春ですね~(3度目のさけび)
東北は桜満開で盛りあがってます。

 

 


改めて牧山をまとめるのが、大変なんですけど、
やっぱり、東北の古代史は面白いですね。

強かった水軍のワタツミが生き生きしてます。
が、荒いな~。
気性が荒いよ~。

 



話しを歴史に戻し・・・

零羊崎神社のある石巻に、真野とよばれていた地区があります。
『封内風土記 巻之13』の真野村の条では、
真野村にも零羊崎神社があることが記されている。

 



それによれば、真野の零羊崎神社にあった神輿を牧山に移したところ、
仏僧の姦計(悪だくみ)で
零羊崎神社の神号まで牧山に奪われたのだという。

零羊崎神社は2社あり、
真野と湊地区。

私が行った方は湊地区の方。
牧山の山頂にあります。

 



■真野にある零羊崎神社について-----------

真野の方では

ご祭神はこちら。

豊玉姫命
秋津彦命
速秋津姫命


ただし『平成巡拝記 延喜式内陸奥一百座』など、
豊玉姫命と倉稲魂命を祭神として紹介している文献も見られる。

名神大社比定を巡る議論があり、よくわかりません。
wikipediaからの情報ですが、

いつ勧請されたのか不明で、元は、白鳥神社であり
真野の鎮守として古来の零羊崎神社である
、と。

 



真野の方は「未(ひつじ)」の方角を向いているから、
こっちが正しいという論争も。

牧山の方も白山神社で、豊玉彦を祀っていること。

牧山大悲閣(観音堂)の記録では、
牧山こそが古の零羊崎神社の地と。

仏僧がその地を奪い零羊崎神社の名を隠して牧山観音とした。

互いの主張を譲らないみたいな・・・。
いろいろ揉めてますので、ここでは割愛とします。

 



ただね、いろいろ読んでみると(Wikiですけど)
関西の方から来ている栄存さんなので(大阪)
地域性もあると思いますけどねぇ。

かつては葛西氏の拠点でしたから、関東人ですよね。
関西人と関東人が東北でバトルしているようなもんで。

 



■真野の歌枕---------------------

真野の枕詞の和歌もあります。

「みちのくのまのの萱原遠けども
おもかげにして見ゆといふものを」

万葉集(巻30)笠女郎

内容:奥州の真野の萱原は遥かに遠いけども
面影になって見えるのに、
近くにいるあなたを恋い慕わない訳にはゆかない。

この歌は、笠女郎(かさのいらつめ)が
大伴家持に送ったラブレターと解釈される。

笠女郎は、笠金村の出身で、宮廷歌人だったそうです。

 

大伴家持さんは、後になって出てきます。

「真野」は枕詞でもよく使われているので、
あまり不思議ではない言葉ですが、
真野は高貴な人をさす言葉としても使われているのです。

松尾芭蕉の歌もあり

「袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、
はるかなる堤を行く」

 



※日和山の松尾芭蕉と曽良の像

歌枕「尾ぶち(の牧)」の地は、旧北上川の東岸にある海抜250mの霊山。
それが牧山のこと。

 

※おくのほそみちの碑

曽良事項日記で、
「尾駮(ぶち)御牧。石ノ巻ノ向牧山ト云山有。ソノ下也」とある。

「おくのほそ道」に書かれた「まのゝ萱はら」は
この萱原地区とされているそうです。

当地の長谷寺(ちょうこくじ)参道入口に、
真野萱原伝説地」の文字と、


藤原定家の「露わけむ秋の朝気は遠からで
都は幾日まのの葦原」の歌を記す。
木製の標柱が建てられている。

長谷寺(石巻)
https://www.sukima.com/16_hanamaki01_05/01choukoku.html

牧山は素晴らしい植生のある山なので、
また機会があれば、お伝えします。

■牧山の零羊崎神社------------

真野の方は行ったことがないのですが、
あまり知られていないと思います。

牧山は登山ができ公園などもあり、
石巻のいこいの場でもあるため、こちらの方が
多くの人が訪れると思います。

 



創建年代は不詳。
安永元年(1772年)の『封内風土記 巻之13』では、
応神天皇の勅によって西国から湊邑竜巻島(現在の牧山)に
鎮座したと述べている。


由緒書によれば、応神天皇2年に、
神功皇后の勅願により「涸満瓊別神(ひみつにさけのかみ)
という神名を賜り、東奥鎮護の神として
牡鹿郡龍巻山に祀られた
と伝わる。


ひみつにさけ→ひつじさきと転訛したそうだ。

 

※1814年の宝筐塔

涸満瓊別神は、青島神社(宮崎の日向)と関係している?

