やっと終われそう・・・

t2001さんから情報を頂きまして、

いつも応援、ありがとうございます。

今月、箟峯寺が2021年4月中旬にご開帳の予定だったのを、
コロナで中止になったと・・・

三十三年に一度しかご開帳されない秘仏だそうです。

やってもよくね?

 


次回は2041年なので20年後。チーン

来館者は受けいれずに密かにやるんだと思いますが。
知りませんでした・・・。

そんなことだから、魔鬼女の話しをしていたんだな、
と、納得しました。

一応、まとめにならないまとめをしますと。

ハイヌウェレ=豊饒の意味、死と再生の縄文と弥生。
七観音=長谷寺がルーツ。
蝦夷征伐=大武丸=夫婦像。

を、妄想してました。

今回の舞台がまた根の白石。

 



なんだろうね~。
白石にいくと根の白石に繋がってしまうのは、
もうお決まりなんでしょうか?

だから、行ったさ。

こんな渋い片倉小十郎さんに会ったからだわ!

この方は涼しいお顔をされてますが、

めっちゃ、シャーマンですよ!(今も健在)


久々の七ツ森と根の白石。
やっぱ、素敵な所ですな~。

 



たまたま見つけたノートに、
白藤」の文字に目がとまり、
泉区根の白石にある白藤観音堂のことが書いてありました。

その伝説がハイヌベレだったんですよ!!

白藤観音堂にはこんな伝説があります。

 



「その昔、坂上田村麻呂がこの地を訪れた際、
愛馬・太白号が毒草を食べ死んでしまった。

その亡骸を頭部・胴部・後脚部の3つに分け、
そのうち後脚部をこの場所に埋めて、
持っていた白藤のムチを逆さに突き立て墓印とした。
その白藤は根付いて大木となった。」

 



(頭部・胴部を埋めた場所については七ツ森だったり
堂庭山だったりと文献によって違っていたりします)

白藤観音堂は
腰から下の病気に霊験があるといわれています。

病気の時は、女性は「腰まき」、
男性は「もっこふんどし」を借りていき、
治ったら新しいものを2つ作って返すという風習があるそうです。

 


戦前までは毎日お参りの人が絶えず、
特に旧暦4月8日のお祭りは特に賑わい、
昭和20年代までは仙台市街や
遠く閖上からも参拝者が徒歩や荷馬車で訪れていたと。

「中風にならない神様」ともいわれていました
(『根白石 いずみのふるさと』より)。

 



たぶん、このルートは宇佐八幡宮へ行く道だね~。

 

 



いい所なんですよ~。


ハイヌウェレは、おそらく『田村草子』物語に
大和町の話しが書いてあったと思い、
あの眺めがいい大亀森のところ。

 

※左奥:泉ヶ岳、中央:笹倉山 右:七ツ森

七ツ森あたりで武将たちが北から南から
集まって大武丸をおいつめたのだったか、
鷹狩りだったか、そんな話しがあったはず。

なので、これもまた北上川周辺の七観音と同じく、
坂上田村麻呂と大武丸の舞台が泉に関わっていたので、
ハイヌウェレ伝承がもたらされたのかもしれません。

 

これら北上川の七観音伝承は、

山伏(和渕に住んでいた別当)らしいです。

 

貴船神を信仰するのもそうみたいです。

で、ここは七北田川のそばで、
泉ヶ岳の清水です。

 



灌漑用水の土地改良を称える碑。

さて、妄想がさく裂します。

■貴布禰神社------------------------

多賀城の時の夢のメッセージと同じ。
藤原の白と錨(いかり)
根の白石は逆だけど。

これが根の白石にもあり、繋がっていたことが驚きました。
しかも、馬のハイヌウェレだし。
関東から騎馬隊が開拓のためにやってきた姿が浮かびます。

海民のこともあり、
紀州から奥州に来た何者かが、
木の船で太平洋を航海して上陸し、
山民になったことを伝えたいようです。

太白号という名前の馬からして太白山の匂いがしますが、
そういえば、太白山の山頂にも貴船神社が祀られており、
京都の鞍馬寺の貴船であるとは言われる。

また、太白が「金星」の意味があり、
金星信仰が古くからあったとも言われ、
アイヌ人の神の山、巨人、蛇がたくさん住む山、
金星信仰、ウトウなどなど、とても伝説が多い山です。

五芒星の話しも多いのですが、
地球とよく似た金星がなぜ、美しいビーナスの象徴に
なっているのかは、黄金比が隠れているからです。

正五角形の角を結んでできる五芒星には黄金比が隠れています。

8周期なんですね。
地球と合わさる点を結ぶと、五芒星になることは有名です。

 



こちらの詳しくのってますので、参考に。
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/e060519.html

天白信仰のこともあると思いますが、
そうすると忌部につながります。
けど、ここではスルー。

 

■貴布禰神----------------------

白藤観音堂のそばに、貴布禰神社があり、
なんとま~、美しくて感動しました!

