空海と円仁が、ごっちゃ。
交わってるので、むずい・・・。

■空海と天河弁財天------------------------

知らなかったけど、空海は、天河と関係してました。

前回のつづき、
自分なりの夢分析を。

天河弁財天は、役小角が大峯山に道場を開き、
9世紀頃に空海が天河神社を拠点に修行した
とある。

その後、高野山にて開山。

天河は、南北朝で南朝側の御醍醐天皇が逃れ、
古くは、大海人皇子が逃れています。

「かつて皇位継承事件で窮地にたたされた大海人皇子は、
大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、
天心地祇に勝利を祈願して琴を奏じました。

すると、その音に乗って唐玉緒を纏った天女が現れ、
戦勝の祝福を示しました。
この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神でした。
これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、
即位して天武天皇となりました。」

 



※天河大弁財天サイト
https://www.tenkawa-jinja.or.jp/sanpai

御堂には、

中央に弁才天、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来) 
左に吉野権現(蔵王権現)がお祀りされており、
神仏習合の形態を今も残しています。


さて、これで夢に登場する老犬神社という
具体的なメッセージから、犬をつれていた空海の話しが・・・。

816年、
空海は唐から投げた「三鈷杵(さんこしょう)」の落下地を探して
大和の国宇智郡(現在の五條市)を訪れたところ、
白と黒の2匹の犬を連れた猟師と出会い、
犬たちによって高野山へ導かれました。



※轉法輪寺(てんぽうりんじ)の白と黒の犬

 


※金剛杵(ネパール)

実は猟師は高野山の地主神の「高野御子大神(狩場明神)」。
後に空海が、狩場明神と出会った場所に寺を建立したのが始まりと伝わります。


だから、空海さんにもマタギがついてた!
円仁さんと同じ、空海派もマタギの山民の力を得て、
修験場の獲得に乗り出していた?

■丹生のこと------------------------------

狩場とは、動物儀礼のこと。
これは、丹生系の神社に多い。

この丹生というのが、鍵なんだけど、
もうこのへん調べると、秩父になる。

高野山開山時に狩場があり、他にも
丹生の祝(にゅうのほおり)」があるとの事。

諏訪大社も「大祝(おおほおり)」をするので、
諏訪の狩りと、水銀・丹生に深い関わりがあります。

これ、知らなかったんだけど、
東大寺などでも行われる「お水取り」ですが、
元は、水銀で汚れた丹生の水を清めるためだったそうです。

祝詞の祓えの部分の水の清めは、
丹生の水銀が関係しているかもしれませんね。

これが、なんと、ずっとシンクロしていた「若狭井の水」だったんです。

そこかーーー。
若狭湾とは、若狭彦・若狭姫の話しで、
なぜか、よく繋がることが多かった。

東大寺のお水取りの儀式は、「遠敷明神(おにゅうみょうじん)
と言い、若狭彦神社にあります。

 

上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」、下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という。

別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれ、小丹生ともいった。

なぜ、若狭の水なのかは、
伝説では、若狭国で魚とりをしていた神が
二月堂に全国の神様が集まるのですがうっかり、集まる予定に遅れてしまい、
それをお詫びするために、二月堂のほとりに水を湧きださせたという。


この頃(741年)は、国分寺建立を発令した聖武天皇。
山形県の慈恩寺も聖武天皇の命で建立されたと言われ、
寒河江川で砂金がとれた為。

※東大寺
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/

で、この若狭がまだ繋がるのですが、後にします。

ということで、空海の真言派も丹生を大事にしてました。

空海は、神仏習合の密教「阿字観」を、天河弁財天社で完成させたそうです。
神社には空海が唐から持ち帰った密教法具「五鈷鈴」や
「大師筆般若心経」など、ゆかりの品が残っている。

ちなみに、天河弁財天は、宗像三女神のひとり
市杵島姫命を主祭神とする神社なんだそうです。

ということで、急に、弁財天が空海と繋がったのは、

二本松の隠津島神社のことで、それが「木幡山」だったからです。


そんなことで、東北の弁財天さんが、ざわざわしてまして。

やっぱ、牧山には何かがあると思います。
金華山の弁財天は、天河の弁財天があると言いたいモノがいる、
としか言えませんが。

空海に焦点をあてると、丹生と犬が登場しているような

話しでした。

しかし、秋田の老犬神社は、
南部氏の家臣だった定六の伝説」です。

 



マタギにとっての肉(しし)の中で重要だったのは、
鹿と猪の肉でした。
それ以外の動物は仏教で不殺生のため、
狩猟は、禁止されます。

 


