相馬に行かなければ、
春姫さんのことを知ることはありませんでした。
この話しを一番、伝えたかった気がする。
平将門は、祟神とされ首塚など(行ったことはないけど)
いろんな噂がたえないですね。
私は秩父人だから?平将門を含め、
高望王についても、特に何も感じることはないです。
「秩父氏が女系を根拠とする」
の意味を、春姫が教えてくれたみたいです。
※秩父神社に祀られるスサノオは「日御崎宮(ひのみさきみや)」
(「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、
伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、
日御碕神社は「日の本の夜を守れ」
との「勅命」を受けた神社、である事による。)
春姫は、平将門の娘(次女)で、
姉に五月姫、妹に如蔵尼がいたとされます。
「父の将門が討伐された際、
下総国(茨城県)の相馬郡岩井郷に隠れ住む。
名を如春尼とし、一族の菩提を弔ったと伝わります。
将門公の三女・如蔵尼が、父の最期の地に庵を建てたのが
國王神社の創建であり、父の三十三回忌に当たって刻んだ
「寄木造 平将門木像」(茨城県指定文化財)を御神体に戴いております。」
※国王神社
https://www.kokuou.or.jp/introduction/
そうだったんですね~。
相馬中村の妙見神社にも国王神社がありますが、
春姫が建てた庵とは、知りませんでした。
というか、気づかなかった。
『将門記』によれば、平将門は坂東8カ国を治めたとあり、
坂東平家の発祥がここにあります。
関東平野一帯を「東国」とよび、
ヤマトタケルの歌にも登場する「あづま」が、
関東平野の東の国をさす説もあります。
「アヅマ」および「アヅマノクニ」は、
上古から用いられてきた大和言葉(和語)と言われます。
特定地域を指さない「アヅマ」は、
縄文時代から弥生時代にかけての時代の文化圏としての
東日本(当時の西日本と対比される東日本)と、
ほぼ一致する越後国・信濃国・三河国以東の地域を指すことが多い。
天武天皇の頃(飛鳥時代)から東海道諸国を
「アヅマ」「アヅマノクニ(東国)」と呼ぶようになり、
それまでの「アヅマ」のうち足柄峠・碓氷峠の坂の東を
「坂東(ばんどう)」と呼び始めて、
奈良時代初頭ごろまでに定着したとの事。(wikipedia)
「みちのく」の東北は、「坂東」と区別するために
陸奥、蝦夷と呼ばれたそうです。
■天皇家との繋がり---------------------
三峰の奥の院から続く雲取山には、
秩父宮のレリーフがある。
※霧藻ヶ峰
秩父が皇室と深い関係をもっているためで、
平将門の春姫の子供たちが秩父氏として名をもち、
将門の血統を受け継いだためと言われます。
大正天皇は、将門の女系子孫が受け継がれているそうです。
将門の男系が途絶えたため、
3人の娘たちが生きのび、女系子孫が将門の血を受け継いだと。
なるほど~。
ずっと母系や女系のメッセージがきていたのは、
春姫が訴えていた事だったんですね!
まず、簡単に系譜を。
平将門の父は、平良将で祖父が高望王(平家の始祖)
春姫は、大叔父の平良文の子で、従父の平忠頼の正室。
祖父母の兄弟と結婚している事に。
もっと詳しい系譜については、こちらを参考に。
※平将門【今上天皇の直系祖先】
https://rekishi.directory/%E5%B9%B3%E5%B0%86%E9%96%80
千葉氏、秩父氏、中村氏は、大同族と化し、
板東平家として東北にも開拓に乗りだします。
源頼朝の根本(中枢)となったのは、
これら武蔵の武士集団です。
秩父は、丹党一族がいたように丹生都姫を多く祀ります。
金鑚(さな)神社の鏡岩で有名な児玉氏と丹氏は、
秩父と深い関係をもっています。
※鏡岩
サナギのことですが、丹なので「砂鉄」の意味です。
古代製鉄民の痕跡があって、三峰神社に、イザナギ(サナギ)
イザナミを祀っています。
この意味は、火と水で剣ができることを差しています。
児玉郡に『魏志倭人伝』にある倭人の国、
華奴蘇奴(かぬそぬ)国に比定する説があるのが興味深い。
→美しい緑豊かで恵まれた地の意味。
ここに安保氏が登場してきます。
後に秋田県鹿角に逃れたと言われ、安保家は
実家の横瀬とも深い関係にあり、長瀞に「白鳥」の地名があるため、
物部氏系の製鉄民の子孫が入ってきていたでしょう。
その痕跡を追って秦氏がやってきて、
秩父に養蚕をもたらしたと考えられます。
秩父も国津神だったので、ヤマトタケルが武甲山に兜を置いた
神話にしています。
草なぎの剣が、金さな神社に関係しているため、
ヤマトタケル伝承が武甲山にもたらされた事は言えるのです
なので、武甲山にもトベの存在がいたと思われる。
息吹山の伝承と同じ氷雨を降らせたのは、
武甲山も同じになっているからです。
南に坐す武甲山が砦になっていることは、有難い気もするが。
※御嶽信仰の石碑
(中央に三創世神(国常立命)、右:三大神社(春日大神)、左:氷川太神)
思兼命の地でもあるので、昔、修験者によって
天の岩戸開きな祈祷が行われていたんじゃないかな?