 

 



この貴布禰神社が、元は、利府から塩釜神社に
祀られていたものでした。

まさかね~。
その貴船さんに導かれるとは。

 



素晴らしい桜を見せて頂きました。

多賀城の復習になりますが、
塩釜神社では、


江戸時代に左右の一棟(塩釜神社)と並んで、
別々に貴船神社と、只州(ただす)の二柱が存在していたと。
泉区の賀茂神社がその塩釜神社にあったところから
移された糺神社になっている説。

 

 

移してばっかりで、わからん。

 



漢字の「貴布禰」がいいですね。

あなたの衣に禰をおろしましょう。

 

 

左:春日神 右:八幡宮

 

春日神は、タケミナカタの痕跡に祀ると思います。

 

 





■石棒のこと-------------------------------

さて、ここ泉の根白石は、アザマロもやってきてます。
多賀城を壊した人が、
泉にも来ているのは、なんでしょう?

「780年、アザマロの反乱の時、
鷲座、楯座、楯石沢、大菅屋、柳沢等の五道を封ぜよと命令。」


鷲倉神社下の長谷倉川!

川名もシンクロ。

 


 

昔の古道であり『多賀城を基地とした大和軍と原住民
(エミシ)の接点』
であるとのこと。


ああ、そうでした。

多賀城とつながってました。


鷲倉神社でも妄想してましたがね、
琴座のベガとか。

 


改めてよみかえすと、すごい話しをしてますな。(笑)

 

 

縄文時代の祭祀場だったかもしれず、

元あった鷲倉山というのが重要な気がします。(この後の石棒の話しで)

 



なぜ貴船なのかは、マロと結びつけているなら、
鞍馬山の毘沙門天のつもり?

貴船神と観音を祀るのは、
北上川に集中しているそうです。

北上川に神取山があり、そこも鹿島神です。
フツヌシを祀る説もある。

泉のほうは、鴇田一族がいました。
1439年奥州に下り、黒川氏につく。

宮床の宇和館城主となり、
元は家臣だったが、帰農して土着したと伝わる。

七ツ森散策してたかもね~ニヤニヤ

千葉一族と考えられていますから、相馬妙見で、
これも秩父妙見と同じっぽ。

児玉党との合戦で戦死したとされるが不明というので、
児玉は埼玉。
後に秩父に入り、白鳥氏を名乗る。

鴇田一族の氏神が諏訪神社であり、
鷲倉神社は山そのものをご神体とされている。


祭神がオオナムチとされたのは、天台宗の円仁と関係し、
入唐帰朝の時、船にあらわれた
摩多羅神(北斗七星or大黒天)が現れたからだと伝わる。


前回、のの岳のヌルデの話で、大六天が登場してました。
泉もありました。

鷲倉神社の他にオオナムチを祀る神社では、根白石の宇佐八幡宮。

兎口神社というのがあり、兎としているのは、
出雲の大国主に関係している。

神道では、大六天の面足尊、かしこね仙の夫婦神との説。

白藤観音堂は七北田川のそばにあります。
志波彦さんが転んだ川。

それで、石棒が登場。

泉は諏訪信仰が広まっており、
その信仰は「ミシャグチ」です。

いろいろ書いてましたので、割愛。

 

 

 


石棒ね~。
これが重要。

大和町のある七つ森一帯は、縄文聖地でした。
相当な面積をもつ森が広がっています。

鷲倉神社は北方警備の先端に祀られた神でもあり、
昔は雷神が遺失した太鼓のばちが、
御神体とする石器時代の石棒
であると。


御神体は自然石であり、
六面に仏像のような姿の紋様を浮きだしているそうだ。


この石を盗んだ人が、運びだそうとしたが、
だんだん石が重くなり東方の小野の部落で投げ出したという。

通報を受けた村人が迎えにいったが、普段は一人で持てる石が、
この時は、4人でやっと御堂まで運んだといい、
それは神の怒りにあったからといわれる。


石棒は、祭祀で使われます。

石の伝説は、根の白石にたくさんあります。
行くの忘れたけど、

白藤観音のある小角は、飯石明神社があり、
小石を借りて枕に置くと、
病気の子供が治ると言った話もあります。


これも飯石神社は島根県にあり、
出雲族の先祖に稲作技術を伝えるために、

今に残る石の上に降臨したからと伝わる。


青石の石棒が忌部の聖地、徳島で発掘され、
この青石は、結晶片岩製で緑泥石片岩。


緑泥石片岩は秩父帯がある長瀞が最も有名。

 

※世界的に珍しい貴重な紅簾石の露頭
(長瀞:ポットホール)

 

だいたい、秩父は岩盤がむき出してます。

通常、地下にあるものが、地上に出ちゃっている岩盤が多いのです。

 

鴇田氏ら諏訪信仰は、秩父も広がっているので、
石棒をご神体として「ミシャグチ」信仰が広まっています。

児玉氏も諏訪から小鹿野を通り、
荒川を下って秩父入りしていると思われ、
それは「三波帯」といい紀州にもつながる岩盤にある!

