いや~、まだお盆の話しが続いてる!
もう9月になるっちゅーに。
なんでまだこんなに猛暑?

それに、急に辞めてしまった阿部総理。
いろいろと、また社会が変わりそうですな~ぁ。

はてさて、
遠野もかなり暑かった〜。
遠野から再び陸前高田へ。
盆地は暑い~。

 



宮古から閉伊川(へいがわ)沿いを走って遠野へ向かい、
ちょっとたちよってから、再び陸前高田に戻りました。

 

閉伊川を初めて見て感動。

とっても良い川と景観!

 



行く時に寄ればよかったのに、帰りに寄ったから、
夏バテしてエネルギー消耗した玉山金山

なんとなく、こういうとこなのか~くらいの印象しかなく。
猛暑に動くもんじゃないね・・・。

 



しかし、ここの「オソトキ伝説」は、最強だと思った。
オソトキとは、「千人坑」に伝わる伝説。


黄金の牛とともに坑夫千人が落盤で死に、
信心深いオソトキだけが助かったという伝説です。

(後で詳しく)


まず、玉山金山とは、

岩手県陸前高田市竹駒で金を産出した鉱山である。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』にある
「東方に国あり、その名ジパングという。
その国で特に驚くべきことは金の多いことである。
その金は掘れども尽きず。」

の主体が当山であるとされる。

 



玉山金山は、氷上花崗岩中の金が異常濃集した熱水鉱脈を鉱石として採掘し、
同時に美しい水晶を大量に産出したため、
水晶(玉)の出る山という意味の「玉山」と名付けられたとされる。

※水晶は勝手に取ることはできません。

 


 

金売吉次・・・。


中国では「ぎょく」という。
中国で「玉」とは「水晶」のことをさす。

 



玉山金山は「陸奥の金」として日本で初めて金が発見されたと
伝えられる金山のひとつ
で、天平の時代にはすでに砂金のかたちで
金を産出していたとされる。


その産金は奈良東大寺の大仏に使われたほか、
奥州藤原氏の黄金文化を支え、中尊寺金色堂にその産金量の膨大さが見て取れる。


藤原清衡が宋に10万5000両もの金を贈り、
朝廷に年々四貫目の金を朝貢して殿上人を羨望せしめたといわれる。


※10万5000両を現在の価値で換算すると、およそ20億円。

 



そんな大金を、中国に流していた藤原清衡。
その裏に女真族とか関係していそうな気がする。。。
・・・源氏が騒ぐわけだよね?

 


(手植えの桜)


平重盛が唐の育王山に寄贈した3500両の金も当山産出とされる。
戦国時代には豊臣秀吉が直轄として金山奉行を配し、
その後は伊達氏の所有となり伊達政宗以降三代の栄華の源となったほか、
慶長遣欧使節に要する費用はすべて当山の産金によるものといわれたが、
江戸幕府に没収されることを恐れて坑口その他を破壊し
廃坑に見せかけたとされる。

 



慶長遣欧使節に要する費用を玉山金山から産出してたとは!

 



千人坑は当山最盛期の主要坑道で、
一時は「玉千軒余」と呼ばれ大いに繁栄したが1673年頃から
次第に産金量が減少し、黄金のベコ(牛)とともに坑夫千人が
落盤の下敷きとなって死んだという「オソトキ」(飯炊きの女)の
伝説を残しながら、廃坑のみが現在も残されている。

 



(続きは、wikipediaへ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B1%B1%E9%87%91%E5%B1%B1

ということで、けっこう、ダークな歴史ある玉山金山。

 

山神碑

 

 

祠が祀られています。

その下に川が流れる。

 

 

 

玉ばあさん。


■オソトキとは-----------------------

それで、オソトキが「飯炊き女」という事に興味をもった。
金じゃくて、そこ。
なぜ、飯炊き女の伝説が語られたか・・・。

オソトキはアイヌ民話にもあります。
12月の山神の祭礼には、山に入ってはいけないタブーがある。

このオソトキは、しめ縄を飾って拝んでいたオソトキという
「掘り子」は、それを無視して大量の金(金のべこ)を
採掘する欲がでてしまいます。

あらかじめ線をつけておいた場所まで他の炭鉱の者
休んでいることを知り、7人で金採掘をしに山へ入ってしまいます。
すると地響きの音とともに、山が崩れ生き埋めになってしまった。

