前回の続きなのですが、「御曹司島渡」
というように、義経は「御曹司」と言われていました。

御曹司とは、そこに住まう人、居候という意味。

平家も源氏も貴族出身です。
平家には「公達(きんだち)」と官位が
与えられていたのですが、

源氏にはその官位がなかったので、
「御曹司」という言葉を源氏に対して使うことになった。

ここで、藤原基衡の家督争いを思い出す。

 

※藤原基衡(2代目)

奥州藤原氏の一族であった
藤原 惟常(ふじわら の これつね)という人がいます。

藤原基衡(奥州藤原氏2代目)とは異母兄弟。
1128年、家督争いがあったといわれます。

それにより、藤原基衡は、藤原惟常父子を殺害しています。

藤原惟常の父は、初代藤原清衡。
母は、清原氏の娘。

基衡の母は平氏出身だが不明。
 

正当な家督相続は、惟常だったので基衡は、
簒奪者(さんだつ)だったという。


簒奪者→本来君主の地位の継承資格が無い者が、
君主の地位を奪取すること。 

これが御曹司という言葉にも現れ、
当時、跡継ぎは家から離れた家に住む習わしがあったそうです。
→小館という。

対して基衡は「御曹司」と称され、父の清衡と同じ屋敷に
住んでいたと言われています。

これは、清原氏を母にもつ派と、
阿部氏を母にもつ派の小競り合いであり・・・

実は、母が強かったということでしょう・・・か。
中国の歴史ではよくある話しです。

この時、基衡を支えたのは、信夫佐藤兄弟だったのです。
義経の従者。


ですから、兄の頼朝と義経の家督争いにも関係しているようで。

それを案じていた藤原秀衡がいた(3代目)わけです。

 

父がそれで争っていたわけですからね。
 

藤原氏の家督争が発端にあると思い、
その鎮魂のために祀られた緑丸では
ないかな~という妄想。

それに、阿部氏(名前忘れた)の子に、盲人の子が
いたことが記録されています。

■盲巫の蝉丸---------------------------

さて、なぜ盲巫にも繋がるのか?

蝉丸神社(せみまるじんじゃ)というのが
滋賀県大津市にあります。

蝉丸大神と猿田彦命を祀り、
蝉丸大神は音曲を始めとする諸芸道の祖神
猿田彦命は街道の守護神として信仰される。


ということで、名取の愛島にある道祖神が、
塞神とされ、猿田彦命とアメノウズメを祀るのは、
これと同じだ!

 

岩沼の深山と近い。

つまり、名取の道祖神に舞姫(巫女のこと)がいたという伝承は、
適当な話しではないのです。
ここでは、藤原実方と巫女が結びつけられています。

この蝉丸神社は、関蝉丸神社(せきせみまる)から
分社としているので、本家とされる関蝉丸は、
盲目の琵琶法師なのです。

 

※関蝉丸神社

平安時代中期の琵琶法師で歌人として知られた
蝉丸が逢坂山に住んでいたことから祀ったとされる。

 



平安時代の中頃に、
全国の音曲芸道の勅として、蝉丸神社の免許を
受けることとされていた
と伝わります。

以後歌舞音曲の神としても信仰になっているから、
口寄せも芸能とも言えるのでは?

その「蝉丸」から「瀬見温泉」になっている事が気になった。

 

 



この瀬見は、薙刀=弁慶がもっていた剣を「蝉王丸」と呼び、
最上町の亀割峠を越えようとした時、
義経の妻、北の方が産気づいたため、
弁慶が産湯を探して川べりの大きな岩に薙刀をつきたてる。
その所に湯が湧いたことに由来。

ただし、蝉丸の琵琶法師のことをさしているのか不明です。

 

義経大橋(瀬見温泉)

この話しから、産湯を探す=トリアゲバアサンになっている。
オサンバサン。
であるから、弁慶は女という事だ。
産湯を探すなど、女に決まってる。

 

※弁慶の掛け松(衣をかけた松と似ている=衣通姫)

なので、由来は弁慶にしているけど、
義経が逃れる時に姥(女性)がいたことは不思議ではありません。

 

※産湯の絵図。

■最後の語り部--------------------------------

そんなことで、このような伝承の多くは、
女性が語ってきた事が多いと思われます。

目が不自由は人は、音で聞きますから、
楽器の演奏と共に語る者と、
口寄せと分かれたのかもしれない。(弓を使う)

口寄せは、霊をおろすだけではなく、
語り部でもあったのだろうか?

『オデュッセイア』の語りも、
どこか口寄せの技法にも似ている。

ホメーロスの叙事詩には、朗誦の開始において
「ムーサへの祈り」の句が入っているそうです。

 

 

※ムーサ→ギリシャ文芸の女神

『パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち』(1804年)

これは、話を始める契機としての重要な宣言であり、
自然なかたちで詩のなかに織り込まれていると。

「あの男のことを わたしに 語ってください 
ムーサよ 数多くの苦難を経験した「あの男」を…」

「あの男」とは、オデュッセウスのことを指す。
オデュッセウスが経験した数々の苦難の旅の物語を、
わたしの舌を通じて語ってください、
とムーサに祈るのだそうです。


つまりは、ムーサが朗詠者に宿り、
語り部は実はムーサであるということ
になると。

 



最後に、世界で最も長い叙事詩が「口頭で」
残されている雄一の語り部が、チベットにいる。

 

 

 

 



チベット ケサル大王伝 最後の語り部
https://eiga.com/movie/90294/


チベットに伝わる世界最長の英雄叙事詩
「ケサル大王伝」の語り部たちを取材したドキュメンタリー。

11世紀の群雄割拠の時代の中で、仏教国の王をモデルに、
チベット統一と仏教布教を託して
創られたとされる「ケサル大王伝」。


とっても長いので、完全になるまで、
何年もかかるそうです。

 



馬の耳がある山が登場。

そんなことで、語り部が残るチベットですが、
日本にも同じように継承していく精神は伝播されており、
チベットと日本は非常に近い遺伝をもっているわけです。

日本には、遠野にも語り部がおり、

恐山にはイタコさんがまだおりますから。

AIの時代とは言いますが、


語り部によって語られる

人物になれることが、
本当の英雄なんですな。