先週行った話しです。

 

やっと行ってみました。
大崎市田尻にある縄文遺跡

なぜか、ここに1体だけ、ほぼ完全な姿の遮光器土偶が発掘された場所です。

 



『篦岳丘陵の西北端から東に延びる低丘陵斜面にあり、
1943年(昭和18年)に、桑の木の根を掘ったときに、
縄文時代、前1000~前400年頃のものと推定される
高さ36.1cm、
肩幅21.0cmの遮光器土偶(東京国立博物館蔵:国の重要文化財)が出土し、
1981年(昭和56年)6月に国の重要文化財に指定された。

当遺跡からは他に、縄文時代早期、前期、中期、後期、晩期の土器片が出土した。
今から約7千年前より、この地域に人が住んでいたと考えられている。』

 



完全な状態で発見されることは稀なのです。
体の一部が欠けていることが通常ですので。
なぜか、ここのしゃこちゃんは、完全な状態で眠っていたことが
とっても不思議なのです。

誰かが埋めたみたいですよね~。
ロマンが広がります~。

穴がいっぱい空いているのは??
諸説ありますが、「氣」の通りとか、
呪術的に用いられたと考えて、鳥の羽をさしていたとか。

 



よくみると、大きな穴が第1チャクラにあるんですよね。
パワフルな土偶さんだな~と思います。

このあたりは、「○○遺跡」と看板が多いので、
縄文集落が広がっていたようです。

でも、実際、行ってみると、草ボーボーでした。
国の重要文化財になるほどの貴重な発見!

が、あった場所とは・・・想像つきません。

 



こういうところが、宮城県だな、と思う・・・。

 

 

雑草にうもれるユリ

 

ただ、縄文ブームとかで迷惑がかかると

地元の人が嫌がることもあるかもしれません。

かえって、ほったらかしの方が、良かったりするのかな。

 

でも看板をのせるんだったら、それなりに整備すべきでは?と思いますね。

だから、ホンモノのしゃこちゃんを、
上野国立博物館(縄文展)で見た時には、感動して、
帰ってきてほしいな~と思ったけど、こりゃ、無理だわ。
※レプリカは公民館にあるそうな。(行ってない)

ちなみに、こちらは、
青森県亀ヶ岡遺跡のしゃこちゃん。

 



のどかな所にあります。

 

 

 

 

恵比須田遺跡の裏あたり。↓

 


■不思議な土偶さん--------------------

縄文については、RさんとNさんとのご縁で世界が広がりました。

繋げてくれてありがとう。


数年前に、縄文土偶を作る会みたいなのにRさんに誘われて参加し、

(青森の土偶制作者の柴谷さんと)
へなちょこだけど、自分で作った小さな2体の土偶さんを、
今も大事にしています。

 

■遮光器土偶とは----------------------------


Rさんから面白い話しを聞いていて、
八幡平付近に遮光器土偶が多く発掘されるそうです。
青森県と思いきや、実は、岩手県に多いそうです。

こちらに岩手県で出土した土偶や土器がのってます。

※埋蔵文化財センター
http://www.iwate-maibun.jp/gallery/gallery3

そのあたりで発掘されたのを「遮光器土偶」といい、
そこから各地に伝播して作られたものには「」とすると。
製作した場所と区別するために、

他の地域では「遮光器系土偶」と呼ぶのだそうです。

Rさんから頂いた資料から参照にまとめますと・・・・

 



本来の製作地である東北地方北部以外から発見される
遮光器土偶は、「遮光器系土偶」と呼ばれる。

「~系」の土偶は、最大、北海道中央余市~神戸市までの範囲にみられ、
関東地方を中心にまとまった点数が出土している。』


「製作している場所が東北北部」で、
そこから各地に伝播して真似して作られていた土偶なんですね。

ちなみに、蝦夷柵として作られた秋田県の払田柵は、
東西南北四方に「掘立柱」を使っているのでした。

 



この柱の用途は、主に祭祀に使われる柱です。
有名な三内丸山遺跡や真脇遺跡がそうで、
主に竪穴式住居なのですが、掘立柱は穴をほって柱を建てるのですが、
大きい集落に限られるという。

 

※秋田県払田柵

東北北部には、亀ヶ岡遺跡の他にも大集落が点在しており、
土偶がたくさん作られていました。

亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶は、北海道南部~長野県まで広がる。
この頃、関東では「安行文化」が栄えており、
ミミズク土偶と言われています。

なぜ、遮光器土偶が作られたのかは、
出土地の模様が多く模倣品が主体であることから、
優品であるために運ばれたわけではない、と。

模倣品が多いということは、誰かが移住してきた時に
もってきた土偶さんをみて、亀ヶ岡文化の勢いにあやかり、
その呪力に頼ろうと地元の人が、作って真似した
ことが、
模倣品の多さである、と説明しています。

興味深いのは、模様が各地域によって違い在地の模様を施すのは、

帰属意識」があった為と考えられ、
方言と同じように、その土地にあった模様を模倣していた
と考えられるそうです。

様々な土偶が発掘されていますが、
縄文ビーナスというのも、また、ハイヌベレを想像する
母体(母系)の社会があった名残ですね。

遮光器系土偶をアラハバキの姿と見る意見が多いですが、
だとすると、あの目は、蛇ですか?爬虫類というか。

魚の目?でもあるね。

人類は魚だったから。


でも眠ってますね。

閉じてます。

 

しゃこちゃんは眠っているけれど、夢をみる人間の世界に、

入ったり出たりしているのだと思います。

 

エスキモーのメガネとかいいますが、どーなんだか。

ならば、わざわざ壊す必要ないよね?

土偶を作ってきた職人が、女性だった説。
家にいることが多いのは、女性だったので、
土偶なり、モノ作りは、お母さんの役目だったそうです。

小さな土偶さんもたくさん出土していますが、
赤ちゃんの遊ぶ道具であったとか。

おもちゃ説もあって、お母さんが作ってきた土偶ならば、
そうなりますね。


ということなので、女性が縄文に魅了されるのは、
当然のことであり、縄文ブームではなく、そうなるのは必然だと思います。

 

 

しかし、縄文がすべてとか、縄文だけが素晴らしい生き方だった

という考え方は、どうだか。

自我がまだ今とは違うことを考えると、宇宙人感覚だったと思うのですね。

 

縄文と弥生は生活圏を同じ所で共存していたようです。


しかし~、なぜここの大崎の尻なんだろう。
尻って。

周辺にもいろいろありそうですが、民家と畑しかないので、
今は何も痕跡がないです。

地元の方に迷惑ならない程度に、こそっと散策してみてください。

 

この後、北上し、栗原へ。

 

 

縄文から蝦夷へバトンタッチ。