なんだか、可愛くなってきました~。
一気に書きます。
長くなってすみません。

泉探訪の日が、岩手宮城内陸地震があった日と、
帰ってきてからニュースでみて、不思議な気分になりました。

探訪が終わった後、心にぽっかり穴があいたようで、
白石が終わったことへの寂しさが湧いてしまいました。

何かが飛んでいったんでしょうけど。

ぼーーーとしてました。

■大阪枚方の七夕--------------------

仙台は七夕祭りが有名です。(今年はコロナで中止)
伊達綱村の時代からあったといわれる仙台七夕。

この七夕をもたらしたのは、百済の人たちでした。

ここでずっと前から不思議だったアテルイとモレに繋がります。
アテルイの首塚というものは、各地に伝承されているそうです。

王仁の墓がある所が枚方(ひらかた)なのですが、
七夕発祥地です。

これは、金が関係しており
奈良の東大寺の大仏建立の時に涌谷町の黄金山神社で
天皇に献上した金(砂金)によって大仏が完成したと。
それを発見した百済王敬福の功績をたたえるために大阪枚方付近一帯に
土地を賜わった
というのです。

なので、枚方で七夕がもたらされたと言われます。
枚方にあるのは、王仁の墓です。
王仁は百済の人です。
「ワニ」とよび、和邇氏のことです。

そのそばになぜか、アテルイとモレの慰霊碑があり、
岩手県のアテルイを継承する地元の人たちが参拝にいっているのです。

枚方については、
天の川とする淀川上流に逢合橋(あいあいはし)があり、
織物神社と牽牛石祀っているそうです。


ここで年に一度出会う場所で、
星田、星ヶ丘、中宮の星の地名があり、
二ギハヤヒの磐船で地上に降りた為と言われます。
それは、星田妙見宮が由来にあった為と。


星田妙見だから、北斗七星です。
で、ここが空海が虚空蔵菩薩求聞持法をしたことで有名ですが、
口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたと伝えた所だったんです。

どーりで虚空蔵さんに行くわけだよ・・・。

これがなんだかアテルイを二ギハヤヒにしてるような・・・
誰かが、その物語にあわせてアテルイとモレを置いたような・・・。
これは百済人の弔いなの?
アテルイとモレが織姫、彦星にみえてくる。

 

前回の記事で八幡平の砦に、水沢市羽田の田茂山がありましたが、

アテルイとモレの慰霊碑が建てられています。

 

 

モレの名前には諸説がありますが、母體(モタイ)とよぶ。(磐貝公母體
アテルイが生まれたといわれる場所を、田茂(タモ)という。(田茂郷跡呂井
モは、母の地名をあてる事が多いようで、
母袋(もたい)、田母神(たもかみ)など。

栗駒山は磐井郡駒形山で、母体村といったそうです。

 


■橋を壊された地震---------------------

震災の前に起こった岩手宮城内陸地震。

いろいろと思うことがあってgooブログにも書いてました。

※祭畤被災地展望の丘とマツリバ
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/fa8c8f290a58b82fd14d5a1fd7026855

まだブログを書いていない時の大地震で、
その時、友人が一関に住んでいて、2回連続して起こった地震だったので、
心配になり一関に行ったことがあります。
温泉宿が犠牲になった地震です。

昨年、骨寺村へいった時に、どうしても見たい現場があり、
それが「祭畤大橋(まつりばおおはし)」でした。

※骨寺村の近くです。

 



活断層のズレで橋が壊れたのがそのまま残されており、
近くまで行けるようになっています。

崩れた橋がみたくて来たのですが、
「何かと繋ぐ橋を、切られた」感じがしたからで、

ここにずっといたいと思うほど、やばい心理状態でしたけど、ちと興奮。

傷口をふさいであげたいような気分でもあり。

東日本大震災の前兆がこの地震だったと思うことがあり、
岩手宮城内陸地震では震源地が「栗駒山付近」でした。
震災の時も大きく揺れたのは、栗駒山付近でした。

なぜこの場所はこんなに揺れるのだろう?と思ったものです。
この橋のそばには、磐井川が流れています。

 

あの九州の磐井氏と同じ・・・意味があるのかね?

七夕は、元は五色の糸を垂らすだけだったそうです。
七夕は星祭りですが、「天と地をつなぐ橋」の意味もあるのです。

宇佐神宮に卑弥呼の話しが結構あるんです。
九州の卑弥呼説。
宇佐神宮の神様が謎とされ、よくわかっていないそうです。

その八幡神の卑弥呼にも関係すると言われる
聖地が地震によって崩された感じがしたのですが、
栗原の里宮には駒形根神社があり、
骨寺村にも2箇所、駒形根神社があるのですが、
「根」なんです。

 



祭神
大日孁尊、天常立尊、吾勝尊、國常立尊、天津彦番邇々藝尊、
神日本磐余彦火々出見尊。

ちなみに、栗駒山の名は宮城県側の名で、
岩手県では須川岳となります。

栗駒や栗原やら、コレハリが浮かぶのですが、
エミシにとっては重要な聖山だったようです。

 



初めて栗駒山に登った時は山開きの日でした。
帰る時に、馬の神様を祀る場面にでくわし、
菊紋様が描かれたものでした。

 



十六八重菊。

 

 

ちなみに秋田にも駒ケ岳があり、男女岳。

ずっとまえにみた夢の話しですが、亡くなった霊は7日間、
馬車にのせられて天を駆け巡ると。
空を飛んでいる馬が青々とした山を登っている夢で、
馬車には、おじいさんがのってました。

屋根がない簡素な荷台の馬車でした。

岩手宮城内陸地震があった日、一関の友人宅へいったのですが、
とくに被害もなかったので、せっかくだから観光しようとなりました。
行ったのが平泉。

まだ世界遺産になる前だったので、地震の後で誰もいなかったです。

その時、
「形ないものでも感じてほしい」といった言葉が浮かんできたのを
今でも覚えています。
平泉には何も残されていませんが、感じとってほしいといった言葉でした。

ドロドロに濁った衣川をみて、不思議な気分で家に帰ったのを覚えてます。

その2年後、東日本大震災。
それから毎年平泉に参拝するようになり、
Rさんからリニアコライダーで北上山系が候補地にあると聞き、

実は、リニアコライダーのことがあって早池峰神が登場するようになったという

いきさつがありました。
そんなことで、水沢や胆沢など、アテルイの郷へも行くようになりましたが。

またそのことを思い出した「根白石」。

根は、過去を思い起こす記憶となり、
白石は記憶を今に生きる糧とする。

 

鶴にのった早池峰神は空から山々を見下ろしています。

星神とカヤノ姫の野の精霊は、大地を揺るがし、

自然を謳歌しています。

エミシは怖れ多いとそんな日の巫女を祀ってきました。

交差した時間軸を行ったり来たりしていたので、
もうギブ!なんですけど。。。

なんとか終わった白石探訪でした。

まだまだたくさん話しがあるのですが、
最後にあの地震に繋がることは、私にとっては意味のあることでした。

こうやって心の整理をしながら、
ひとつひとつ消していってますから、
寂しくなることがよくあります。
 

Rさん、しおさん、お疲れさまでした。

おかげさまで快眠です。笑

 

おまけ-------------------------

 

久々に「キャスロン」へ。

 

 

外のお庭でゆっくりランチをしながらマニアック談話。

ここであの早池峰の手ぬぐいを広げるって。笑

 


長々とお付き合いくださりありがとうございました。
しばらくお休みします。。。。わけがない。

次はなにがきてるんだ?笑