先日、梁川の浅間神社へ行ってきました。
地震の後です。

 


 

 



梁川→白石→梁川という流れ。

「浅間神社」は東北には、あまりない。
関東は富士講は多いので、浅間神社は多いですが、
東北では今のとこ、
富士講の石碑だけしか見た事ないです。

 



※秋保にあった富士山

右:富士山 中央:天照皇太神宮 
左:大峯山 

 

※梁川八幡神社

Aさんも、以前から富士山が気になるといっていて。
コロナで入山規制したことで、
富士山が活発になっている感があるとか。

 

それで、ここの浅間神社を見つけたと。

 



パワーがみなぎっているという感じは、
ようやく富士山が富士山らしくなったのではないかな?

そう思っていたら、富士山で火災があったよね。
人が入らなくなると、何か起こるのですね…。

奇妙なことが、いろいろあります。

 

そうそう、1月に梁川八幡神社にお参りした時、

鈴を鳴らした直後、突然、後ろで大きな音でサイレンが鳴ったんです。

境内でなったから、びっくりして、みんな、固まった・・・

 

一人が時計をみて、あ、12時と。

12時ちょうどだったので、そのサイレンだった事がわかり。

 

警告みたいな感じがしたんですがね・・・

(いつも参拝時間はぴったり12時が多い)

■浅間神社の由来-----------------------

 



鎮座地:伊達郡梁川町字鶴ヶ岡63
祭神:木花開耶姫命
祭礼日:4月20日(春)旧6月1日(夏)

 



1683年の棟礼によれば、
本神社は、伊達氏の祖「伊達朝宗公」の創建である。

 

 



1185年~90年?
朝宗公が鶴ヶ岡に梁川城を築いたとき、
城中の池の龍頭に宮社を建て、
城中鎮護の神として富士権現を祀った。


富士権現は浅間神社の旧称である。

 



江戸時代になると本神社は、蒲生氏、
上杉氏などの領主に庇護されてきたが、
1656年に梁川城代須田秀満、また天和三年には
山田喜右衛門が社殿を修営している。(以下省略)

 



学校のすぐそばにありますが、
明治時代に本丸は町の公園になっていたんだけど、
小学校ができたので地域の人々からは、
学校の神社として崇敬されてきたそうです。

 



城が公園になり、学校の守り神となっている今、
良い形になっていますよね。

ここは、伊達家の発祥地です。

 

 

なぜ、ヶ岡というのか?

わかりませんが、

鶴と亀が繋がってた・・・

 

岡八幡宮は伊達氏の氏神。

奥州伊達氏の祖である伊達朝宗が、

陸奥国伊達郡の地に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したことに始まるとの事。

 

鶴は、五芒星。

亀は、六芒星。と、よく言われます。

 

やっぱ、仙台の結界が関係しているのかな~。。。

※以前、五芒星の夢をみて(陰陽師の祈祷ができるという夢)

知人が、地震前に仙台城周辺界隈を巡っていた事実を知り、

ちょっと衝撃というか、ある人にはそう受け取るのだな~、

と思ったことです。

 

いかに、人は霊的存在か、

知らされた事でした。

 

で、伊達氏は、伊達→米沢→仙台と移して、

現在の伊達政宗が守る仙台の街が完成してます。

 

※こちらを参考にしました。↑

 

朝宗公がいたのは、高子岡だったのですね。

以前、いったことがありました。

高子二十境があるのでね。

 

※城跡は、亀岡八幡宮の上にあります。

 

 

仙台藩初代伊達氏を名乗った伊達朝宗(ともむね)は、

中村入道念西といい、
奥州合戦で手柄を立てたということで、
源頼朝より伊達郡の地を与えられ、

伊佐あるいは中村に変わり伊達朝宗(ともむね)を名乗ったとされる。

 


■源頼朝が影にいる-------------------------

「伊達朝宗の娘が、
源頼朝の側室・大進局(僧貞暁の母)として知られた女性があるとの事。

源為義およびその孫・頼朝と縁戚関係にあるため、
「朝」の字は頼朝(またはその父で叔父にあたる源義朝)から受けたもの。

また息子の名前の「為」の字も為義に由来するものと考えられるが確証はない。」

との事。

下野国芳賀郡中村荘に住し中村八幡宮に築いて、
中村荘を管理していた。
関東から来ているのですね。

国見は、梁川の隣町になっていますけど、
このあたりは、奥州合戦の地でした。

 



源頼朝の存在が、けっこう、大きいのですよ。
東北ではあまり人気がない武将ですが、
関東ではカリスマ性をもっているようで、
ファンは多いです。

 



ところで、なぜ、富士山なのか
わからないのですが、
かぐや姫のことがありました。

 



次に書いておきます。