中国山間部の大洪水で、禹がザワザワしてます。
私もだけど。

中国の豪雨が気になるというか、心配です~。
昔から大河の大暴れな濁流を経験してきた中国だし、
日本とは比べものにならないです。

 



看中国より
三峡ダム水位上昇中、危険水位の2メートル超え
https://www.visiontimesjp.com/?p=6065

このサイトに動画があるので、チェックしてみてください。
えらいことになってますわ~。
1940年以来の大災害とか。

世界遺産になっている楽山大仏がダムの目的だったとか、
治水の技術は、秦の始皇帝もそうであるように、
紀元前から大騒ぎをしている国です。

毎回、こんな騒ぎをしているほど、
中国の大河(黄河、長江流域)は大変です。
川じゃなくて、海のような大河。

例えれば、阿武隈川が大氾濫して流れも速い状態が、
常に中国の大河です。
落ちたら一瞬で消える。

やっぱり、四川省の数々の地震は、三峡ダムなんじゃないか、
と思ってしまう。
三峡ダムが崩壊する噂がたってますが、
よくあの大河を支えてきたよ!と、私は関心しております。

何年も前から崩壊の危機とは言われてきました。

そんなダムとはお別れ・・・では困るよねぇ。
決壊したら、日本の10倍の被害ですから・・・

地方が可哀そうなのよ。
山間部の人たちが被害を受けるのは、日本でも昨年の
豪雨で痛い思いをしてきました。

 

※青いラインが長江。赤丸が三峡ダム

もし、ダムが決壊したらあの大河ですから、上海まで至る?

上海留学の時に、お世話になった人たちが、
四川省の方たちでしたので、いつも気にしています。

 



思いだすこと、昨年の夏に妄想してた洪水神話。

■洪水神話----------------------------

禹について:洪水神話は本当にあった?
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/bfbb043b472c90756b6bcc96a3d4777e

から、今回の四川省の豪雨と三峡ダムを思い出してしまった。

存在自体が謎なのに「禹」に尊敬しているのですけど・・・。
中国の水となるといつも禹が浮かんできます。

 



今朝みた夢がたった1行だけの文章なのですが、
秦氏のことでした。
後でその意味がわかると思う・・・。

それで、龍がなぜ中国なのかが、わかったこと。

中国にいた時に龍の気配?太湖で感じたこと
湖の中にあるホテルに泊まったことが、きっかけ。

 

前世の記憶は、杭州の西湖だった・・・

いずれも湖。

 

※西湖(Wikipedia)

なぜ、中国の湖が龍なのかは「禹」のことでした。
禹の漢字を分解すると、「九」と「虫」になる。
これが「爬虫類」のこと。

甲骨文字や金文の古代文字では「雄」の「龍」を現しているのです。
「九」は龍の象形文字であることは、日本でも定説。

サンカが「反正天皇」のことを「真虫」と言っているのは、
「龍」のことかもしれませんが、真虫は蛇です。
日本では蛇が龍に変わっています。

反正天皇のことを、別名「瑞歯別天皇」という。
みずはわけ」というのだから、
水を別ける=治水のことなのでは?
ちなみに生まれは、淡路島。

禹については、以前からいろいろ書いてましたが、
とても興味深い歴史上人物で、実在説もあります。


※最後の禹の終焉地が浙江省紹興市の禹王廟(Wikipedia)

記紀にも登場するほど、日本でも有名でした。
「禹王」の名として登場。
大化の改新あたりです。
なのに、あまり日本の歴史に禹が登場することがない。

 

でも、この場所、七夕シンクロがあった理由のひとつで、

浙江省に関係あるみたいです。
浙江省の嘉興市(かこうし)には七夕「香橋会」と呼ばれる風習があると。

夜になると人々は織姫星と夏彦星を祀り、
幸福を祈り、最後に「香橋」を焼く。

焼く儀式は織姫星と夏彦星が既に「香橋」を渡り、
喜びのうちに出会うことができたということを意味している。


この「香橋」は、伝説の中のカササギの橋が時と
共に変化したものといわれている。

 



