暑いので夏だけ水になりたい気分です。
昨日、只見から帰ってきて水の世界へどっぷり
浸かってきたのですが、もう今日は暑くて枯れました…。

土日だけ天候が悪く雨の中、会津へ。
4年ぶりの只見です。

いつも只見へ行く時は、雨です・・・

(というか予定すると雨が多い)

6月くらいには秩父帰省を考えていて、
昨年と同じ会津経由~群馬~秩父入りする予定
でいたのですが、埼玉の感染数が急に増えてしまったので、
帰省はあきらめ、前から予約していた只見だけ行くことにしました。

ところで、8月8日の88に不思議な夢をみたんです。
川に流れてくる女性2人を助ける夢。

海の港のような広い公園に、中東のアジア系の外国人男性が
5人くらいいて、「川に流れてくる人がいるから助けよう!」
と突然言われて私も一緒に階段を駆け降りて川の方へいきます。

すると、本当に女性が2人(20代くらい若い人)が
川から流れてきた(泳いできた?)ので、外国人が女性を陸にひきあげるんです。
そばでそれを見ていて、とても慣れていて頼もしい自衛隊みたいな。

女性は生きていて、助かった~となり、
私は水で濡れている洋服を取り変えないと、と思うのですが、
いつの間にか着替えていました。

一軒の平屋の集会所みたいな家があり、そこへ2人の女性と入ると
おばさんがご飯をもって食事の用意をしてました。
宴会があるような感じです。
法事ぽい。

そんな夢でした。
水難事故が多いから見たのかもしれないのですが、
たまに、夢の中に知らない人が登場して、
亡くなっている人だ、とわかる時があります。

あの世の世界なのかどうか、亡くなった人がいく世界は
この世と全く変わらない世界があり、
身内のように親戚らしい人(たぶんその人の親族か先祖)
が迎える・・・という逆お盆な夢。

会津へ行く日だったので、
どんな旅になるんだろう~と思っていたのですが、

面白い旅になりました。


いつも只見へ行く時は、雨が降っているので、
水深い森のイメージです。

 

※霧幻峡の展望から

 



とにかく、水・水・水・森・森・水・・・というくらい、
水の割合が高い所です。

 

※遠くにみえる青い屋根の家は、渡し船で行く所みたいです。

このあたりが渡し船の乗り場だったと思います。

 


地元の人は「何もない」とおっしゃるのですが、
関東人からしたら、何もない=自然が豊か。
なので羨ましいです。(秩父も何もないが)

あまりにも深すぎて、雪も多いため、
只見の方までやってくる人は、昔もほとんどいなかったので、
秘境と言われるだけあり、すごいな~と関心してしまいます。

 



■只見川の川霧------------------------------

只見の民宿で1泊してきたのですが、
只見川沿いをひた走る川霧の光景は、素晴らしいです。

 

 

※まっすぐに立つ霧が不思議。(道の駅から)

天気も雨が降ったりやんだりしてましたが、
大雨になることはなく、問題なく川霧を堪能してきました。

雨のせいか、この日は霧が特に多く途中で車を止めて、
写真をとる人を多く見かけました。

 



なぜ、こんなに只見川に霧が多いのかは、
意外にもダム!だったのです。

自然現象ではなく、人工によって引き起こされた川霧。
意外でした・・・。

 

※霧幻峡の向かい(つるの湯温泉近く)


『豊富な水量を持ち、電源開発が盛んな只見川には数多くのダムがあるため、
この霧幻峡の流域も川は堰き止められ、流れはほとんどありません。


 

そこに尾瀬などを水源とする冷たい水が流れ込むため、
只見川の水温は夏でも非常に冷たいのです。

 



そこにあたたかい空気が触れることにより、
こうして大量の川霧が発生するのです。

 



川霧が発生しやすいのは、夏の早朝、夕刻の遅い時間ですが、
気象条件によりこの光景が見られるのは年間30日程度ともいわれています。』


LINEトラベルより
https://www.travel.co.jp/guide/article/33974/

 

※遊歩道

そうだったのかーー。
「流れがない」で納得。


本流をせき止めたから流れがないのか!
只見川は静かな川だな~と思っていました。

 



