大みそかと新年にかけて、寒波で寒いようですね。
仙台も雪が降ってきました。

毎年、仙台で年越しをするので、
元旦までの食材をまとめて買ったので、疲れました。真顔

さて、浪江町のつづきです。

年末年始、この話で年越しになりそうな。。。

浪江町の方までは、原発のことがあって、
行けないと思っていましたが、
一部解除になったことから、足を運ぶことができました。

しかし、実家が浪江町や地元に家族がいるといった人しか来ません。

宮城県の海側へいくと、放射能の問題がないことで、
復興が早く進み、公園や施設、閖上では観光地として、
お店が出来て賑わいが戻ってきています。

でも、福島は放射能の問題で、復興が進まず。
津波被害に加えて原発事故で家族がバラバラになった、
話を聞きます。

そんな浪江町にずっと前から書いていた神社があります。
「あんばさま」の苕野神社(くさのじんじゃ)です。
※草の漢字は草冠に召。

福島第一原発の影響もあり警戒区域に指定され、
以前まで、無許可で立ち入ることはできませんでした。

くさ野神社に興味をもったのは、飯舘村の綿津見神社からでした。
延喜式神名帳の『苕野神社(くさのじんじゃ)』の論社にもなっている。』
といった内容から、くさ野神社を知る。

 



祭神は、タカオカミ神・クラオカミ神
イソタケル神・オオヤツヒメ神・ツマツヒメ神。
(五十猛命、大屋津姫神、抓津姫神)


別名:あんばさま

 



あんばさま=安波祭とよばれる浜下り神事があります。
「安婆嶋=あんばさま」と書き、茨城県霞ケ浦東海岸一帯を治めていた
菟上国」という小国の一部です。


兎の菟狭族と同じ漢字。


『屋津姫神、抓津姫神(オオヤツヒメ・ツマツヒメ)は、
樹木の女神でスサノオの兄:五十猛命と記される(日本書紀)
姉が大屋津姫神、妹が抓津姫神。
全国の木々の植樹をしたと伝わる。

木種を全国に撒く事は、子供を産む力を持った女性として、
彼女たちは生殖を司る神でもある事を意味する。
現在においては、兄神五十猛命と共に木の文化を司るとされ、
林業や建築業の女神として信仰を集めている。


よく木の夢をみるのですが、
ここに繋がっているのかもしれない。

「あんばさま」の葉うちわは、天狗が持つものと言われますが、
石巻の牧山に祀られる栄存神社が、
葉うちわの家紋があったのと、
気仙沼に安波山があったこと。

また、今年1月に南三陸の荒澤神社へいき、
太郎坊の杉伝承があった神社です。(画像下)


灯台の役目の木であり、
海のそばにある巨木は、航海とタケミカヅチ伝承です。

おそらく、くさ野神社の由縁となる話が、
あんばさまの大杉神社(常陸坊海尊)の関連を示す
ルートに関係すると思い、
その海道は、石巻~南三陸~気仙沼に続いている。

もしかしたら、阿波忌部の阿波と安波の名が、

あわ→アマ、アバと転じ、
波と同じなのは、阿波忌部のルートと安波(海の姥?)
が関係しているかもしれません。

なぜなら、青麻神社には、

『常陸坊海尊の霊験により中風封じ、
社家の穂積氏が水運に携わっていたことにより

海上安全の信仰がある。』

と伝承され、海尊が修行をした場所だという。

青麻神社は、楮などの麻を栽培していた穂積氏が建立したもので、
阿波忌部(南相馬にいた)との関連もあると思います。

その穂積氏は、紀氏とも関係をもっており、
太郎坊の伝承があるように、南三陸の方へ遠征し、
上陸しているため、熊野信仰を広めています。

茨城県稲敷市阿波にある大杉神社は、
大物主を祀るので、出雲との関係=イソタケルと、
タケミカヅチの関係があるわけです。

出雲明神を祀っていた佐沼城とも関係あるかもしれない。
ここは葛西氏が占拠した後、伊達政宗が奪っていますね。

やっぱり、イソタケル。

くさ野神社と関係する大杉神社は、
796年、あるいは同年5月(『稲敷郡郷土史』)、
延暦寺の快賢阿闍利が、悪路王(高丸)の降伏を大杉神社に祈願した。

と言われる神社です。

タケミカヅチ(鹿島・香取)の神々に関連するため、
悪路王を退治している側にとっては、
紀氏たちがエミシを討伐した歴史を記す
必要があったのだと思います。


■浪江町請戸地区のくさの神社------------------

 