Peples Daily Onlaine
http://j.people.com.cn/94475/74312

 

そういう時期なんですね~。

七夕発祥地が伝わる場所に、上海郊外の大倉市(蘇州)らしい。

やはり長江がミルキーウェイなんですね。

 

さて、簡単に歴史を申しますと、禹が建国した夏国は、青銅器文化が繁栄していた時代

この青銅器が重要。
紀元前1900年頃 - 紀元前1600年頃とかなり古く、確定は難しい。

しかし、この時代と大体一致している時に何が起こっていたか、
と言えば、大洪水です。

 

水運(無錫)
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米科学誌サイエンス電子版より
(以前書いた話しを引用してます)

紀元前1900年頃地震によって起きた土砂崩れで、
山峡を通る黄河が半年から9カ月の間せき止められた

その後、ダムのように水をせき止めていた土砂が崩れ、
16立方キロに及ぶ水が下流の低地帯に流れ込んだ。」


ことがわかり、実際、大洪水は起きていたと考えられると。
ノアの大洪水が民間信仰として残されている
中国のフギとニョカなのです。

 

※漢の画像石に見える禹 

その治水神の思想から、禹が関係してきます。

中国のポンペイと言われる
世界最古の麺が見つかった場所として知られる喇家遺跡
埋まっていたのですが、突発的な洪水の堆積物が発見される

「洪水神話はあった」と、うなづけるような証拠が見つかったという。

その大洪水について、ある専門家によれば、
「人工的に下流に放流したことが原因では」という説があった。

禹は「治水神」といわれ、その大洪水がきっかけで、
夏王朝が誕生するわけです。
それで生まれた言葉が「疎通」です。(後で説明)

夏国が誕生した背景には、黄河流域の流れを意図的にせき止めた、
ダム的な技術をもっていた?ために、引き起こされた大洪水と地震…
ということが、繋がっているという想像です。

まだ想像の範囲。

そんなことが紀元前に行われていたと考えられ、
秦の始皇帝も関係し、長江は人工的に湾曲に流れているそうです。

私が上海が好きになり縁をもったのは、
長江に繋がっているからです。

数々の治水技術の偉業を先祖たちが行ってきた長江。
海にそそがれる所が、浙江省 です。


※無錫
この場所が運河のスタート地点で長江へ繋がる。

夜の運河


■秦氏も治水神?-------------------------

秦の始皇帝の時、統一完成された霊渠(れいきょ:運河のこと)が
最初の本格的な工事で、長江と珠江を連絡し、
長さ20キロに及んだ。

都江堰(とこうえん)は、四川省都江堰市西部の岷江にある
水利・灌漑施設です。(写真↓)

 



紀元前3世紀頃秦の蜀郡郡守李冰(りひょう)が、
洪水に悩んでいたことから、原形となる堰を築造したと言われます。

 

※李冰の像

日本語でも使われている「疎通」という言葉。
意思疎通などと使いますが、
禹の「疎通」から来ています。

「塞ぐ」のではなく、「導」という流れのこと。
川の水を導き、海にそそぐ。

「ふさがった所を分けて通す」意味。
儒教らしい仙人の言葉。

なので、三峡ダムについて、禹は「疎通せよ」と言っているのですね?

ダムで塞ぐな!と。
アメリカとの意思疎通とも言えるよね~。
香港との意思疎通とか。

 

水が人々の渦をとりまいていることは、確か。
水=意思(石)


中国人に限らずそうですが、中国人は一人一人と接すると、
面白くて陽気で明るいし、個人的にいろいろお世話になりました。

日本のこともちゃんと考えてくれてます。

だた、公に言えないだけ。

日本もそうですけど、政治や集団となると悪になる。

中国人民は、塞ぐことしか知らない。
でも、それは長い治水の歴史が深く心理的に影響していると思い、
厳しい環境の中で生き抜いてきた砂漠の民の末裔たちでもある。

そのプライドがありますし、
水がとても乏しい国だったので、生きるか死ぬかは、
水があるかないか、でした。

 

