皆鶴姫は、白河にも伝承されていました。
伝説は、気仙沼の話しと同じです。
「義経は平泉へ向かうために脱出しましたが、
皆鶴姫は義経を追って旅に出ます。
しかし、旅慣れぬ地で力つき、白河に辿りついたが、
病気になります。
旅の衣を傍らの楓の木にかけ、回復を待ったが、
里人の看護の甲斐なく亡くなりました。
「衣掛の楓」は、時折、小雨が降るそうで、
時雨の楓とも言われたそうです。」
※白河観光協会
http://shirakawa315.com/yoshitune/
信夫佐藤氏の話しがあるため、
白河では義経よりは、楓の名から、
信夫佐藤氏の奥方かもしれず。
福島県の医王寺本堂に祀られている
楓と若桜のお人形。
信夫佐藤兄弟が自害されたことを知り、
母親が大変悲しんでいるのを、妻たちは甲冑をきて励ましたと。
秋田県阿仁地方に伝わる八木沢家の話しでは、
この墓地にある家紋が、「源氏車」だそうです。
八木沢マタギの狩猟道具が、文化財になっているほどで、
源氏の家紋は、源義経の家臣だった佐藤継信、忠信兄弟の末裔
という言い伝えもあります。
源氏車の家紋は、伊勢神宮の神官・榊原氏が使用している家紋なので、
(信夫)佐藤氏と榊原氏は同族で、
伊勢国一志郡の榊原に住んでいるためです。
だから、「忍の信夫」はすごいんですよ。
白河の皆鶴姫の神社名が「えな姫」という不思議な名前。
白河で病死した話しになっていますが、
白河にも義経伝承があります。
■白河の関----------------------
白河の関は、国の史跡として有名。
この付近、境の明神と追分明神もあります。
陸奥と大和の境に神様を祀っているのですが、面白いのは境の明神は、
福島側はイザナミの女神。
栃木側はイザナキの男神。
どっちに住んでいるかで女神と男神が変わる。
設置年代は不明。
718年六国史に陸奥国から白河など郡を5分割した。
769年道嶋宿禰嶋足の申請で何らかの功績を果たしたことにより、
賜姓を受けているとあるのですが、
この一族が、関所に関わっているようです。
道嶋氏は、陸奥国牡鹿郡の出身。
後の丸子氏(和邇氏の系譜)
坂上刈田麻呂と共に武人とされます。
「何らかの功績」というのはわかりませんが、
おそらく769年から
「38年戦争」といわれる時代がおとずれるので、
この境から北上してエミシ征伐が活発になる時だと思います。
道嶋氏がこの地に訪れた時、
エミシの首長だった宇漢迷宇屈波宇(うかめのうくはう)
という人がいました。
不思議な名前すぎて覚えられません・・・。
「770年、同族をともなって蝦夷の支配する地ににげかえる」
朝廷との関係を絶った為、
その確認のため、陸奥へ派遣されたのが道嶋島足とされます。
ということで、白河の関は、エミシと朝廷の境にあたり、
ここから先は、異国と思われていた。
780年陸奥鎮守府副将軍だった百済王俊哲という人が、
賊にかこまれ危機に瀕したが、
白河の神など八神を祈ったところ突破できたという。
それがここにある白河神社ですが、
「衣通姫(そとおりひめ)」となっています。
この神社は、海民系の神社だったようで。
住吉三神の三つ星がしれっとあるね~。(中筒男神)
※衣通姫とは、
『古事記』に、允恭天皇皇女の軽大郎女別名とし、
同母兄である軽太子と情を通じるタブーを犯す。(近親相姦みたい)
(白河神社)
さて、「逃げる」な話しが多いのですが、
陸奥国など東北地方は、アジール的な存在があったと思います。
そんな風に朝廷と陸奥には、境があったと考えられます。
アジールとは、簡単にいうと、
まだこの頃、東北は治外法権だったのですが、
アジールは、聖域の意味。
西洋では森、川、坂、橋の先=異界と考えられ、
畏怖された場所です。
日本でいう神社などもそれにあたると思いますが、
そこを越える場合は、神の領域に入るわけですから、
神々の畏れから、道祖神を置くのだと思います。
お供えして通過する儀礼などもあったそうですから、
異界に入るという事なんだと思います。
その神とは「夜刀神(やとがみ)」と似ています。
開拓する時は、木々を伐採するので、
森の神に許可を頂くため、「人と神の領域を引く」わけです。
旗立の桜
■衣のこと-------------------------
「衣」が何を意味しているかは、
「衣干したり天の香具山~」で。
537年、相当古いですが、
新羅に出兵する大伴狭手彦のために、
岩場でヒレを振って見送ったという佐用姫も、
衣をほした話しになっています。
※松浦佐用姫(九州)
なんと、
wikipediaの情報から
秩父市で発見された小惑星の佐用姫 (小惑星)があると!!
