春です~(2度目のさけび)


ところで、以前からいろいろ書いている
牧山の魔鬼女(マキメ)の話しですが、
まとめてみようと思いました。

あまりにも分散しすぎて後で読み返そうとしても、
わからないですね~。

最近、熟睡できて快眠でしたが、
この前、変な夢をみた。

長谷の十一面観音」の観音巡りをしている。
御堂はそんなに大きくないですが、
富山観音と似てます。

「長谷だ!」という事を誰かが強調したいらしい。

※大和国長谷寺
https://www.hasedera.or.jp/history/statue.html

知り合いも夢に出てきて、
長谷寺の観音の話しをしていたら、
知人が、ああ!って驚いて何かを持ってきた。

上海のお寺の写真つきの箱をみせる。
お土産?か何か。
「これをみて」と、言うのよ。

よく見ると文字が書かれている
妙音講」と書いてあった・・・

妙音講とは、

盲目の女旅芸人「瞽女(ごぜおんな)」は年に一度だけ
仲間の元に帰ってきました。
そして瞽女達を守っていると信じていた
弁天様の祭りに本尊の前で師匠共々唄を披露し、
腕を競い合いました。
それが妙音講です。

瞽女たちが芸の守り本尊をお祭りする集会を「妙音講」といいます。

 

 


その後の夢では、
知らない坊さんが「ユリ」「ユリ」って2回言って
何か物をもっていたなあ。

ユリは「百合」の漢字の方。

てなことで、内容がもうイタコだから、
夢の世界では、健在です。

そんな楽しいわけではないけど、なんかよく働く人たち。

いつも夢では、助けてもらってます。
数字とか地図とかも出てきたけど、
現実に戻るとしっかり忘れる。
いつものこと。

ということなので、あまり旭神子とは関係ないが、
エミシの女たちを、ちまちまと書いてみる。

魔鬼女(まきめ)の伝説を知ったのは、坂上田村麻呂が、
無夷山箟峯寺に追いつめた女首長の
頭・胴体・足の3か所に埋めたハイヌベレ伝説からです。
(詳細は後で)

魔鬼女は、牧山に居住していた?話しになっていますが、
地元の話しでは、蝦夷が住んでいた所で、
夫が殺害されたのを妻が朝廷側と戦ったという話しもあります。

まるでトベなんですね。

■蝦夷の分類---------------------

その前に、蝦夷とは何か?
いろいろあって答えはないのですが、
ざっくりとこんな感じです。

①海道の蝦夷
②山路の蝦夷
③田の蝦夷

の3つに分けられるとの事。

まあ、東北に住んでいる人という事なんでしょうか。

①はそのまんま、ワタツミで船をもった水軍。
熊野水軍はこっち。

鹿島・海・湖・沼・高床敷倉庫、市場がキーワード。
茨城県から下総国、阿武隈~陸奥国南まで占拠し、
浜を街道する繋がりがあります。

②は、牛馬を飼う牧畜と農業です。
オシラサマ信仰はこっち。

4~5世紀頃から上野(北関東)・信濃を中心として、
北上してきた。
焼畑・家畜・マタギなどがキーワード

③は、雷のこと。
いきなり抽象的ですが、雷神は北関東に非常に多い。
雷神信仰は、北上し東北へ広がる。
この意味は「田」だそう。

だから雷神山古墳は、タタラ王だ。

玉田・太田・大野田・などの「田」の地名は
タタラ製鉄にも関係する。
諏訪や新羅系はこっちらしい。

さて、牧山はどっちにあたるか?
②の方です。

牧は「マギ」とよばれ、遊牧民の言葉だったという。
牧場の方だと思われます。
真山も遊牧民の意味があるそうですが、
何の資料だったか忘れたので詳細不明・・・

■ハイヌベレ神話と田植え--------------------

伝説では坂上田村麻呂が退治し、
鬼の体を分けて埋葬したという。

 