川霧は、あんまり見られないようだから、ラッキーだったんかな。
でも複雑。

そういえば、久しぶりに行った道の駅「奥会津かねやま」
へ行ったら、新しい建物が出来ていました。

「東北電力奥会津水力館」
ちょっと立ち寄って見学してきました。

 



センスがよろし~い建物です。
館内はアート作品もあって、ゆっくりできました。

 



館内に「白洲次郎(しらすじろう)」の展示があって、
東北電力の親分です。

『「1951年(昭和26年)5月には、日本発送電の9分割によって誕生した
9つの電力会社のうちの1つ、東北電力会長に就任した。

また、9電力体制を作った「電力王・電力の鬼」松永安左エ門の
私的シンクタンク・産業計画会議の委員に就任した。』

(Wikipedia)

 



こんなのもあって、思わず写真をとってしまったのですが、
五芒聖のイスは、白洲次郎がデザインして、
マッカーサーに贈ったもの
だそう。(複製です)

※イスに座って記念写真がとれるようだが、パス!

五芒聖は、マッカーサーの象徴との事。
確かに、戦争中、日本の軍服は五芒聖があります。
フランスでも五芒聖だったので、戦時中はセーマン・ドーマンの
祈祷の意味があったのか、日本だけではなく欧米でも用いられた五芒聖です。

海女さんたちが、海難事故を防ぐために用いた祈祷のマークです。
マッカーサーもそれを利用していたわけですね。
ここでも水が関係しています。

白洲次郎は、インテリアに興味があったらしく、
物作りが得意だったそうです。

 

水力館からみえる只見川


■田子倉ダム-------------------------

翌日、旅館の女将さんに、只見で何かよい所ありますか?
と聞いてみたら、近くにある田子倉ダムをすすめられました。

4年前にも行っているのですが、今回も行ってみました。
帰る日も朝は曇りだったのですが、この日も只見川は川霧で神秘的でした。

私は秩父なので、ダムは嫌いですし村が沈んでますし、
ダムは推進していません。

 



田子倉ダムは、只見湖ともいい、

「発電所は、出力65000KWで、平成1年7月運転を開始した。
只見ダムは高さ30m、長さ582.5mのロックフィルダム、
只見湖から落差約20m、水量375立方メートル/秒を利用した
水車発電機は出力世界一の円筒形水車(バルブ水車)。」

 



65000kW=65万W?
電気を最も多く消費する夏の暑い日中のピーク時は、
およそ1億6000万KWだそうです。

KWは、電気の強さなので、量ではないそうです。
ピンとこないけど、夏の消費が半端ないことの方がすごい。

それで、このダムも村が沈んでいるそうですが、
近くにまだ集落というか、民家や畑があったのがちょっと驚きです。

白洲次郎の展示で、ダム建設の視察をしている写真がありました。
安全帽子をかぶった作業員とスーツ姿の白洲次郎が、
いわゆるホワイトカラーとブルーカラーの対比写真です。

白洲次郎は、マッカーサーに強く影響されてきたんだな、
という印象をもちました。

 



この時代はそうだったのかもしれませんが、
この日は、折しも長崎に原爆が落とされた日でした。

実は、この田子倉ダムが只見川の本流をせき止めていたのです。
本流をせき止めて作られたダムにより、
川霧が多く発生するようになった由縁のダム。

 


複雑な思いです。

ただ、美しいことだけを追求するのでは、
本質は見えてきません。

2回目にして、ようやく知ったことで、
その裏に何が起こっていたのかは、意外にもダムという水であったことが

わかった旅でした。

 

水は生き物です。

良くも悪くも、人間が扱うと取り返しのつかない事故にもなります。

そのおかげで、私たちが神秘的な体験をしているのならば、
数多くの犠牲のうえで生きていることを
自覚しなければなりません。

それを感じただけでも十分、供養になると思います。
知るのと知らないのとは、全然違うので。

※只見町のサイト(田子倉ダム)
https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/facility/000584.html

ということで、今回、行きは米沢~喜多方~只見入りしました。
旅の道中、いろんな発見がありましたので、
いろいろ書いてみま~す。