佐藤直人さんというアマチュア天文家の方が、
所沢出身で秩父市で1997年に発見したとの事。
なぜか、佐賀県唐津市が広報紙やホームページで命名を呼びかけたところ、
地元に伝わる佐用姫の名から決まったそうです。
佐用姫のことは、以前からよく登場する伝説だったのに、
知らなかった~。
宇宙と繋がっていたなんて!
ところで、化粧と繋がっていて、衣服と化粧は同一で、
「一体的」なものとなっていたそうです。
化粧も洗い流すことができ、衣服も脱ぐことができる。
着脱できる、という事であっても、
原型をとどめることができる。
と、ちょっとわからない意味あいがあります。
西洋では、それが罪だったそうです。
しぇ~。
虚飾するからと。
(ほっといてくれ・・・)
ローマの王族は化粧と装飾しまくりますねぇ。
ですが、これには隠語があり、
巫女がタブーなことをしたから、と考える場合が。
それが、先ほど言った軽皇子の近親相姦の事です。
けっこう、古代はそれが普通だったみたいですけど。
また、石とも結びつけられています。
ローマ(ギリシャ?)でいう何でも見るものを石してしまうメドゥーサ。
※鏡山から跳び降りた際に足をついたとされる
『佐世姫岩』の絵はがき( 佐賀県立図書館所蔵)
ただ、義経がそれに関係しているとは思えないので、
軽皇子の話しはスルー。
また、岩手県の水沢にも小夜姫の話しがあり、
同じく菊池氏の化粧池伝説となって岩手県に残されています。
小夜姫の角が埋められた意味をもつ「角塚古墳」。
一本の松が植えられています。
ということなので、白河→気仙沼→水沢・・・と
点々と太平洋側に衣と化粧伝説があります。
■逃げるが勝ち---------------------
「逃げる戦術」というのが中国にあったそうなんですけど、
ひたすら、逃げると。
それは、アジールの意味があると思うのですが、
白河から陸奥へ逃れたエミシの首長もそうで。
歴史において、アジアは大体、殉死をします。
義経の家臣だった信夫佐藤兄弟は、殉死しているようですが、
(義経の身代わりになって亡くなった)
でも、信夫佐藤氏が生き延びていた話しが秋田県にあったりする。
通常、義経のような人が処刑されたら、
家臣も殉死するのが習わしでしたが、
皆、逃げているようなんですね。
特に、あんばさまの話しに登場してきた
常陸坊海尊も義経の家臣なのですが、よく逃げていたと。
『義経記』で描かれる海尊の姿は、
「逃げ上手、生き上手」とあるのですから。
ということで、すたこらさっさと
義経は逃げており、生かされていたと思います。
と、適当な話しになってしまった。
そういう事で、皆鶴姫はおしまい。
じゃなかった。
やっぱり、最後は、繋げる。
あの夢と。
つづく