今回の白石ではお寺巡りをしてきました。
というのも、主人がお寺好きなので、
どんなお寺なのかよくわからず、
ついていった感じです。
興味深いお寺がありましたよ~。
■法隆寺から分霊した聖徳太子--------
専念寺というお寺にいってみました。
「聖徳太子堂」とあり、
太子講は多いですが、「ご開帳」と書かれた紙が表に。
ただ、ぼ~んやりしていてあまり情報をみておらず。笑
どうも、12日(金)に聖徳太子堂のご開帳があったみたいです。
行った日の前日。
後で調べてわかりました。
「令和3年2月12日(金) 旧暦元旦。
聖徳太子の御誕生日に、
法隆寺よりお迎えしたお太子さまの御開帳を致します。
午前10時より午後5時までの予定です。
本年は「聖徳太子1400回忌」になります。」
※Facebookから
ほ~。
今年は、聖徳太子の祭みたいだ。
<専念寺の由来>
宮城県白石市中町53
「城下町の形成期に深く関わっている白石旧町内中町に、
片倉家にゆかりの寺「専念寺」があります。
浄土真宗本願寺派で開基は慶長7年(1602)。
初代景綱公に重用され、七世の頃まで片倉家より
2貫文の禄を受けていたといわれます。
境内にある「太子堂」には
法隆寺の「国宝 聖徳太子像」の御分身が祀られ、
大晦日と旧暦元旦・10月11日の年3回の御開帳には
多くの参拝者が訪れます。
専念寺は、江戸時代に市内(現・大鷹沢)の
八枚田で志賀団七に斬られたという与太郎とまち(宮城野)・
その(信夫)親子にまつわる『白石噺』ゆかりの寺。
この“仇討ち”を題材に、浄瑠璃や歌舞伎の演目として
人気を博した『碁太平記白石噺』の様子が、
専念寺所有の貴重な「錦絵」からうかがい知ることができます。」
あ~、聞いたことあります。
かたき討ちの話し。
実話だったら、ひどい話しですよ。
あやまって水をかけてしまった事で、
怒った代官が、その父親を斬ってしまうのです。
そんな時代があったのかな~。
昔はそうだったかもしれないよね~。
ならば、倍返し!!
そのお寺だったのですね。。。
■推古地震---------------------------
さて、地震が・・・
最古の地震記録は、
貞観地震だと思ってました。
聖徳太子の時代、
記録されている最古の「推古地震」があったのですね。
『日本書紀』推古天皇7年4月27日
(ユリウス暦599年5月26日、グレゴリオ暦5月28日)の
条項に被害地震の記述が登場する。
地震が発生し建造物が悉く倒壊した。
四方に命じて地震の神を祭らせたという。
聖徳太子の伝記によれば、
太子が地震を予測して建物の補強を促し、
地震後は税の免除を建言したと伝わる。
『日本書紀』巻第二十二
推古天皇七年夏四月乙未朔辛酉。
地動。舎屋悉破。則令四方、俾祭地震神。
聖徳太子が、地震予測をしていたような話し。
四方にどんな地震の神を祀ったかといえば、
「ないの神」=鳴るなゐ
ええ、そうですよ。
1月に行ってた鳴子の由来がそれ。
聖徳太子は、地震予測していたとか、
天文学者だったり、けっこう、マニアック・・・な。
鹿島の要石もそうなのですが、
野の神とは、
春から秋にかけて山から下って田(野)の神となる。
山の神は豊穣をもたらす農耕の神として
野の神と山の神はセットに祀るそうです。
古代では地震を「なゐふり」と呼び、
スクナヒコの「ナ」
オオナムチの「ナ」がそれに当たる。
東北地方は、火山帯が多いため、
地震が非常に多い所です。
推古地震の規模は、かなり大きかったのでは?