それから山に入ることを怖れ、休鉱にした。
しかし、オソトキだけは生き残るが、
線を引いていた金のベコのありかが分からず。

その後も、その金を探して採掘に挑んだ人もいたそうですが、
いまだに誰もその線を解読した人はいないという。

 



という伝説なのですが、この話しは、
乙女石金山という金山の間歩(坑道)があり、
この地下には有望な金鉱脈が走っていると言われます。(姫神山の話)


金のベコとか線というのは、金鉱脈のこと?
他に「大人」のことを「うし」というので、
タタラの主という意味もあります。

しかし、謎の線刻とは、ペトログリフを想像するような話。


そして「つるさび石」の大石の組石の一つの表面に、
この辺りの地下深くに眠っているという
「金のベコ」の所在を示す謎の線刻だといわれる
十字型の割れ目が刻まれている。

この線刻は、その昔、姫神の女神のお告げにしたがって
金堀りの山師の長が刻んだものだといわれております。


「つるさび石」は、アイヌ語で「ツ・ル・サプ・イ」から由来し、
「尾根の道を群れをなして一斉に山から里に下る者」の意味があると!?

これって「サンカ」みたいじゃないの。
神々が降りてくるというか、山から風が降りてくるイメージ。

思いだした。
私がオソトキを知ったのは、玉山金山ではなく、
姫神山のオソトキでした。

姫神山と玉山金山に残されている伝説です。

姫神山は、ずっと前に登ったことがありますが、
巨石群がたくさんあり、祈祷場もあったそうです。

姫神山も十一面観音を祀り、ここでも坂上田村麻呂が姫神を
征伐した話しになっています。


■タタラの飯炊き女--------------------

山は女神なので、マタギの風習にもあるように、
女人禁制がありました。

 

 



しかし、「飯炊き女」が、タタラ場に従事する人の世話をする
(飯炊きとして雇われる女)の役目ように語られていることがある。

その飯炊き女の正体が、大体、白狐ということが多い。
これは、製鉄をもたらした稲荷信仰から由来するが、
妖怪のように語られる場合も多いため、
女性が呪術的な働きがあることを示しているもの。

 



要は、飯を炊くけど「女は食事をしない」
いったい、いつご飯を食べているのか?
という疑問をもって家人がのぞいてみると、
人間ではない姿だったという伝説になる。

それが「異類婚」と同じ系統なので、
人とは違う形態をもつ飯炊き女は、タタラ場の入口(戸口)
に立つものなのです。

 



今は、ちょっと廃墟のようになっていて、
「玉乃湯温泉」の方が魅かれる・・・。

涼しかったら神社まで行ったかもしれないけど、
暑いので行かなかった。

詳細は、こちらを。

玉山神社
http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/tamayama/tamayama.html

とりあえず、黄金のジパングに行けてよかったですが、
やっぱり、東北の歴史や古代史探訪をしていると
必ず金がついてきますね。

金の伝承ね。

実は、今日、歴史会メンバーとフィールドワーク的なことをしに、
山形県の慈恩寺にいってきたんです。
あそこは砂金がとれた所らしく、聖武天皇の命で奈良から僧侶が
たくさんきており、秘仏展も今やってます。

 

慈恩寺境内にあった池。

山形の暑さは宮城県民にとって拷問みたいなんで、
涼しくなってから行ってみて下さい。

 



ガイドさんがいつも説明してくださいます。
ほんとにいつ行っても素晴らしいお寺です。

 



※河北新報
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202007/20200727_55004.html

慈恩寺と平泉は「金」で繋がっているので(金鶏が発掘される)
やっぱり、オソトキは今でも健在なんだな、と思うのでした。