ちょっと長い由縁です。

 

「由緒書によれば、

起源・創立年代は不明だが、社伝によれば

第12代天皇である景行天皇の御世に勧請され

715年の御代には社殿を創建したという。

 

桓武天皇の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、

苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、

神恩への報賽として神殿を建てたという。

 

苕野神社は楢葉郡の神社の中で唯一の式内社であり、

古来から郡民や領主などから篤い尊崇を集めていた。

 

苕野神社は往古は請戸地区の沖にあった

「苕野小島」という島に鎮座していた。

 

その後、波浪などで島が崩壊したため、現在の鎮座地に遷座したという。

また、苕野神社は茨城県稲敷市に鎮座する

大杉神社(通称あんばさま)と関係が深い神社であり、

毎年2月の第3日曜日には『安波祭』と呼ばれる

「浜下り潮水神事」が催行されてきた。

 

安波祭の大祭式典では、浦安の舞神楽・田植えおどりが舞われる他、

神輿渡御、樽みこし海上荒波渡御、御潮水献備神事、

早朝護摩祈祷などの神事が行われる。」


という事なので、ずっと前から書いていた「あんばさま」だったので、
心に残っていた神社でした。

浪江町に行ったら参拝したいと思ったのですが、
津波の被害で本殿のほか、すべてが流され、
前宮司さんも亡くなられたそうです。

 



震災前のくさ野神社
福島県双葉郡浪江町大字請戸字東向38


マップで設定した場所が、ここでした。
ほんとにここ?
自信ない。

 


さまよい歩く・・・
前を知らないから、
ここなのかどうか・・・

 



うろうろしていたら、草むらの中に
遠くに小さな祠を発見。

 



別の所に新たに神社を再建したようなので、
もうここに来ることがないのかもしれない。

 



海側は津波被害で残されていない場所が多いですが、
震災前の写真をみても、まったく想像がつかないほどの変化です。


※父の遺志継ぎ祈願祭 
浪江・苕野神社「安波祭」の日 「心の支え」守る
https://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/02/post_3245.html

 


「浪江町請戸地区は太平洋沿岸部に位置する
人口1,800人(震災以前)程度の集落であった。

集落北部を流れる請戸川河口に位置する請戸港を中心とした漁業、
及び、稲作等の農業が共存する地帯であり、
また安波祭りや田植踊など海と陸の文化が融合した
固有の伝統が守られてきた地域である。

高低差がほとんどない平地に発展したため、
東北太平洋沖地震に伴う大津波によって、
地区全域が壊滅的な被害を受けた。

現在ほとんど構造物は残っておらず、その土台を残すのみである。
また同地区は福島第一原子力発電所より10km圏内に位置しており、
福島第一原子力発電所事故とその後の放射能漏れの影響により、
2011年3月12日に避難区域に指定された。

2013年4月現在、避難指示解除準備区域の指定は受けているが、
復旧復興の目処がたてられず、住民達は、未だ県内県外において
分散した避難生活を余儀なくされている。」


※失われた街 模型復元プロジェクト
https://losthomes.jp/gallery/namie_ukedo/


この神社は、数多くの伝承がのこされています。
常陸坊海尊は、源義経と共にいた人なので、
ここでも、義経や奥州藤原氏に関係するのです。

神社の伝説の中に、義経の恋人と伝わる皆鶴姫の話が
繋がっていました。(後で)

悪路王は、北関東にもありますが、
藤原家は、調伏するために悪路王伝説を記しているのでしょう。
『日本書紀』から続いているものですが、
今もなお、歴史には、その語りが残される。

 



侵略してきた側の教えを
重んじている歴史がいまだにあるのなら、

過去から未来へ繋いでいかねばならない、と。

 

震災後に戻ってきてしまったので、

終わった歴史は終わりではなく、

過去のことでもなく。

 

先祖が命がけで航海し、

追われて逃げてきたかもしれない地で、

新たな新天地を築いても、

失っていく世界を見る。

 

水はすべてをなぎ倒していってしまった。


福島の未来を、

ずっと見守っていきたいと思います。


伝説は、長いので次にしますー。

良い年末をお過ごし下さい。照れ