あっという間に4連休が終わってしまいました。
連休は、友達とランチしたり、コロナの自粛でしばらく会えなかった
仲間たちと久々に会って充実した休日でした。

1日だけちょっと出かけようかな、と思い、
山形の日本海まで行ってきました。

主人が海好きで(デタ、栃木県民の海萌ぇ)
「由良に行きたい」となった。。。

・・・ゆら。

遠かった~。
さすがに日本海までの日帰りは強行でしたが、
マニアックな旅ができました。

せっかく由良にいくなら、はちこさんの妄想をしようと思いまして。
女の子じゃない・・・。
蜂子皇子。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E5%AD%90%E7%9A%87%E5%AD%90
※蜂子皇子についてはこちらを。(wikiです)

久々に最上川沿いの戸沢の道を通りましたが、
今日は日本海で大雨洪水警報があって、
最上川などが氾濫して、鶴岡なども。
各地に被害がでているそうです。

また、雄物川も。

毎度、氾濫する河川なので大変だと思います。


気をつけてお過ごしください。
早く梅雨があけるといいですね~。

さて、由良へ向かう途中、羽黒にある玉川寺に行ってみました。

 



■玉川寺の伝説-----------------------

このお寺は庭園が有名で、以前からお寺のことは知っていました。
ほとんどの人が、出羽三山へ行ってしまうと思うのですが、
私はこのお寺に伝承される「姥神or玉ばあさん」に会いたかった。

 



入口にある石碑に興味津々。


羽黒大権現は、
出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道に基づく神仏習合の神である。
本地垂迹説に基づき聖観音菩薩を本地仏
「権」(かり)の姿で現れた垂迹神とされた。

 



石碑の隣に姥神らしき像。

私は姥神が好きなんです!


※羽黒大権現


ちなみに、2014年蜂子皇子のご開帳に行ったのですが、
白い中国の仙人みたいな像でした。

 

※出羽三山神社境内の蜂子命社(右)だったかな。。。忘れた


ちょうど、一番前の真ん中に座ることができて、
大きな百合の花の香りが漂っていて、その香りが印象的でした。
そのせいか、蜂子皇子には、女性的なイメージを感じます。

 



由良の八乙女伝承は後に書きますが、
蜂子皇子伝承の中に、玉川寺が登場していました。

蜂子皇子が由良に上陸した後のこと・・・

『小高い丘の松の下に蜂子皇子は腰を下ろした。
つい、うとうとした夢の中に、白いひげの老人が現れ、
この先の分かれ道では、桔梗(ききょう)のたなびく方へ進むよう告げた。

目を覚ました蜂子皇子が歩いてゆくと、夢の中で老人が言った通り、
別れ道に出、たなびく桔梗に従って道に迷うことなく進むことができた。
すっかり日が暮れ、明かりを頼りに訪ねた蜂子皇子が戸を叩くと、
出てきたのは一人のおばあさんだった。

蜂子皇子は、東の聖なる山を目指しており、
休ませて欲しいと頼んだ。
おばあさんは、玉と名乗り、夜、山に入るのはやめ、泊まるように勧めた。

翌朝、蜂子皇子は玉から道を教えてもらって東を、目指した。
後にここに建てられた玉川寺(ぎょくせんじ)に、
「玉刀自(たまとじ)」観音として祀られているのが玉だという。

 


玉川寺の創建は、今から700年余前の鎌倉時代(1251年)に
開かれた曹洞宗(禅宗)の寺院とあるので、伝説の時代とは合いません。

この寺を開いた了然法明禅師は、朝鮮高麗国の生まれで
中国の径山寺で修行され、日本に渡来し、この地に留まり禅を広めました。
大本山永平寺開祖道元禅師の高弟でもありました。

 



※玉川寺サイト
https://www.gyokusenji.or.jp/

蜂子皇子は出羽三山を開山した人なので、
その由来として、玉刀自を登場させていると思います。

 



出羽三山は、本来は「葉山(羽山)」です。
鳥海山も含まれていました。


まずは、庭園の写真を。

紅葉の時期にも来てみたいな~。

 



こんな部屋に住んでみたい・・・。

あこがれ。

 



ここでは抹茶を頂けます。

 

 



蚊とり線香がおしゃれ~。

 

 

 


ちょっと上の方に御堂がありました。

 

 

 

