羽黒の玉川寺へ行く前に、庄内を通りました。
その道を通る時、ずら~と鳥居が山の方に並んでいるのが見えるので、
鳥居の先はなんだろう?と思っていたのですが、
いつもそのまま通りすぎてました。

今回もまたその道を通ることになり、
気になっていたので立ち寄ってみました。

 



■白狐(びゃっこ)伝説----------------------

お寺の名前は「光星寺(こうしょうじ)

『開山は恵通善知大和尚、開基は住宝波伝密九師大和尚。
羽黒山に滞在していた住宝僧正が、
東北に瑞雲がたなびくのを見て霊感を感じた。

 



ある晩、夢の中に青衣を着て白狐に乗った天女様が現れ、

「我は貴僧の望んでいる霊地の守護神なる大弁財天である。
貴僧が浄業を修せんと望むなら、
我が同体の身分なるダキニ天の白狐を遣わす
その先導に従って参られよ」


と、告げた。

 


数日後、白毛金尾の老狐が現れて先導を請うた
白狐の後に従っていくとあの瑞雲たなびく森に、
護国宇賀神王菩薩大弁財天の安座している霊場」についた。

僧正は、この地に持念仏となる十一面観音を本尊とし、
大弁財天、ダキニ天の三尊を祀ってお堂を建立した。』


といった伝説があるお寺です。

 



宇賀神なんですね。
蛇が渦巻いている独特の宇賀神ですけど、
ウカノミタマは、食物神です。

 



雰囲気が中国に来たみたいで、立派でした。
この日、ご祈祷を希望される方が数名おりました。

 



中を拝観させて頂き、お寺の方たちも親切でした。
御堂の中も立派です。
歴代の住職さん?開祖?の
絵の額があり、生きてるみたいでした。

圧巻されるような空気は、山形県のとある虚空蔵菩薩堂に
行った時と同じような感覚でした。

何か像があったんだよね。
なんだっけ~。
その像がすごかったよ。
願い事を聞いてくれそうな。

帰る時にパンフレットを頂いたので、
境内には他にもいろいろ拝観できる所がありましたが、
くまなく拝観してませんでした。

 


動画をのせておきます。

 


■庄内三十三観音----------------------------

庄内三十三観音の一つであり、全国から多くの人が巡礼に訪れる寺院。
貞観3年(861年)に羽黒山に留まっていた住宝僧正が、
白狐に導かれて開山したといわれ、庄内町では唯一の神仏習合のお寺である。

出羽三山信仰に基づいた「モリ供養」という独自の習俗があり、
白狐山は「東の森」と呼ばれている。

 



眷属が白狐なので、
本堂の2階に、ガラスケースにダキニ像に守られて
白狐が祀られていました。

珍しいですよね。
化身の像ではなく、白狐の木像がありました。
剥製のような感じもして、結構、リアルだったなぁ。

インド由来のダキーニなので、羅刹です。
鬼神の総称。
インドは、難しいのでパス~。

 



※ダキニちゃん。

■ウカノミタマとは-----------------

あまり詳しいことがわからないのですが、
ウカノミタマとは、(wikipediaより)

『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、
『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。

名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である
また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、
特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、
「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる。

伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。
ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは
室町時代以降のことである。
伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

 


※伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社のこと。
 

御稲御倉神とも称する。

これは、プラントオパールのことではないかな。

鉱石→植物を発見したこと。

その技術というか、発展。


そういえば、秋田県の唐松神社(秋田物部文書が保管されている)
のそばに「三倉神社」がありましたが、これも「みくら」です。

ウカノミタマは、古くから女神として祀られたそうです。


※木造宇迦乃御魂命坐像
(滋賀県守山市・小津神社所蔵、重要文化財)平安時代の作。

玉依姫みたいですね。
豊受姫の別名とも言われます。

鳥海山に大物忌神が祀られているのは、豊受大神がルーツで、
伊勢神宮にある御倉神のことと同一と思われます。

大物忌とは、
「奉下されたイネは大物忌の子らは臼で撞き、竈(かまど)で蒸し、
炊き上がったご飯を笥(け)に盛って神前に供された。
御飯は内宮・荒祭宮・滝祭神に捧げられた」


内宮と同じ唯一神明造の神社であることから、
格式高い神様です。


※神明造を代表する皇大神宮

神明造の神社の建築について、
高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように
変化したと考えられている。

神明造の社殿を持つ神社は、
江戸時代以前は伊勢神宮の他は伊勢神宮の神領地などに限られていた


しかもその社殿をもっている神社に「籠神社」がありました。
これが閖上とウカノミタマに繋がるのです。
海部氏のこと。

籠神社は、真名井の泉があり豊受大神です。
妙見信仰の相馬の真野(マナ)がある!

■籠神社が登場------------------------

そう考えると、九州に日向があり魏書に「トヨ」があり、
「投馬国
」というのが実在していた話しがあるんです。
3世紀頃だったか。
その国には「ホオリ」の子孫が祀られています。

 

投馬国と聞いて、神話に
「スサノオノミコトは、斑(まだら)模様の馬の皮をはいで、
その死体を機織場の天上に穴をあけて投げ込んだ」
話しを思い出してしまいました。

以前、日向の古墳の写真をのせたら、それは400年後のホホデミの子孫
と、読者の方から教えて頂きました。

それがここで繋がったみたい~?
日向で息子が生まれ姫が生まれてなくなり、
姫は「都万神社(つまじんじゃ)」にコノハナサクヤヒメとして祀られていると。

もしや・・・山神社にいったのはこれかね?