なのに、なぜ、中国は疎通ができないのかー。

さんざん、水に苦しめられたではないかー。

 



そんな古い時代から濁流とつきあってきた中国ですから、知っているはず。
その頃の日本は島国ですから、のほほん、田んぼつくり。

それでも渡来してきた人たちは、先住の土地に入るのは、
至難の技で水の獲得にとても苦労してきました。
 

でも、治水の技術があったから、水をひいて灌漑用水を造ることには長けている。

その功績により、だんだん、地元の人たちに受け入れられるようになるのです。

今は、その三峡ダムがとうとう、力つきそうな?ことを言われている。
さすがに水の力には、勝てないのですから。
人間の力には限界があることを、教えてもらっています。

でも、禹はとても平和な軍人だったと言われ、
儒学の思想で人々を制圧することなく、軍事力には頼らなかったという。

 

 

無錫のお寺にて。

私の先祖も禅を学んでいました。

自然の岩場などを壊すことなく、水の流れを無理に変えることもなく、
「山を2つに分ける」といった言葉があるように、
自然を生かしたままの治水技術だったわけです。

たぶん、禹歩という呪術があるように、
川の流れをせき止める方法は、
現代人には理解できない世界かもしれません。
そこが錬金術っぽい。

■空海も学んだ治水神話-----------------

日本でも空海が影響を受けています。
空海が中国へ行ったのは、密教の勉強だけではなく、
治水神の禹を知るために行ってます。
空海は、治水技術も学んでいました。

 

※空海像(中国杭州の霊隠寺)

http://jp.lingyinsi.org/list_174.html

 

中日友好三十周年記念」とあり、
偶然にも、この記念の年に留学しました。

友好の証が空海です〜。
日中友好の30年と、私が30歳になった記念だったのです。笑

霊隠寺は、洞窟だらけで留学時に観光してましたが、
空海の後ろ姿しか見てませんでした・・・

 

この時は中国に住み着くつもりだったけど、自分が変わってしまい(というか上海はレベルが高い)さっさと帰国。

 

この像の空海さんが好きです。


「空海がもっている棒を地面にたたくと、清水が湧きでた。」
という弘法清水伝承は、禹の治水技術のことを差しています。

その空海とゆかりある高野山にも景教の碑があります。
碑を押さえているのは、です。

 



※このレプリカを建てたのは、ゴルドン夫人という方で、
1851年英国ビクトリア女王に女官として仕えた人でした。
キリスト教と仏教の根本同一を確信し、その研究のため、
来日していたそうです。

 

逆卍がある。

禹は、イエス・キリストのエネルギーor分霊をもっていたかもしれない。
だから、猿で申となる。
猿田彦命がイエスであると言われる由縁でもあり。


※旗ざおの先にからまる蛇。
竿とはいえ、十字架となっている。

(これがWHOの象徴になっている)

モーゼが青銅の蛇を作ったエピソード↑

禹が爬虫類とされるのは、「魚」にあり、

原始キリスト教とされる
秦氏のネストリウスは中国では景教として伝播。

 



※大秦景教流行中国碑(だいしん)
明末(1368年~1644年)に
長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。

「ローマ帝国から迫害を受けていたキリスト教」というのがあり、
ユダヤのことらしいが、詳しくはわかりません。

新羅が「中国(or朝鮮半島)で」ローマ文化を受け入れたというのは、
迫害されたネストリウス派(景教)の逃げ場だった可能性も。
なので、西洋の装飾品がたくさん発掘されるのです。

迫害を受けたキリスト教徒たちは、
お互いのシンボルマークの魚をもちます。



※魚とキリスト教徒 Jesus fish より
http://www.art-library.com/bible/jesus-fish.html

これが、禹の爬虫類神話と同類と思うのです。

『山海経』
大荒西経てい(氏の下に一がある漢字)人の国がある。
人面魚身である。魚がいて偏枯(へんこ)である。

へんこ・・・半身不随、かたよっていること。

 