開山堂

それで、蜂子皇子伝承にある「玉」と名乗るおばあさんを「刀自」
と呼んだところに、ひじょーに興味をもちました。

玉川寺の入口にある「羽黒大権現」とは、
羽黒別当に関わるお寺であるからですが、
入口に祀られるのは、決まって「姥神」です。

 



山の峠や入口に置かれる姥神は、
あの世とこの世の境界におかれます。


蜂子皇子を導いた玉というおばあさんは、
地元の「トベ」のような存在だったという妄想。

山形県には姥神信仰が多いです。
伝承にある観音さまがどんなものか、観てない。。。というか、
庭園ばっかりみてて忘れてました。


地元の資料などを調べているわけではないので、確証はないですが、
入口にある羽黒大権現が玉ばあさんな気もする。

伝承にある「トジ」は「トベ」に関係します。
蜂子皇子をサポートした刀自とは、
「地主神」とされた巫女的な存在があったかもしれません。

稲荷大明神


■玉刀自というお母さん----------------------

愛読している津名道代先生の『トベ達の悲歌』を参照。

大刀自(おおとじ)の神=地主神のことで、
トベは国名や郡名といった広域地名を冠とする。


万葉集に

「母刀自《はもとじ》も玉にもがもや戴きて
角髪《みづら》の中に合へ巻かまくも」


というのがありまして、この刀自の意味とは、
母ごころ的な「お守り」の歌の意味があるとの事。

角髪とは、両耳のあたりで束ねる古代の髪型のことで、
母が珠だったらそれを頭に束ねて飾れるのに。

といった意味があります。

髪は霊的な意味があるので、
トジも霊的な意味をもつ指導者な性格をもつため、
蜂子皇子を導いたのは、巫女の性格をもった在地の女性指導者
であったと考えられるのです。

しかし、トジは、奈良時代あたりから言葉が消えたとされる。

もし、玉ばあさんが、縄文の末裔であったとしたら・・・
蜂子皇子は、数多く残る縄文遺跡の遺品に、
魅了されたことはないのだろうか。

翡翠の存在に。。。

■翡翠の飾り-----------------------------

日本海は翡翠が有名ですが、羽黒町には「玉川遺跡」があります。
玉川寺の中に小さいけれど、玉川遺跡展示館がありました。

 



玉川遺跡は、数多くのヒスイの勾玉が発掘されているのです。

 



これは「タケミナカタ」の「出雲」に関わる話しならば、
とても興味深いのです。

秋田物部氏にも関係してくるもので、
佐渡~出羽へ向かった意図は、「金鍛練」です。
「金属製錬集団」

彼ら出雲と安部氏が中心となって、
東北を治めていた理由になると思われます。

後の「舞草刀」や「蕨手刀」に継承され、
エミシが強力になっていくわけです。

翡翠は、朝鮮半島の伽耶でも発掘され、
しかも、「日本産の翡翠」だったというのだから驚き。

日本と伽耶国で翡翠の交易が活発にあったのです。

翡翠とタタラの出雲が、どこか出羽国で交差している気がする。

翡翠とも言われるヤサカトメの伝承に、治水がありました。

川合神社の伝承によれば、海水が氾濫していた昔、
建御名方神と八坂刀売神は治水のために水内郡の山をうがち、
越の海(日本海)へと水を流し出して、始めて平地を得た。


ヤサカトメの「トメ」も在地の守護神とされ、
技術者のヒメ・ヒコ制度をもつ夫婦神=道祖神になっています。
諏訪にはその痕跡がありますね。

蜂子皇子をサポートしたのは、翡翠の玉とも言えそう。
魅了的な話しですが。

「ミホススミ(美穂須須美)」という越国の姫がいます。

伝説では、オオナムチの妻との事。
タケミナカタの姉か妹か、タケミカヅチに服従して出雲にきた
話しもあります。(ヤサカトメと似てますね)

■出雲の影---------------------------

蜂子皇子伝承には、聖徳太子が登場します(聖徳太子の甥にあたる?)

聖徳太子の助言により蜂子皇子は出羽へ向かった話があるのですが、
ルーツは、葛城?

