5月初めに登った半田山の時のことです。
登山後に、弘法大師堂にたちよってみました。
まずは、桑折町の「弘法大師の清水」について。
こんな伝説があります。
「昔、弘法大師、伊達のこの辺り一帯を行脚したと伝えられ、
あちこちにその足跡を記したと語られている。
行脚は修行であるから、説法をしたり、
人々の日常を知るということもあったであろう。
睦合(むつあい)坂町あたりに来た弘法大師の姿は、
長旅のせいでか、衣服は破れ、みすぼらしい姿をしていた。
喉の渇きを覚えた大師は、小さな清水の湧く沢があり、
そこで米をといでいる人がいたので、
下りて行って「どうか、水をひとわん飲ませて下さるよう」
と合掌しながら声をかけた。
米をといでいたのは近所の女らしくて、
「なあんだ。誰かと思ったら乞食でねえの」と言って、
清水の傍わらに置いてあったぶっかけお椀で米をといでいた
辺りの水を汲んでやった。
大師は飲んだふりをして礼を言い、
お椀を返して立ち去った。
ほどなく平沢にさしかかった頃は、先刻よりも喉が渇いたので、
道端の農家に立ち寄り一杯の水を所望すると、
「いい水がちょうどなくなったので、今汲んで来て差し上げっから」
と言って下の方の泉へ行って、澄んだ水を汲んできて差し出だした。
「かたじけなかった。
そのうちこの辺りにも、きれいな泉が湧くであろて」とつぶやきながら、
平沢を後にして、どこへともなく立ち去っていった。
それから坂町の清水は、いつも米のとぎ水のような
にごり水が湧き、平沢の所に湧き出した清水は、
いつも鏡のように澄んで、こんこんと湧き続けたという。」
桑折町の観光情報だとちょっと違う内容になってますが、
弘法大師の清水伝説は全国にあります。
桑折町の平沢にある水は上記のサイトにあります。
明治天皇が休んだ時に飲んだとか?
私が行ったのは、林道輪王寺線沿線の南半田字日ノ入の所。
このあたりにも弘法大師の清水があったようです。
私有地との事。
石碑に由来が書かれています。
■御堂の由緒-----------------------
弘法大師のお堂の隣にある石碑は、
昭和47年に地元の方が建立したそうです。
碑文には、伊達氏が西山城の居城を構えていた頃に
輪王寺があり、仙台に居城を移した後、
この場所に弘法大師を建立したと伝えられています。
毎年4月にこの場所でお祭りがおこなわれています
という事で、北仙台にある輪王寺は、元はこのあたりにあったのですね。
住所をみると林王寺とあります。
国分薬師堂もありますね。
伊達家の祖が梁川にあった為です。
もう少し詳しく説明しますと、輪王寺は、
9代目の伊達政宗(独眼竜の伊達政宗ではない)
の妻、大膳大夫政宗婦人「蘭庭明玉禅尼」
蘭庭明玉禅尼の所願によって建立されたそうです。
奥の森にもお地蔵さまらしき像が。
■逆光なのに順光に?--------------------------
さて、御堂の隣に「延命地蔵」がありました。
お地蔵さまがある所は、供養するために置かれているので、
誰かが亡くなっている所だと思います。
峠など里の道には、必ずありますね。
よくみるお地蔵さまなので、
私は逆に、親しみを感じてしまうほどです。
昔話の「笠地蔵」とかね。
お地蔵さまは、優しいです。
あの世に行ってまで供養をしてくれるのは、
お地蔵様だけです。(釈迦の弟子)
お地蔵さまの存在を、この時どう感じていたか、
覚えてませんが、写真を撮ってみました。
普通にとれば、逆光だとこんな風に
被写体は暗くなります。
太陽は前にあるので、あえて逆光でお地蔵さまを
もう少し光が入るように撮ったら・・・
こんな風に大きな影と共に、
浮き出たお地蔵さまが撮れました。
最初、これをみた時に、スマホの不具合だろうと思ったのですが、
よーくみると、自分の影も映っているんですな。
右下で、手をあげている風にみえる影は、
スマホで撮影してまして、帽子かぶってましたから。
う~ん、
不思議。
ガチで説明しますと、
逆光(太陽は前:被写体は太陽を背にしている)
ならば、影は前になります。
しかし、この写真は、被写体に向いて光があたってますから、
影は後ろにできてます。
これを、順光と言いますが。
逆光でとったのに、順光になっているという・・・
(フラッシュを間違えて使ったのかな?
いや、その使い方は知らないから。)
どーいうこと?
これってカメラでは起こる事なのかしら?
次の写真もちょっと強いですね。
光が強すぎる太陽に、あまりカメラを向けてはいけないのですが。
スマホのカメラが壊れたんか。と、思ったけど、
こんな写真は初めてでした。
なんか、童子みたいな~。
賢そう。
色も青いし。
偶然にしても不思議な写真でした。
お地蔵さまの影が屋根の方まであたっているので、
相当、強い光になっていますね。
「光の強さは、影の大きさで知る」
という事なんだと思います。
やっぱり、影をみないと光がどれくらい強いか、わからない。
(闇と影は違うよ)
それに比べて、私の影は、ちっさいのぉ~。
影の力は女性ですね。
男性性=太陽=アマテラス
女性性=月=ツクヨミ
みたいな。
で、後で調べて驚いた。
繋がっている・・・?
蘭庭明玉禅尼は、石清水八幡宮検校善法寺通清の娘との説も。
紀良子(きのよしこ)という方らしい。
→足利義満の母の妹。
系譜は定かではないのですが、
姉妹に伊達政宗の正室の輪王寺殿がいるとある。
この石清水八幡宮の「検校(けんぎょう)」とは、
中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称!
「盲人」!!
そーいうことだったのか・・・
紀良子は、父?が盲人の役職と関わりもつ家系にあったという事に。
名取老女(光)と、旭(影)じゃないの。。。
その話しをずっとしてきたんですよね。
アサヒが表に出てきた、という事なんですね。
まさに「影向(ようごう)」を見せて頂いた写真だと思います。
■地蔵菩薩は末法を救済-----------------
そんなことで、不思議な写真だったもので、
地蔵菩薩を調べてみたら、延命地蔵も地蔵菩薩のことで、
インドのバラモン教が由来。
仏教に入り、地蔵菩薩となった。
インドでは、「クシティ」=大地、「ガルバ」=胎内という。
釈迦の弟子とも言われ、
釈迦の経文の中に
「もし、末法が訪れ世が乱れ、国が乱れる時勢になったなら、
彼(地蔵菩薩)のことを強く想うようにせよ」
と述べたという。
まさに、今の状態やんか。
どーりで、末法思想がやたらシンクロすると思ったけど。
地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅し、
弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救済してくれるという。
でた、ミロク。
また、「六道」=六地蔵と言うように、
六道の閻魔大王とも同じとも言われており、
悪いことをしても、菩薩様が入って閻魔様に
浄土へ行かせてくれへん?って取り合ってくれるとの事。
わ~い。(とりあえず喜んでおく)
そんなことで、実は、お地蔵さまは、
影でとても強い役割をしているのでした!
おまけ---------------------------
あまり咲いてなかった・・・八重桜。