その後、豊国宇佐の豊玉姫と結ばれ、
豊彦と豊姫をもうける。


記紀では「トヨスキイリヒコ・トヨスキイリヒメ」。

夫が亡くなってから宇佐に夫を祀り、
女王として魏と交流して八本の旗を受け取り、
宇佐に掲げたのが、宇佐八幡宮の由来という事を。

巫女の継承は「トヨ」と記される。
日向=天孫降臨地=都万国=魏書でいう投馬国とされる。

 



相馬の真野にあるのは、冠嶺神社(さかみね)です。(写真)
「奥相志」によれば、天津彦火邇邇芸命・天津彦火々出見命
・八龍大明神の三座 を祀る。

そう、ニニギと彦火々出見命(ヒコホホデミ)。
それに八大竜王とは役小角にも関係する。

 

野口五郎なホホデミさん

泉にいった宇佐八幡宮とも繋がるんだよね~。
その影に「籠神社」がある。。。真顔 

 

冠嶺神社に参拝した時、新潟・山形県で大地震があった時でした。

(山形県沖地震 昨年、6月18日)その後にいったと思う。

真野川がつく所は、以下の通りで、佐渡と佐賀県大津なんですよ。

 

・石巻市北上川水系

・相馬、南相馬、飯舘村の河川

 ・新潟県佐渡の河川

・滋賀県大津市の河川

■閖上の弁財天---------------------------

名取の閖上に祀られる富主姫は、
「竹生島の弁財天」
です。(滋賀県)

 

竹生島も宇賀神。
竹生島弁才天は、市杵島比売命です。
=斎き島

 

卑弥呼(日の巫女)がいた所は、「斎」とつく地名があると思う。

 

被災した富主姫



※日和山に移されています。

支倉常長は、伊藤家の系譜です。
伊藤家に関係する人が祀った弁財天だったのですが、
「伊」の国なんですよね。

竹生島にあるのも、宇賀神です。
ここでなんと、由良川のことが書いてあった!

「扶桑略記には、丹波国、熊野郡川上庄海部里を国府とし、
館を造り、もって海部直の祖、建田背命と、
その子和田津見(わたつみ)命をまつるが

福岡県宗像の志賀海神社と同じ祭神である。

 

あまり知られていないが、
由良川下流一帯も海人族にまつわる伝承を多くとどめている。
由良川河口の一帯は、古くは凡海郷(おおしあま)と呼ばれている。

 



※籠神社より
http://www.motoise.jp/amabe/

 



でた、海部氏。

亀にのってるし。
由良川と繋がっていた。

豊玉姫のワニは、石巻にある和邇一族と思われ、
鬼退治にされた魔鬼女がいる場所です。
ワタツミを祀っています。

なので、由良と閖は、同じ所で繋がっていて、
宗像三女神を氏神としていた一族だったと思います。
(ウカ神は宗像系海人族)

閖上も上陸してる?

ハイヌヴェレ伝承を残すトベに、稲荷信仰が吸収された?
後に、東北は、和邇一族の影響を受けることになります。

そのため、岩沼にお稲荷さんの竹駒神社が祀られる。
小野篁は和邇一族らしい。

それに、閖上が「ゆりあがった」のは、観音様ですが、
「飛龍大権現」と言われ、元は「羽黒」です

ちなみに、羽黒修験では、聖観音を本地仏とします。
名取の高舘山(那智神社がある)にも、中世、
多くの聖観音の懸仏が発見されています。

 


由良の羽黒と、閖の羽黒は繋がっているのは、確かです。
なので、物部や阿部姓が多いんですね。
こちらの氏族の方が、強かったから
伊勢の藤原家は、陸奥にきても
物部や阿部氏たちに吸収されていったと考えられると。

■三角は「みかど」-----------------------------

そんな名取の歴史を、由良へ行った後に聞いたので、
不思議なご縁で由良を巡ったのだな~、
と今となってみては、全部繋がっているのでした。
というか、繋げた。

そうそう、イネハポみよさんが言霊に詳しいので、
こんな事を教えてくれました。

前回、私が辿ったみちをマップで線をひいたのを
のせていましたが、
三角は「みかど」で「帝」のこと。

玉は、三種の神器に必ず飾られるもので、
玉、鏡、劔。

玉=鈴(玉ばあさん:玉川寺)
鏡=亀(妙見信仰:太田妙見発祥地)→真野もかぶる
劔=鶴。(機織の小手姫:鶴の恩返し:秦氏)

というようなことが、三角に繋がっている感じ?
と教えてくれて、面白いのです!

それで、調べてみたら、「帝」に通じるので「みかど」は忌言葉で、
京都の都では口にすることを
しなかった言葉だったそうです。

三角錐の形をした蕎麦の実が三角な為、
「そば」も忌言葉だったそうです。
で、蕎麦の葉と葵の葉も形が似ているので、
葵も隠語だったと。

なぜ葵がそうなのか、よくわかりません。
三角形には見えないけど・・・。

葵の家紋

(葵祭りがある上賀茂神社には、藤原実方を祀っている場所がある)


実は、葵は、「青」に通じる言葉なんです。
古い万葉仮名でいうと「あふひ」で「逢う日」とかけあわせて
歌にしていたそうです。
そこから、夜通に変化し男女の密会と解釈されるようになる。

しかし、西洋では「ホーリーホック」なので、
ホーリーは聖なる祈りですから、アオイは、
キリスト教から伝播されたとも言われます。
そこからマリア信仰に。

 

出羽三山の鳥居(とおーい)


帰りはどこにもよらず、ひたすら自宅をめざす。
月山麓は、どしゃぶりの大雨。


ということで、相変わらずディープな探訪は、おしまい。