今日が満月なんだそうです。
昨日は、十五夜でしたが。
なので、月と狼の話しになったようで、面白いです。
先月末の話し。
ほんとは、丸森の鎌倉山へいこうと思ったのですが、
道がこんなになってました・・・。
とにかく、石だらけ。
こんなに大きな石が山々に埋まっているような所です。
丸森は阿武隈山系のトアが見られる山で、
巨石が非常に多いため、宮城県では一番巨石登山が堪能できます。
※鎌倉山
さすがにこの道から先への登山口は・・・。
山も崩れている箇所があるかもしれません。
万一のことを考えてやめました。
■宮城の道祖神-----------------------------
すぐ下は川で、橋も工事中でしたが、
道祖神は大丈夫だったんですね!
鎌倉山へのルートはいくつかあるのですが、
私はここから先の鳥居がある大内からの森が好きなのです。
初めて森に入った時に、白い靄みたいな薄い霧がかかっていて、
とても神秘的だったので写真をとったら、
こんなに大きな白い光が撮れたんです。
またその森を歩きたいと思ったけど。
いつかまた、ここに来たいと思います。
烏天狗みたいに見える岩
昨年の3月に行ってましたが、再び。
その年の10月31日に丸森の豪雨が。
11人の方が犠牲になりました。
桁外れの豪雨と地形が要因だそうです。
※河北新報
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201910/20191016_13025.html
「内水氾濫」というそうで、
水門が閉まっていたこともあり、
排水が町にたまり続けたと考えられるそうです。
■羽山(山の神)----------------------------
それから1年ほどたち、丸森の狼たちが気にかかっていたので
行ってみましたが、元気そうで良かったです。
独りぼっち。
このお社はいつもオープンなので、
狼さんは、いつもこの景色をみています。
丸森は養蚕が広く伝わっています。
猫神を祀る石碑が非常に多いのは、
蚕を食べるネズミを駆除してくれるからだそう。
狼信仰と養蚕の関係もあります。
この後行った、青葉の熊野神社も狼を祀っています。(↓)
安部貞任が紀州熊野の神を分霊したと伝わります。
その繋がりから、南相馬の日鷲神社へ行ったのですが、
青麻神社が福島県にもあることから、
おそらく、痕跡は見当たらないにしても忌部氏関係の
養蚕が伝わっているのかもしれません。
蚕神の石碑
『蚕供養』というのは、お蚕は熱湯で死んでしまうのですが、
そのおかげで見事な糸が誕生する。
その虫の供養をする意味があります。
裏山は大きな石が見えます。
あと、「青」の地名も気になる。
仙台も青葉城というよね。
(大杉の下は大きな穴になっています。)
地元の伝承ですと
青葉の地名は、安部貞任の居城があったところで、
その城を青葉城と呼んでいた。
他、貞任の時代に「ワオ」と鳴く鳥がいたので、
ワオバが青葉になった。
貞任がこの地で戦っていた時に、
山の木々が青々としていたので青葉となった、
など諸説ありますが、安部貞任の話しばかりです。
岩手県紫波町に三峰神社が祀られており、
前九年の役の源氏が崇拝していたお社です。
関東系の武士がきているため。
丸森町も紫波町も、
源氏・前九年の役の安部氏が関係しています。
そこに入りこむ狼信仰とは・・・。
※岩手県紫波町の青麻神社
丸森→ヤマツミ
紫波→三峰
丸森は山神の狼なので、秦氏とは関係ないと思います。
ただ、三峰は、源氏の軍神にされているので、
狼信仰が、秦氏によって旗を掲げる→勝利の神、
と解釈されて、狼信仰も関連づけされたのだと思います。
青麻岩戸三光宮というのがあり、
宮城県の深いブナ林がある船形山に置かれています。
※舟形山の三光の石碑
これは、日月星の三光神を祀る意味をもち、
江戸時代に講で結ばれました。
狼も妙見も三日月信仰が由来だからです。
※紫波町の三峰神社(狼の木像があります)
岩手の青麻神社は、明治時代には「赤坂神社」と「改称」しているのですが、
後になって「青麻神社」にしている。
これがややこしい。
縄文のルーツがあるとされる星信仰から、
明治時代に「赤坂」に名をかえている。
が、青麻に戻す。
「サカ」はいろんな意味をもちます。
酒、境、裂ける、辟(開ける)=さける。
ダビデ(五芒聖)などと関係づけられることが多いが、
よくわかりません。
秦酒公や、秦伊呂具とか、機織、酒が関係している所に、
狼信仰もあるのです。(2匹の狼を仲介した秦大津父の伝説もある)
秦氏と商業活動との関連性を示している伝説との事。
つまり、2匹の狼伝説が伝えていることは、
秦氏は、朝廷側で今でいう大蔵省のような官僚のような立場にあり、