※四日市祭「富士の巻狩り」

安倍氏や安東氏などの在地豪族の話しです。
それが、空海とどう関係するのか?→わからんっ

老犬神社というのがあまりにも具体的なので、
円仁側をみてみる。

■戦場ヶ原の戦いに参戦したマタギ---------------------

空海側のメッセージは貴族、皇族など
天皇家に関わった人物に限られているようです。

それに対し、円仁側はエミシなどの先住民を中心にした
在地の豪族、マタギ
などがあります。

古くから北関東の毛野氏が東北平定にきてました。
多くの東北地方に伝わる伝承は、北関東にいた藤原家が主流になってます。

最澄の弟子だった円仁は、下野国(現:栃木県)の壬生に生まれている。
壬生は、丹生で水銀のことですから、修験なり僧侶たちが求めていることは、
同じ思想があると思います。

縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行われています。
有名なのは、三重県の多気です。

さて、マタギの伝承、山寺の盤司・磐三郎の兄弟話しを。

円仁は、山寺を修行場にしたくてマタギの兄弟と契約を結びます。

 

山寺

 



山寺の「獅子踊り」は、磐司が狩人をやめたことを
喜んだ動物達の喜びの舞だという。

なぜ、円仁が山寺にきて、盤司・磐三郎に接触したのかは、
北関東の伝説「戦場ヶ原の戦い」があったからです。

 



山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来しているもので、
赤城山=ムカデ(群馬県)VS 二荒山=大蛇(栃木県)。

ムカデ(土)と、大蛇(水)の五行の話しでもあり。
噴火している場所なので。

この戦場ヶ原の戦いについて、関東とは遠い石巻では、
戦場ヶ原で戦った時に、大蛇側についた(栃木側)は、
石巻北村にいたマタギ「小野の猿麻呂」であるとの伝説が。

小野の猿麻呂は二荒神の子孫であるという。

武勇天下にならぶ者なき勇士であるから、
その猿麻呂を味方につけて赤城神の勢を打ち破ったらよかろう」
と、二荒の神が登場し、大変喜びな猿麻呂に助勢を頼んだと。


その猿麻呂の祖母が「石巻の朝日山」に由来する「朝日姫」という。

「ある時、陸奥国の長者朝日姫をめとり、夫婦仲良く6年過ごし、
一子をもうけ、馬王と名付けた。

朝日姫もこの世を去ったが、この夫婦が二荒神となった。
馬王も成長し、勇士となる。愛妾の間に一子をもうけたが、猿に似ていたので
猿麻呂と名付けられる。」


「この戦いにより、二荒の神の領土を授けられた猿麻呂は、鎮護の神となった。
瀧尾女体の中の宮は、朝日姫を祀ったもので、太郎明神は馬主を祀り、
宇都宮明神は猿麻呂を祀ったものだという
。」


この話しは、太平記 下野国日光開闢記に記される一説。

マタギのような弓が上手で狩りをしていた人に助けを求める話は、
近江三上山(大津小野村)の俵藤太秀郷のムカデ退治にもあります。
滋賀県が舞台ですが、奥州藤原氏の祖です。

ということで、朝日長者といえば、鉱山資源をもつ母系の一族をさす。
大蛇→朝日姫=旭神子。

この話しから、天台宗の円仁が東北地方で活動ができたのは、
石巻の旭姫(長者の娘)とその息子(マタギの開祖)が、
元は下野国に生まれた一族だったことを伝えるものと思われます。

円仁も下野国の生まれなので、下野ネットワークは、
マタギ(情報収集者)を味方につけ、広がっていたわけです。

そこに、西の空海派が入る。

山寺にいた盤司・磐三郎は、後に、二口渓谷→蕃山→阿仁地方へ。

仙台市内にある里山、蕃山は、
「空海が蕃山に霊場を開く予定でいたが、マタギに追われ、
高野山に戻った」
と伝わります。

 

※蕃山

空海(真言宗)が広めようとした東北の霊場は、
下野国のマタギ(or修験者)によって阻止されていたかも。

後に、旭の巫女と共に、奥州札所三十三観音を置くのです。

盤司・磐三郎の最後の終焉地が秋田の阿仁地方と言われ、
その後の痕跡が途絶えている。

今では有名なマタギの聖地となり、
ここで、やっと、老犬神社に繋がったわけで・・・

長いな~・・・。

夢のメッセージは、
空海の天河弁財天、

円仁の老犬神社、かもしれません。

近代以前の金華山の弁財天を祀る大金寺が、

真言派とは知らなかったので、
宗派の争いがあったのではないか、と思います。

たぶん、空海一族が、天智天皇と天武天皇の時代に、
関係しており、どっちかの派閥争いがあったらしい。
それに繋がっているようです。
まとめられないので、スル―。

■石巻の旭----------------------------

最後、これを書かないと旭が終わらない。
ちょっとマタギの母(祖母)の旭について。

猿麻呂の故郷が、「石巻の旭」ということをふまえて。
「旭(朝日)」とつく姫なり巫女は、大蛇と称されることが多く、

大蛇側についた猿麻呂の祖母が旭姫というように。
 

鉱山資源のある所に「朝日」の地名が多い。

朝日長者伝説など、、(秩父にもあり)