牧山:零羊崎神社

「今から約千年前、東北地方には、
天皇を中心とした中央政権には従わない
蝦夷とよばれる人々が住んでいました。

桓武天皇は、彼らを制圧する為に、
坂上田村麻呂を陸奥鎮守将軍に任命し、
東北地方に派遣しました。

ここ石巻地方には魔鬼(まき)一族がおり、
激しく抵抗して政府軍を苦しめましたが、
田村麻呂は、彼らの族長の妻であった魔鬼女
(まきめ=呼び名は確定していない)を倒し、
ようやく平定することが
できたと伝えられています。

そしてこの魔鬼女の供養と、東北地方の平和を
願って田村麻呂の建てたのがここの
魔鬼山寺であると言い伝えられています。」

 


※マロさんのページ
https://maro407080.exblog.jp/19522985/


松島にある富山に大竹丸箟岳には高丸
石巻の牧山には魔鬼女(まきめ)と伝わる。

 



エミシの大武丸軍団です?
それらを統括する女の長がいたと想像。

この話しは、奥州三観音のことで、
加えて、水越の長谷、鱒渕の馬頭、小迫、大岳の4つの
観音を含めて「奥州七観音」としている。

 

その中でも本尊が牧山の千手観音。

 



だいたいの場所を青い点で記してみました。
場所が不明なので、
伝承になった地名の場所に置いてみますと、

北斗七星と似てなくもない・・・かな~

首、胴、手足の三か所に分けられたトベは、
神武東征の時『日本書紀』にたった一行だけ書かれていること。

『六月の乙末の朔(ついたち)丁巳に軍、名草邑に至る。
則ち名草戸畔といふ者を謀す(ころす)。
戸畔、此をば妬?(とべ)と云ふ』


漢字が変換されない。。。

難しい漢字の「べ」ですが、
「鼓」と「卑」の漢字です。

日本書紀は、海外向けの要人に書かれた書物です。
あえて伝えた意味とはなんでしょう?


食物起源のあるハイヌヴェレ神話は、インドネシアの女神にさかのぼり、
亡くなった神(女神)の死体から作物が生まれたことに由来する。

なかひらまいさんの『名草戸畔』によれば、

ハイヌベレ神話は、「田植え」に関係し、
各地に「嫁殺し田」という話しがある。

「姑が嫁に一日で田植えを全部すませるように命令した。
嫁は必死で田植えをするが、あともう少しというところで、
日が暮れてしまった。

すると気を落としてそのまま死んでしまった。
その後、その田から水が湧きだして池となり、
どんな日照りでも干上がることがなかったという」


古代では、実際、このような儀礼があったかもしれない、と。
田植えの時に女が非業の死を遂げると、
結果的に「人身御供」となり、田の豊穣が保証されるという物語。

古来は、焼畑だったので水田になると、
稲作の変化を死として終わりを遂げたことにしているかも。

実際、人柱的なことがあったわけではないと思い、

(すべてがそうであるとは言えない)
病気などで亡くなった場合、
死と再生を結びつけたとも言えます。

■卑弥呼もハイヌベレ--------------

もうひとつ、興味深い話しですが、
ずっと前に図書館で借りた本『邪馬薹国への道標』
という難しい「とんぽう書」があり、
隠居する遁法というもので、鎌倉時代にあったらしい。

漢字を崩して並び方を変えると
全く違う読み方になるといったことで、
互いに鍵となる暗号を教えて
他の人には読まれない方法。

スパイなんかがよくやりそうな。

例えば、ローマ人が日本にきて、
倭人にばれないように?ローマ人どうしが
暗号をもちあい、全く違う漢字の読み方をして、
伝えていたのでは?といった妄想をしてしまう。

(日本人同志でもやってましたが)

例:多賀城を逆さに読んで「城賀多」=「きよお」と読ます。
きよお=京=鏡(きょう)とか。

馬戸也島(ういなし)=ビーナス。
馬がいる島?

その中で、卑弥呼はどうだったかの説明が面白い。
おそらく、ローマ人は、
卑弥呼をこんな風に読んでいたのでは?