秦氏の配下になった大津父のことを記していると。
先住民を秦氏の傘下に入れることで、
朝廷に富がもたらされる。
秦氏は、各地を転々としながら調=貢もの(金になるもの)
を治めさせた。
今でいう税金のとりたて?みたいなこともしていたかもしれないね。
これは、渡来人の文化です。
蘇我氏が経済に長けていた人と言われているので、
政治・経済の中心にいたのが、蘇我氏だったと思われます。
ということで、この場合の2匹の狼は、
豪族の長のことをさしているのでしょう。
それぞれのトーテムがあるので、狼は「犬系」にあたるのかな。
狼と犬は違うけれど。
犬系→アーリア・インド説。
狼信仰との関係は、
秦氏は伊予国に土着しているので、
ヤマツミ信仰の総本家は、伊予国(現:愛媛県)です。
宮城県に多いヤマツミ信仰とは、
影に秦氏の活躍があったかもしれません。
※ジョン・チャールズ・ドルマンが描いた
狼に追われるマーニとソール(1909年)。
マーニまたはマニとは、北欧神話に登場する月の神(弟)
ソールは、太陽=姉。
卑弥呼の姉と弟の関係と似ています。
西洋では、狼は月(マーニ)を絶えず追いかけており、
「月蝕」はこの狼が月を捕らえたために起こると考えられた。
天体の運行を表しているような神話。
日本の場合は、神話というより、
民間信仰となり狼と人との信頼関係が伝わっています。
■狼が分け与えていたこと----------------
狼は犬とは違うけれど、人との交流に狼が深く関わっています。
それは、狩猟の習わしに繋がります。
前回、関白山の獅子舞でいろいろ書いていましたが、
「捧げる」行為は、「ササ」の語源になっているとの説。
ガーさんにまた教えてもらったことですが、
諏訪大社に鹿の頭を奉納していますが、
狩猟の民が、動物を山神に「捧げる行為」を「ササ」と呼び、
獲物を「シシ」と呼んだと考えられる。
狼も食べ物をわけあたえるハンターであったこと。
人は、狼から狩猟を学び、他の動物に餌を分け与えていたのです。
アメリカの先住民の伝承にもあります。
その行為を、人は狼から学んでいたのです。
秩父の民俗学者:小林茂先生は、
「沈黙交易」と説明されていました。
アルタイ族の昔話では、
狼は食べ物を分け与えるので肯定的にみている。
「狼が獲物をとらえて食べているのを鳥が待っていることがある。
もし、狼が食物をもってきたら、皆に配って食べられる。
もし、ワタリ鳥が食物をもってきたら、木蔭で独り食いしてしまう。」
この伝承は、アルタイ・トゥルク系烏孫(ウソン)族の話しです。
(モンゴル・キルギスにいた遊牧民)
キルギス→弓月国を拠点とした秦氏の地。
キルギス人は、日本人にそっくり。
アルタイ山脈・・・西シベリア・カザフスタン・モンゴルにまたがる。
https://www.russia-ex.com/tour/category/832.html
こちらは、天山山脈(カザフスタン・キルギス)
https://tabicoffret.com/article/76243/index.html
う~ん、そういえば、「6月の雪」の冤罪も、
ウィグルだったね。
このあたりの伝承が、日本の氏族の故郷でもあるね。
鉱山資源が豊富だったが、水がとぼしいので、
秦氏らに、治水技術と鉱山資源の知識があったのは、
このような環境で過ごしていたからです。
もちろん、行ったことないですが、
私にとっては、記憶している思い出の山でもあります。
実は、これが石灰の山に繋がるのです。
また、ウソン族が頭に兜をつけているそうで、
突厥(とつけつ)と、名前をつけている部族だそう。
脅威だった匈奴(きょうど)があった為ですが、支配下に治まります。
エミシの兜も、由来しているのかな~?
百済の始祖伝承に兄弟が登場してましたが、
弟はオソンというのですね。
ソン→孫の烏孫族とかもあるのかもしれず。
蘇我氏のソ、も。
ある人物を蘇らせるために「蘇」を使っています。
これが、トルファンの突厥→兜跋毘沙門天のルーツになっているのです。
悪路王退治の話しで鞍馬寺の話しに関係するのは、
毘沙門天でした。
日本では、狼は山神として君臨しています。
それは、食べ物を分け与えることができる存在だったから。
日本は狼を神格化し、山神に供えることで、
狼に敬意を示していることがあるからです。
民俗の視点でみる狼と、歴史でみる狼は違う世界にうつります。
両方必要ですが、なんだかんだ~言っても、
自分の魂はどちらに響くか?が、大事なことです。
またまた、深い10月になりそうです~。
さて、また、秦氏ばっかりになりますが、
栃木県のある秦氏関係の神社に行ったのですが、
やっぱり、九州なのです。