太子信仰のある場所に「科長神社」がある。
風の神、シナツヒコ・シナツヒメ。
そして「二上山

 

※『トベ達の悲歌』より

 



二上山は2つの峯があり、大小を兼ねている。(雄岳と雌岳)

スピリチャルでは、シャスタ山的な感じ。(標高は低い)


これは多くの山に付けられる名で、
武甲山も東側の二峯を大持山、小持山と言ったりする。

 

なぜか、小野妹子の墓が・・・。

河南町・・・カナンといえば、常世岐姫神社。

というトコヨは、湯殿山に石碑としてあります。(画像↓)

 

 

壬申の乱で活躍した帰化人が関係している神社で、

赤染氏」という人たちでした。

常世氏の姓を賜ったことで常世姫神を祀ったという。
染色技術者であり、本宮の由来によると秦氏が建立したとある。

 

科長神社と同じく、
山形県にあった大物忌神社・小物忌神社も同様。
酒田市にある小物忌神社も、
級長津比古命(シナツヒコ)、級長津比賣命(シナツヒメ)、
そして、豊受比賣命(トヨウケオオカミ)なのです。

 

※小物忌神社

シナツヒコは、イザナミが朝霧を吹き払った息から
級長戸辺命(しなとべのみこと)
またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であるとされる。


津名先生によれば、
この風とは、「おろし」の事であり、
颪」という下に風の漢字を用いる。
と解釈されていました。

これは岩手県にある「オロヘシ」のことだ。

 

オロシエ神社、(又は於呂閉志:オロヘシ神社)というのが

岩手県のアテルイが戦った胆沢にある。

胆沢にあったオロシエの場所は、多くのキリシタンがいた所であり鉱山があった。
秋田には鉱山がとても多い。

 

延喜式に、胆沢郡には7社神社があり、その中のひとつ、

止止利神社(ととり)神社は、秋田物部氏の祖、那加世という人を

伴って来た鳥取氏の氏神という。(白鳥部というのがあった)

その「オロヘシ」という言霊は、強い風が吹くフイゴを表し、
タタラ製鉄の言葉であるとも言われる。


離島にある「飛鳥(とびしま)」という島は、
UFO飛来地として昔から有名でした。


この飛鳥の島にも小物忌神社が祀られ、
社伝では大和国龍田大社からの勧請であるという。

 

そう、斑鳩の龍田神社と同じ

 

※遠くにぼんやり見える飛島。


「聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、
白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い」

という伝承。

本殿に祀られる天御柱命は、
級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)

のこととされているため、斑鳩や龍田大社の由来(風の神)が、
そのまま出羽国へもたらされたようなのです。

ここもヒメ・ヒコである男女神。
龍田比古大神
龍田比女大神


太平洋側にもある!
南三陸の「荒澤神社
この神社も斑鳩の龍田神を祀っているのです。

 

※荒澤神社

しかし、鹿島のタケミカヅチが南三陸へ航海してきている。
事代主の一族を追って。
というのは、「出雲を追って」の意味。


その痕跡に、風の神が祀られている。
つまり、難しいけど、出羽三山信仰のひとつであった

鳥海山には豊受大神が祀られている。

 

それ以前は、シナツヒコ・シナツヒメという

ヒメヒコ制度をもつ古来の女首長(卑弥呼の)

母系社会があった先住民の聖地だったと思うのです。

 

また、それは古来の製鉄民がいたことも示している。


なぜ、飛鳥という名の島なのか。
「とびしま」か「あすか」の読み方によって違うと思うが、
飛鳥神社(あすか)が酒田市にあり、
祭神は、八重事代主命、配祀神:スサノオ、オオナムチ。
大同二年創建。
十一面観音を彫刻させ安置し、それから飛鳥大権現と称した。


「飛鳥(とびしま)は、新潟県の粟島、
佐渡島とは一直線に結ばれた海の道であり、
古来より交流があった。」


コトシロヌシとは出雲です。
エミシが崇拝している神とも言われる。


住んでいる土地の所有権利や財産、資源をもつのは、
母系社会があったころは女性でした。

出雲が早くに出羽に入っていたから、出雲熊野大社が南陽市に祀られる
蜂子皇子を導いた影に、出雲があると思うのです。
出雲族(出雲にいた末裔)がいたから出羽へいった?

しかし、出雲が具体的にどんな存在だったかは、
よくわかりません。

出雲などのタタラの技術や、稲作と青銅器文化の到来は、

日本海から入ってきている。


優秀な鉄の技術をもっている出雲と安部氏や物部氏などの主となる
豪族が東北で開拓し、子孫を多く残しているという話しを、
4連休の最終日に、地元の方から聞いたのです。

なぜ、こんなにシンクロするのか。
やっぱりあの夢かもしれない。。。

次は、由良へ。
行く途中、偶然たちよった神社も、
出雲に繋がるのだろうか・・・。

急に、出雲が気になりだしたのですが、謎が多い~。

まだまだつづく。