卑弥呼=「FE」「MA」「CO」=ヒマカ→ヒミコ

FE=feces=大便、排泄
MA=manure=肥やし
Come=やってくる。接近する

Comeの繋がりがわからんけど、
という事は、卑弥呼もトベと同じく、
排泄物を肥しにして作物を与えて実らすから
「卑弥呼」となったということで解釈されているようだ。

肥は実を結ぶ=ヒミカであるといったことが
この本に書かれてました。

なので、
トベの漢字に、「卑」が含まれている意味は、
排泄物などの汚物に対して使われた為、
身分が低い意味にもたれたのでは?

そのルーツに、豊饒の意味をもつハイヌウェレが
あったならば、興味深い伝説です。

■魔鬼女の伝説はいつから?----------

同じハイヌベレ伝承がある魔鬼女は、1774年
『田村将軍様奥州奥州七ヶ所観音御建立由来之事』
という古文書から。

簡単に内容を言いますと、


桓武天皇の時代、大武と言う鬼がおり、
伊勢の国、鈴鹿山に登り坂上田村丸(麻呂じゃない)
が征夷将軍の名を給わり鬼を退治するよう命令され、
鈴鹿山で合戦する。

鬼神は奥州へ逃れ、身を隠して大岳の観音となる。
田村丸は奥州へ向かい、太刀にて大武丸の首をはね、
埋めたその所に観音堂を建てる。
今の大岳観音。

 

※大嶽山観音堂

 

 



また、むくろ(体)は篦岳(ののだけ)に埋め、
叉はその上に観音を建立。

 



叉、鬼神となった大武丸は、湊の牧山水越の長谷、
小迫~(省略)の七ヶ所に観音を建立する。


 

富山観音堂

 


この建立由来は『田村草子』と『田村三代記』に
影響を受けたとされる。

『長谷寺縁起』(鱒渕)によれば、
1612年、大和の長谷寺からやってきた住職が
初瀬の霊験記の書物をみた際に、

百姓たちの語る物語に違いがなく、
霊験記に記す内容とほぼ一致していたという。


奥州と大和と遠く隔たりが相合うことが不思議としていると。

北上川の下流域では、奥浄瑠璃や御御伽草子の
影響を受けながらも『長谷寺験記』が大きな役割を
渡していた
そうです。

奥浄瑠璃や御伽草子などは、巫女や盲人によって
担われてきた
もので、

それに対し、長谷寺験記』は大和国の長谷寺の
人たちによってもたらされた
そうです。

 

なるほど~。

夢のメッセージはこのことでしたかっ!

長谷寺と盲巫があわさっている!

つまり、三観音とは、長谷の十一面観音がルーツなのです。

ですから、巫女や盲人が伝えてきたのは、
やはり芸術ですから、語り部も芸術になります。

 

それは、「伝授」する意味でもあり、

互いの「能力を伝授する」目的があったと思います。

 

のの岳山から大崎平野

名取老女物語もこの部類に入るから、
大和朝廷と陸奥との隔たりがなく、ほぼ一致した形で
伝承されていることが、魔鬼女=大武丸と同じと言えるでしょう。

大武丸は男か?と問われれば、
私は女だと思い「夫婦」の結束が強かったと思います。

母系の名残ですね。

 

石巻の湊地区

時代を越えても語る必要がある物語はあります。
語り部は、永遠なんです。

名取老女、あこや姫、小手姫、魔鬼女などなど。
奥州の巫女たちの願いなんだと思い、
こんなご時世だからこそ、

何かを繋いでいるのかもしれません。

それは、ちゃんと受け止めてあげたいのです。

仕事だって新しい人に「引き継ぎ」するでしょ?

もう少し、まとめま~す。

■おまけ-------------------------

 

名取の春。

熊野神社新宮の裏手

 

 

 

 

うっすらと太白山。

この日は黄砂が強かった~。

熊野神社新宮の桜で~す。