

さて、関東は出雲神が確かに多いです。

 



『ホツマツタエ』では、ハタレ退治をしたタケミカヅチ(鹿島神)の
話しがありましたが、漠然としか思いだせないのですけど、

ハタレ退治の後、スサノオは「ソサノオ」になり、
ヤマトタケルと思われる「ヤマトタケ」が「ソサノオ」と。

 

ヤマトタケは、ヒカワ(氷川神社?)神の転生であるという。

 

※福島石川町の石工さん作の狛犬。

出雲が関係しているような話しぽいけど、
まだまだ、ぼんやりです。

ところで、神取山は、香取の言葉が転じたらしいです。

神取山(かんどりやま)は、旧北上川に江合川が合流する地点です。

和渕という所に近いのですが、
『封内風土記』によれば、和渕大明神が祀られており、
別当が、のの岳です。

フツヌシ、オオナムチ、タカオカミ神です。

 



やはり、金と日高見国との関係もありますよね。
やたらと結ぶのは、鹿島神の癖・・・

 

A:龍口神社 B:旭山 C:鹿島神社(神取山) D:のの岳

 

どうして石巻は、こんなに結ばれてしまうのだろう?

このフツヌシを祭神とするのは、北上川の東岸にある
神取山とされ、鹿島神社に対するものとして
利正院によって附会(こじつけ)されたと考えられると。

(和渕のフツヌシに対し、神取山に鹿島神を祀ったと)

 

のの岳~金華山に牧山がかぶっている。

なぜ、宮城の太平洋側にはこんなに鹿島神が多いのか?
特に多いのは、大崎市です。

 



しつこいくらいあります。

鹿島は、茨城県ですよね。

 

 

まがっている松が気になった。

 

デジャブがおこった風景。

■日高見の本国は常陸?---------------------

昔、茨城県は常陸(ひたち)と呼ばれてました。

『常陸国風土記』より、

 

信太郡が日高見国とよばれ、
「黒坂命が、黒前山で死亡し黒前山より発ちて
日高見国の至りき」
とある。


その場所が、信太郡(しだぐん)とされます。

 


※竪破山(たつわれ)=黒前山のことです。

 

 

ぱっかり割れた岩がある所です。

この信太郡に「物部河内」が出てくるので、
前回、ヒタカミで書いてましたが、
西漢人の和邇氏系がそうです。

郡内の「浮島」があるんですね。
多賀城や盛岡にも伝承があったと思い、
名取にも登場してたかな。

「百姓塩を火きて業と為す」
だから、塩と海民です。

延喜式の祝詞では、天孫の日向からみて東方の
大和の美称とされますが、
常陸から北上川へとヒタカミは、北上しています。


高橋富雄先生も本日高見国は、常陸と言及されており、
北関東~東北にかけて日高見国とよんだわけです。

平将門が繋がっていると思うのは、
桓武平氏将門流の信田氏(信太)の本拠地でもあったからです。
『将門記』より。

律令成立前の古い国の呼称であり、
「日高見道(ひたかみみち)」→ひたち→日が立つ→日立となる。

おそらく、渤海国が(大陸北部)でてきますが、
『日本三大実録』863年に、

 

「日高見水神」が登場してきて、
渤海の北を被い~日河の東に振り、毛狄息をとず」
と書かれている。

日河=北上川のこと。

ヒタカミの中心が東北で、それは渤海国も含まれていた。
という事になると思います。

牡鹿郡(石巻)が古く重要な海の起点だったらしく、
後で書きますけど、牡鹿郡は、
黒川以北の10郡で含まれていたらしい。

黒川とは大和町(たいわちょう)かな?

大和町もエミシと朝廷軍がぶつかって、
アザマロも来てましたから。

それに、マロが実際きていると思われる
石精山神社(古代の社)の由来として
大和朝廷の信仰厚く奉弊(ほうへい)が行われた所です。

七ツ森が早池峰神だったことと、関連あると思います。
ここも「石神」ですから。

そうだった。
コロナが流行しはじめた時にみた夢をまたここで思い出す。

あれは、ヒタカミのことだったのかなぁ。

東京へ行っている夢だったのですが、
電車を待っていると、行き先が

「茨城県の黒川行き」だったんですよね。

それ行きの電車を待っているのですが、
もう黒坂命の話しと似てる・・・

黒なのは、たぶん、岩質が黒い花崗岩だからでは?
という簡単な理由・・・

その時はわからなくて、河童妄想してたけど。笑

でも、石巻は海民の聖地ですから。
何かあるんだと思います。

ということなので、ちょっとこれは、
やっぱり気になる石巻。

関東からたくさんやってきている土地なので、
東北だけの話しではありません。

関東が縄文の大集落があり大都市圏だったことは
よく知られています。
青森県もそうなのですが、関東平野もそうでした。

東日本全体が縄文王国。
西は、弥生。

だからといって、敵対するものではなく、
どうやって融合してきたか?

 

※日高見神社のケヤキ

ヒタカミには縄文や弥生、出雲、アイヌ民族、
北方のエミシ、エゾなどが深く関係しているのですが、


改めて、裏歴史という言葉を使うのは嫌なのですが、
ずっと眠っていた復権を、取り戻してほしいものです。

 

※石神社(桃生)

それが、心の支えになると思ってます。
というか、私が支えられています。

宗教ではなく、
東北のアイデンティティです。

不変であることの強さとは。

 



震災の爪跡がいまだ残る東北の海に、
海人族はどう想うだろう?

 

「おかえりモネ」の朝ドラを、たまに見ているのですが、

大島が故郷ですね。

亀山があるところです。

 

大島の延喜式神社が日高見国にも関わっているようなのですが、

「海道」の守り神なのですね。

ここに、北方海軍基地が集結していた所なんだそうです。

深い民族の歴史が息づいていることに、
気づいてほしいと思いますので、

もう少し、石巻の古代史について。

 

つづく・・・かも。

 

 

■おまけ----------------------------

 

素敵なカフェを発見。

「くさかんむりcafe」

 

 

 

 

こーいうシンプルが一番おいしい!

 

まったり時間がないと、やってられませんっ。カエル

(目的はこっちだったりする・・・)

 

 

上山のリンゴジュースがおいしかった~。

(最近、リンゴジュースばっかり飲んでる)

 

 

薬膳スープ(魔法使いのおばあちゃんが飲むスープ)