これは、禹を魚の形にした洪水神として信仰しているもの。

※東北学院大学アジア流域文化研究所 公開講座より


テイ族→かつて中国の青海湖(現在の青海省)周辺に存在した民族。
チベット系が有力。


※宇宙からみた青海湖

テイ族はみずから「槃瓠(ばんこ)」とよび、
その祖が、なんと犬。
犬が王に手柄をたてたことから、王の娘と結婚する神話。

苗族(みゃお)族であり、「南総里見八犬伝」は、
これを基に描かれた小説です。

な~るほど。
だから、禹が犬の狼信仰にもからむ。

青き狼とか、秦氏や藤原秀衡が狼伝説と結びつけられるのですね。

 

何度も登場してきた弓月氏の故郷。


「モーセが杖を掲げると海が割れ道を開き」という神話も、
治水技術があったから、人工的に洪水を起した禹の神話と
似ているのですよ。

 

 

※モーセは角みたいな光が頭から出ている図が多い。

そうすると、この「杖」は、
いろんな人が持ってますね。
神武天皇もトビが止まった杖をもっているし、
サンカと言われた多治比氏も杖を授かっている。

空海にまつわる「弘法清水」の伝承は全国に多いですが、
禹がもっていたとされるボーリングのような杖は、
魔法の杖ともいわれ、孫悟空も、持っている。
(水底の高さを知るため?)

 



ひょっとして、私の水底をのぞく癖は、
治水の癖もあったりして・・・。笑
水の深さを知るために底が気になるって、普通ないよな。

今は、人工的に崩してダムを作っているのですから、
結局は、岩を崩壊していることに変わりない。
そうすると、ひずみが生じます。(それが地震)

 

石を破壊=意思を破壊し、

ひずみ=人間関係のひずみが生じる。

禹の生誕地は、岷江(びんこう)→四川、甘粛の境界をなす岷山の南を源流
とする羌族やチベット族などの少数民族の居住地域と言われます。

おそらく、彼らの水の知識が豊富なことから、
人柱の対象とされた民族だったかもしれません。

震災の前、2008年に四川大地震の震源地にあったところなのです。

2008年7月22日。

その1ヶ月前の6月14日は、「岩手宮城内陸地震」がありました。


地震が多い所に、禹の生誕地が関係することも気になる。
何かがあったから起こるカルマは、地中にも響いている。

それをタケミカヅチ(鹿島神)が要石で塞いできたのだから、
疎通せよ、と何度も言ってくる理由なのだと思います。

ということで、ダムについては日本も例外ではなく、
水の圧力により崩壊するのは当然ですから、
このまま豪雨が続けば放流するしかないらしく、

最悪、「ダムは崩壊させねばならない」
という選択になるかもしれません・・・。
そうならない事を願っておりますが。

最後に、周恩来も禹を崇拝しており、
こんな言葉を残しているので、ご紹介。

『水利関係者の仕事は各部門とも関係があり、
きちんと対応せざる得ない。
さもなければ全体的な計画に影響を与える。
中国の人民の長い時期にわたって洪水と旱魃の災害に苦しめられてきた。

水利の仕事は道を開く仕事であり、
『木を植える』仕事である。
水利の仕事自体、人民のために尽くすことである。


もし中国におけるあらゆる水が利用されるならば、
いかなる偉大な事態になるだろう。
水利の仕事には前途がある。
将来において、ここにいる各位が水利の仕事を務めるのみならず、
より多くの青年も動員すべきではないか』


五行思想は、中国からきています。
土剋水」が生きるのかどうか。

 

水に打ち勝つのは、火ですが、

香港や台湾のように、怒りの火になっているからこそ

大量の水によって阻まれる事態が、益々増大している気がします。

昨日、香港の国家安全法が施行されましたが、
そのタイミングでみた秦氏の夢があったので、書いてみました。

日本も含め、
「水がこれからの世界を制する」ような
メッセージだな~と思います。

これから地球に対して行ってきた制裁を、
余儀なくされることになるのでしょう。
 

「疎通」という言葉、

身に染みてきます。