『則令四方』とは、専門家の説ですと、
「四方をして地震の神を祭らしめた位であるから、
そう狭小な範囲の地震ではなかったであろう。」
との事。
さて、そんな聖徳太子なのですが、
法隆寺がざわざわしているのですね。
2021年4月27日~6月20日まで
奈良国立博物館で法隆寺展。
夏に東京で。
聖徳太子は飛鳥時代の622年2月22日に亡くなったとされる。
没後1400年目の今回は、旧暦の2月22日が
4月3日にあたることから日程を決めたという。
■星王山妙見寺----------------------------
もうひとつ。
専念寺の近くにあった妙見寺へ。
<由来>
宮城県白石市柳町16
安政6年(1859年)、「柳島の妙見さま」として
崇拝される日蓮宗の柳島妙見山の玄収院日明上人を開祖として開山した
「星王山妙見寺」は、江戸時代後期、
城下町の形成に寄与した白石の名家上西甚蔵の功績によって
開かれた柳町にあります。
仙台藩主伊達公が参勤交代の途中で通りがかった際、
町が発展する様子に喜んだといい、
柳町の歴史と共に、人々に寄り添う寺院として親しまれてきました。
境内には柳町の鎮守である「妙見尊天」が祀られる
「妙見堂」をはじめ、日夜参拝者が絶えることなく訪れたという
「熊谷稲荷」などがあります。
妙見寺は「奥の細道三十三霊場第25番」
の寺院としても知られています。」
妙見信仰は、北辰・北斗七星と言われますが、
シバ神の破壊神と同じと見られている。
地震が多い地域に妙見さんを置いているような…。
とにかく、妙見さんは再生する為なのか、
気づきかせるためなのか、壊すみたいです。
妙見信仰は、熊本県の八代が起源です。
それが、ウロボロスで。
ウロボロスは深い意味があるのです。
自分の尾を食べているのは、
自分の悪いもの、というか、不要なものを
食べてしまい(吸収)新しい物に変えてしまうのだそう。
陰陽、天と地、男女というように、
異なる2つのものを一つにする働きがあり、
蛇は手足がないので、移動せず、
ずっとそこに留まり、
ぐるぐる回転しているものだという。
再生=破壊。
が、ぐるぐるしている。=コマ
同一に発生しているのです。
すごいね。
ちゃんと示してくれてますね。
だから、受け入れてしまえば、
何も問題はないのです。
新しく変身できるのだから、
あらゆる情報を、そんなに毛嫌いする事はない。
見事に双龍が宝珠をもっている彫刻が。
で、ウロボロスは、二匹の龍のパターンもあり。
主に西洋ではそれが見られます。
(三龍でした)
なんだか、ずっとギリシャなんだな。
いろいろとあるのですが、
書ききれない・・・。
ところで、白石に行ったのは・・・
講談師六代目神田伯山 独演会!
だったのよ。
主人がファンで。
私も一度、聞いてみたかったんだ~。
やっぱ、神田伯山さんはすごいです。
生身の語りを聞けることは、
とても良い刺激になりました。
文章と語りでは、全く違いますから。
講談師の「こ」の字も知らない私でも、
神田伯山の話しを聞くと、面白い!と。
そうなります。
(ラジオはえげつないが)
声の張りと、上手な間の取り方。
長い演目は、1時間くらいかかるので、
寝てしまうだろう・・・と思ったけど、
寝なかった!(普通そうだよ)
そのくらい引き込まれます。
歴史上の人物の人情語りなので、
歴史が好きな人は、ハマると思います。
そんな白石だったのですが、
他にも巡ってきた所がありますがね、
とっても充実して満足した白石だったもので。
帰ってきて夜に、どかーーんときたから、
も~
なんて日だっ!!
はい、おしまい。
な、わけがない。
そーいや、白石と根の白石(泉)のことで、
いろいろ妄想してました。
早池峰とか鷲倉神社のこととか。
マコモも。
あれもカカセオの星神のことだった。
七ツ森ね。
白石と泉の根の白石には、
地下でつながっているという石伝説。
例えるならば、白いエネルギーが地下で
長い尾を引いて綱引きしている感じ。
引っ張られるのです。
宇宙の星々に。
なぜなら、泉探訪をした日は、
宮城・岩手内陸地震があった日だったから。
最後は、片倉家に関わってきたある女性の所へ。