海積神社があり、

御祭神名
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

 

 

ホホデミさん、かっけー。

青島神社は彦火火出見命が海積宮からご還幸された
御宮居の跡といたしまして
「彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神」の
三神をおまつりいたしております。

 


潮涸瓊(しおひるたま)・潮干珠(しおふるたま)のことで、
神代にあったという神宝の一つ。
潮をひかせる効力をもつ玉。
干珠(かんじゅ)。⇔潮満瓊(しおみつたま)


※コトバンクより

海幸彦、山幸彦です。

 



青島神社、すごい。。。

神社名の「零羊崎(ひつじさき)」は
涸満瓊別神にちなむもので、
龍巻山は龍の字が取り除かれて「牧山」と呼ばれるようになった。

といった説もあり。

九州のルーツが太平洋側にもあり、
茨城県に上陸して鹿島神が征服してきてます。

なので、悪路王の伝説が伝わるのですね。

 

 

 

他にも道祖神があり、

 

 

 

三吉神社もあります。

 



牧山の零羊崎神社は、室町時代と伝える。
坂上田村麻呂と悪玉御前の木像が祀られています。

(画像下)

 

※岩手大陸より


牧山観音が坂上田村麻呂によって建立されたとする
資料は1698年『雄鹿郡萬御改書上』で、
湊町の牧山観音堂の項に「延暦十七年田村麻呂御建立此由・・・」
と、あるのが最初だそうです。

 

(征夷将軍田村麻呂供養碑)

マロと悪玉姫をセットにしているのは、
 大武丸(魔鬼女や悪路王など)と言われた鬼退治には、
静御前や立烏帽子などと呼ばれた女性の力を利用し、
その助力により退治できたことを記す為だと考えられます。

(田村草子による)

 


大陸と同じ思想なのですが、
中国では将軍のそばに天女という天文学、占星術などの

知識ある人を置き、戦勝占いさせていたのは、
一般的だったので、そのことを模していると思います。

それにかつては、人対人ではなく、
互いに祀る神どうしを戦わせていた時代です。

由縁にある延暦17年は、782年~806年。
784年に、平城京から長岡京に都を遷都した年。

 

比叡山延暦寺が長岡京の鬼門として建てられています。

桓武天皇は、逢坂峠からくる夷(ばん)賊を恐れていたそうですが、

秦氏関連の場所だったかも。

長岡は、大陸から戻ってきた帰化人と桓武天皇の関係が強く、
藤原種継の勢力が強かったようです。
他の勢力は排除した強引さがみられ、
難波勢力を有利にしていた。

おそらく、牧山に祀られている栄存法印もその土地の出身者であることから、
天皇家の反対対勢力などによる派閥はあったと思います。
その歴史をずっと根にもっている人も多かった?

桓武天皇は、仏教や貴族に対して距離を置いていたとも言うので。

牧山論争の発端がこの桓武天皇の遷都に
あたるならば、桓武天皇側についた渡来人の勢力が強く、
元あった宗教が迫害された可能性があり。

難波のもめごとを、陸奥の牧山や真野にも、
影響を及ぼしたかもしれませんね。

それに・・・藤原種継は暗殺されており、
その疑いをかけられたのが、大伴家持なんですよね。
官籍から除名されており、流罪となった人は複数います。

 

※大伴家持

だから~、枕詞にある「真野」の歌をうたった笠女郎は、
その大伴家持のことを想っているわけですよね。

真野の地に流されたのかな?
そんな運命を強いられてしまった大伴家持さん。

叶わぬ恋→恋人は流罪となった・・・

なんか~大伴家持は、藤原仲麻呂の時も
暗殺計画をもちかけたとかあるので、

そーいう気性の荒い人だったんかな。
こう読むと、藤原家って嫌われてたんだな・・・。

牧山の零羊崎神社は、

「『石巻市史 第2巻』によれば、当社は藤原清衡より神宝黄金の竜、
葛西清重より銀竜や神剣など、

葛西清経と葛西清宗からは太刀を寄進されており、
中世において代々領主の崇敬が篤かったことがうかがわれる。


という事なので、相当なワタツミの女神だったと思います。

神功皇后な気もするけどー。

ところで、牧山には度々登場する栄存さん。
牧山に鎮座する栄存神社の由縁と伝説は書いておきたい。
ちょっと長いので次にします。