秩父と阿波がつながっているからですよ。
地層で。

茨城に上陸した忌部は、利根川を下り、
群馬県に入っているようで、
秩父は荒川を通って多氏や秦氏がきているようです。

阿波忌部は天皇家の大嘗祭などに関わってきた部民ですが、
出雲や讃岐などの部民が、律令制から陸奥へ大嘗祭を
浸透させるために、児玉氏ら関東武士団を筆頭にして、
泉の方にやってきているのだと思います。

で、この石棒がイナウのような役目に変わり、
フナトになっているみたいです。

サエ神のフナトです。
舟戸=フナトの神・・・白坂観音・白藤観音。
なぜか、「白」

今回も、白い石。

岩手県にある久那斗神社が、
男女神を祀っており、
意富斗能地神(おおとのじ)、
妹大斗乃弁神(おおとのべ)
で、トベらしいのですね。

 



■縄文聖地---------------------

やっぱり縄文の世界観があるのだと思います。

頭・胴体・足を分けて埋めるのは、
縄文土偶と同じです。

トベといわれた女性たちが、
縄文人の末裔であるとされる説もありますが、
詳細なところまでわかっていません。

 

白藤観音堂のそばにある千手観音

 



しかし、ハイヌウェレが東南アジアのほうから
もたらされ、南国にあったスンダランドは、
縄文時代以前の旧石器時代から
遠い海を航海して日本列島へ上陸していることがわかっています。

 



仙台の富沢遺跡も旧石器時代の痕跡がありますし、
三神峯公園の下にある縄文遺跡から
富沢まで歩いて狩猟をしていたと考えられると。

 

 

 

子を抱くマリア像

また足は「尾」であり、
遠野でも三分割した大蛇の「尾」は、
「大樽」といい、大垂=白龍といわれ、
水が垂れる意味があるという。


カカセオの漢字も、香香瀬尾で「尾」がある。
それが女性であるという説もあり、
瀬織津姫と同一とされる事もあって、
白龍が祓戸神とも言われる。

 

申供養


そう考えると、名取の樽水ダムは、
安部一族の話がありました。

「安部貞仁は星の御門の一族」という話を聞いたことがある。

遠野のはずれに安部一族がのがれた末裔がおり、
星の宮神社があるとな。

 

千手観音の森

で、共通するのは、鹿島。
カシマの東国征伐で北上し、
鹿島神社を建てている。

今も鹿島建設でしたか?
海側の被災した神社の再建をしているのは。

鹿島天足別神社(大亀森)
ここもマロの落馬説あり。

鹿島御児神社(石巻日和山)

同じ人が茨城から来て征服している。
上毛野氏、多氏、大伴氏ら。

征伐されたのは、大体、木を植えた伝説から、
土蜘蛛といわれた先住民か
イソタケルなどの紀の人たち?

上陸してから木の船を作るのに森へ行き来する。
後に山民となるが、船上生活をしていたかもしれない。

上陸できずにおり、しばらく時代がたつと、
戸籍がもてないので、そのような海の生活者(船上生活)の文化から、
被差別部落となったようです。

 

特に瀬戸内海がそうで、彼ら海民が関東~東北にきています。

そんなことで、いろいろありますが、
キリがないので、おしまい。

ちなみに、
タケミナカタは藤つるをもって戦い、モレヤ(鉄輪)に負けた。
伝説がありますね。

鬼は藤を嫌う。
青森県では、鬼は内。

原始的製鉄民ともいわれ、
植物から鉄に変わったこと。

また戻るのかもしれないね。

こんな美しい里をみたら、
もう十分ですな!

 



牧山に行った時にみた夢では、
天河弁財天と「マタギ犬」が登場していた。

老犬神社のシロ!

犬まで白。

言霊でいう犬の「イ」の事象とは、
(桃太郎でいうところの犬ね)

「人間精神進化の最終段階は言霊イ次元です。」

もう、ボサマやん!

はい、ミッション終了~。

結局、また根の白石で終わるのでした。

■おまけ---------------------------

ちょこっと七ツ森散歩してきたよ~。

 

 



で、すっころんだよ~。

 

 


こっちは金太郎だよ~。

「金太郎の道」・・・なぜ?

 



桃太郎とか金太郎とか。

熊でんなよっ。

 

 



鉢倉山まではいかなかったけど、
途中の山路まで。

長々とありがとうございました。

今度は海にいきたい。。。