三創世神に向いていたのは、聖徳太子像。
スクナヒコ命の石碑と武甲山(なぜか大国主の石碑がない)
金山彦命の石碑だけ、武甲山に向いていました。
なぜ、ここまで神々の石碑を置いているのかは、
御嶽講によるのです。
死後、御嶽の山に還るように願って、
石碑を大量に置いていると思われます。
武甲山が黄泉国にされているから生まれる思想です。
その山を発破しているため、御霊は帰還できなくなった。
なので、小さい時から、幻想的な宇宙の夢をみるのは、
そういう事です。
空に大量の星々が輝いているのですが、よく見ると動いています。
動いているのは、命だそう。
武甲山が、亡くなった命を天になげているからです。
※NASA
平将門の妻(桔梗姫)が処刑された(スパイ行為)話しで
藤原秀郷がかわいそうに思い、桔梗姫の首飾を天に投げて
首かざり座になった伝承と似ています。
■会津に伝わる三女の瀧姫------------------------
さて、よく聞く説なのですが、「平」の漢字を崩すと、
一・八・十になるので、「イワト」=「岩戸」の意味ではないか?
という面白い話しがあります。
数字を足すと19になりますので、
(19=1+9→10)
「1」と「0」の陰陽の意味もあると思います。
999段の階段を鶏に邪魔されていたが、
やっと千の階段に至った。
そういえば、秩父には高望王の「弟」を祀っているという
恒持神社があります。
丹生社、諏訪社、稲荷社を合祀してます。
ですが、高望王の弟は史実にも一切、記録がないため、
誰なのかわかりません。
さて、ここで、三女の話し。
平将門の三女にあたる如蔵尼ですが、
父が討伐された後、各地に逃れている話しがあります。
将門の娘たちについて、いろいろ謎はあるのですが
特に、三女がシャーマン扱いにされているのが気になる。
『如蔵尼は将門の三女で大変美しかったが、
結婚を求められても断り続けていた。
父将門が謀反し敗れ、一族に誅罰が及んだので、
奥州に遁れ恵日寺の傍らに庵を結び独りで暮らした。
ある日病気で死ぬと地獄に落ちるが、地蔵菩薩の助けにより蘇生した。
地蔵菩薩の大慈大悲を受けた女は地蔵に深く帰依し、
法名も如蔵尼と改め、専心に地蔵を持した。
齢80余りで入滅した(『元亨釈書』」
思いだした!
何年か前にいった会津の恵日寺。
(お墓は別の山中にある)
ここに逃れて庵を結んだと伝わる。
徳一さんのお寺!!
素敵な薬師様がおります。
空海さんより、徳一さんの方がいいな~。
でも、空海さんは、徳一さんに気を使っていた様子・・・
その三女は、『今昔物語集』や『元亨釈書』などに登場する俗名「滝夜叉姫」
になっているので、大蛇にされている感。
父将門が乱を起こして敗れた後に日立の国に引きこもり
妖術を使って抵抗したとの伝説もあるほど。
本来の名は「五月姫」で、貴船明神の社に丑三つ時に参るようになったと。
満願の二十一夜目には貴船明神の荒御霊の声が聞こえ、
五月姫(姉?)は妖術を授けられたという伝承。
橋姫伝説と同じような女性になっています。
伝承の「二十一夜講」は、女人講、念仏講であり、
如意輪観音を本尊とすると。
如意輪観音→真名井御前
空海は如意輪観音に恋をした?
父である将門の霊を蘇らせないために、
娘たちが、その役目として使わされたように口承されています。
それは、娘たちにとって辛いことではないでしょうか?
平将門の御霊(祟神)を鎮めるために、
祓戸神にされた娘さんなだけだと思います。
全然、祓戸神でもなんでもないですよ。
平将門についてはよくわかりませんが、
娘たちのことを想うと、やっぱり、女性たちがこうして
繋いでいるのだな~ということがわかって、
深い気持ちになります。
滝姫のお墓の場所はわかりませんが、磐梯町の山中にあるそうです。
また、磐梯神社は、舟引き祭りと巫女舞が有名だそう。
「舞い手が一度左回りに一周し、その後右回りで元の位置に戻る様式
から見ても古い舞楽の系統をひくものではないかと思われます。」
ということで、春姫には感謝です。
教えてくれてありがとう。
やっと相馬が終わりました~。
相馬がますます好きになりました。
今年は、なんちゃら現象で雪が多いそうですが、
仙台も珍しく雪がけっこう積もっていますよー。
雪の多い地域は、気をつけてお過ごしください。