また、名取老女の生誕地の岩蔵寺でも修験場の争いが伝承としてあり、
だまされて怒った主が大蛇になって天変地異を起した話しがある。

その影とされたのは、旭神子。

 

 

岩蔵寺の階段途中にある石は、

建立後参道の石壇の中腹に執念の大蛇の頚(首)が、

石となって悪気を放ち、これに触れれば悪病疫痢になるので、

参道の石段の中央に頑丈な五寸角の木枠を作り覆っている。との事。

 

 

イタコ寺特徴と思われる手形があるお寺です。

旭神子と名取老女は違うのですが、

みちのくらしい巫女伝承のひとつ。

しかし、空海が行基(東大寺の金)に関心をもっていたように、
行基伝説の場合は、大蛇をみるのではなく、滝神(観音様)をみます。

例えば、秩父の札所開基のひとつに、
滝に現れた影向か滝(ようごうたき)=観音様をみた話しがあります。

 

(秩父札所6番より武甲山)

武甲山伝説には、山姥の話しがありますが、
行基は、武甲山の山姥を退治します。

この場合、山姥=大蛇、行基=観音様(瀧神)
というように、滝をみる場合もあれば、大蛇をみる場合があると思う。

 


※秩父札所6番(荻野堂)より。
行基がみたのは、聖観音。

しかし、この2つは同一でもあり。
大蛇=龍と同じになっている。(エネルギーとしてみれば?)
滝=龍。

どちらも龍神=水神です。

難しいけれど、女性の体(巫女)を通してみた修験者は、
それぞれに、大蛇なり滝神なり、観音様なり。。を見るわけです。

これは、タイプみたいなものか?


丹生も、不老不死のような精神論か、
武器などに用いる物質論か、の見方がある。

石巻にある旭山は、計仙麻神社(けせま)が祀られます。
倉稻魂命(ウカノミタマ)と豊玉彦命です。

 


※宮城の旅(けせま神社)
http://miyagitabi.com/isinomaki/asahiyama/

豊玉彦命は、牧山の零羊崎神社(湊地区)と同じです。

ですが、もうひとつ「真野地区」にある零羊崎神社と、
昔からもめている所です。
こっちの零羊崎神社には、全く触れてなかった。

簡単にいうと、零羊崎神社の名があるのは859年からで、
牧山の零羊崎神社は「白山宮」であるのを、
零羊崎神社としたことで、真野地区が怒ったとか。

よくわからないので、ここでは割愛しますが、
「真野」の地名には、深い意図があるので、
後で登場するかもしれません。

旭山については、

「三代実録」によれば、貞観元年正月
清和天皇即位の大礼に際し、
京畿七道の諸神に対し神位昇叙のことあり。

陸奥国では従五位下勲四等の
計仙麻・志波彦・拝幣志・零羊崎・志波姫の諸神とともに
従四位下に神位を進められた。


が、この後、江戸時代頃になると零羊崎の記載がなくなる。
なぜか、わかりませんが。

マタギの祖母だというルーツをもつ朝日山計仙麻神社は、
いろいろ論社があります。

五十鈴神社摂社竜神社(鎮座地:宮城県気仙沼市魚町)、
羽黒神社(鎮座地:宮城県気仙沼市後九条)、
黄金山神社(鎮座地:宮城県石巻市鮎川浜金華山)、
計仙麻大島神社(鎮座地:宮城県本吉郡南三陸町歌津樋の口)が
それぞれ式内論社となっています。


・・・取り合い?

金華山が入ってる!


まとめますと・・・

円仁についた下野国と同志と思われるマタギの兄弟は、
東北地方に修行場を広げていく。
その力は、朝日(旭)の名をもつ女性が関わっている。

→天台派に譲渡した。

それに対し、空海派は、金をもとめて清水をコツコツ探していく。
修行場の獲得には、すでに天台宗が地元の人たちとの
結束が固かった為か、入る余地がなかったと思われます。

ですけど、互いに同じ学問を通して、

中国で学んでいる最澄がいるので、

争った形跡は伝説としてありも、政治に利用された修験者たちの葛藤や、

その影で支えていた皇女たちがいたと思います。

まだ空海のお母さんは出てこないが、
この一撃は、やっぱり母は強し、な一撃だ。

 

夢でみたのは、零羊崎神社へ行ったのでみたのですが、

もうひとつ、牧山に繋がる空海がありました。

以前、書いていたことが、深く繋がっていたこと。

つづくみたい。。。