今度は、山神社の歴史についてちょっと補足。

 

 

由来の「雲南大権現」が気になりました。

 



①宇賀が転じた説(五葉山)
②島根県の雲南地方説
③登米の雲南神社の説

 



すべてあてはまりそうですけど、
特に①が気になる。

えー、もしかして~、
前回書いた固い鏡の話しで、(日月堂)
なんとなく、ヒヒイロカネとか思ったけど、

五葉山は、ヒヒイロカネ伝説の山だよ~。
オリハルコン。(幻の金)
アトランティスっぽい。

 

それにその話しは、蔵王の刈田嶺神社の狛犬と似ていた。

これってずっと繋がっていること?

 

秦氏はオリハルコンを目指していた感があるね~。

ヒヒイロカネは銅が必要だったらしく、

石灰石も含め、鉱物資源のことを昔は「カネ」と言ったそうだ。

 

資源はカネになるからね~・・・

 

九州福岡の香春岳、滋賀県の藤原岳、秩父の武甲山。

この3山が共通するのは、秦氏(新羅)が拠点としていた石灰石の山で、

銅も発掘されており、すべてはセメント会社で破壊されています。

さて、気仙沼に五葉山があり、五葉権現の本地仏が、
阿弥陀如来とされます。

 



その五葉山に、
山王権現の神を分霊して鷹生の地に祭り、
里宮遥拝殿として雲南神社(五葉損宇賀神社)
建立して鎮座したとあります。


しかし、昔は、雲南は宇賀の転じたものであるとの事。
雲南林御山(みやま)権現とも呼ばれたそうです。

※いわてデジタルエコミュージアム
http://www.aiina.jp/environment/digieco/eco_spot/museum07/no.63/pic_01.html


あ~そうか、

正月明けにみた陰陽師の夢と続いていて、

金きらきんの仏像は、五葉山の阿弥陀如来をみたのかもしれない。


御山とは、山そのものを神格化した場合に使うので、
深山も「御」の意味があって「みやま」としたかもしれません。

次の②は、そのまま地名から。
柴田町~南は、八雲神社が多いため。

③については、登米の雲南神社が賀茂別雷神なのです。

「後光厳天皇延文2年(1357、南北朝)3月12日
京都上賀茂神を勧請するとことにして
元禄2年領主伊達長門守基永礼拝殿を
修営再興同家累代の崇敬社である。」


とあるので、京都の上賀茂神が登米にあったという謎。

 


上賀茂神社付近は、「賀茂家の治水聖地」と言われ、
山神社の由来にある京都の葛野(かどの)が三輪系氏族
拠点にしていた所
なんだそうです。

う~ん、直接、深山と関係しているのか不明ですが、

賀茂家なら、シンクロすることは多いです。


京都の賀茂は、秦氏の他、鴨(賀茂)家が君臨していた所なので、
その僧侶というのは、陰陽師ができた賀茂家の系譜では?

 

深山の近くに道祖神がありますが、

藤原実方のお墓は、その下にあります。

 

藤原実方は、上賀茂神社に関係しており、

「藤中将」と言われていたそうです。

 

深山の麓、名取方面にある不動尊の伝説も、

「中将姫」の話しになっているんですね。

 

これは、藤原実方のことを後世、

伝えているものかもしれない。

賀茂家の陰陽師がどんな思想だったかわかりませんが、
五芒星は「剋」だから、強すぎることもあるらしい。

後で柴田町を歩いてわかりました。
次に書いておきます。

タタラ場があった深山~名取高舘山を考えれば、
山にある鉱物資源を水に流していたら、汚染されますね。

水を浄化する技術をもっていたのも、陰陽師だったかもしれない。
水の祈祷=浄化ですよね。

なので、千貫・深山は、たくさん不動尊を祀っています。

 

 

それに、藤原実方は、砂金だけではなく「塩」の交易も。

 陸奥国の現状を把握する必要があった為とされます。

 

 

現在の39号線が塩の道です。

そこに藤原実方伝承が多いのは、そのためです。

 

 

家紋があったのですが、「丸に橘」

古くは、奈良時代、県犬養三千代という女性が、

その時代の女帝に「橘」の姓を授かったことから始まります。

 

橘氏には「葛城王=橘諸兄」が系譜としてあり、

藤原不比等の子=仲麻呂と反乱を起し、陸奥へ逃れているので

関係しているかもしれません。

 

金剛山の吉野派がこちらに来ている可能性もあると思います。

■岩手にあった三輪系氏の山---------------

ところで、「真昼岳」という標高の高い山が
岩手・秋田の県境にあります。

 



古くから信仰の対象として真昼山大権現社(三輪神社)が設けられ、
中世には周辺の小野寺氏や本堂氏の氏神ともなっていた
と。

 山名は伝説の坂上田村麻呂が東征の折、
昼頃に山頂についたからとされている。
山頂の三輪神社はその時将軍が建立したものという。


へ~。
三輪信仰が岩手県にあるとは。

この山には怪異の話が残されているという事なんですが。
民話は割愛。

三輪神社は、鬼退治のような話しでこの山にいた賊を退治したと。

 


深山も鬼石で鬼ですから、
なんとなく鬼繋がりで陰陽師が関係している気がします。

ちなみに、三輪一族とは、スサノオを祖とする
神武天皇の東征前の人達で、出雲勢力を確立してきた人々
とされます。


確かに、宮城県南は、出雲の痕跡あり、
三輪一族あり、老女を導いたヤタガラス伝承あり、
それ以前に活動していた賀茂家もいたと思います。

箕輪の地名とか。
今熊野神社あたりですが、
高舘山も古い古墳があるというし。

日本海にはすでに出羽の羽黒(葉山)の修験がおり、
太平洋側には、すでに三輪一族がいた?

後から紀州の熊野がきたのは、ヤタガラス(天孫系)が導いたことで、
それは、三輪一族がいたからでしょう。

役小角も三輪系といわれます。
賀茂一族とも言われ、吉野派は、
古くに日本海に来ていましたが、

出羽の修験者に追いだされたという
「行者返し」の名が、月山に刻まれる。

 



役小角は、蔵王権現ですよね。
そのため、蔵王周辺を散策すると、自然とこのような
シンクロが繋がるのも、わかる気がします。

そんなことで、深山(みやま)にはまるのは、
隠された歴史があるからに決まっている!

でも、深山は行っても何もないんですけど、
そんな何もない所に、魅力を感じてます。

もうひとつ、目的としていた所があったのですが、
違う道を行ってしまったので、
たどりつけませんでした。

 

 

この看板をみて深山の道を進んでしまったが、

葉に隠れてみてなかったけど、下を降りると瀧澤不動尊に繋がってました。

(私はせっかちだからちゃんと見ない)

 

 

このお不動さんが
どうしても気になったので、
再び、柴田町をあるくことにしました。

これが面白かった!!

 

ちなみに、山神社由来の延命水がどこなのかわからず。

小野さんから写真を頂きました。

 



まだつづく~。